オジー・オズボーンが2025年7月22日(現地時間)に亡くなった。つい先日(7月5日)にラストライブとなる『BACK TO THE BEGINNING』を彼の故郷・バーミンガムで行ったばかりでしたが、あれが彼の最後の輝きとなってしまったのか、そしてあれからこんなにも早くに逝ってしまうのかと、正直動揺を隠しきれずにいます。
筆者はかつて雑誌『TV Bros.』の巻頭取材で、一度だけオジーにインタビューをしたことがありました。当時のメールを振り返ると、インタビューは2010年10月12日、場所は六本木の某ホテル。取材時間は撮影含めて50分ということで、確かインタビュー自体は25分〜30分程度だった記憶があります。当日朝から緊張しまくって、取材開始の1時間以上前にホテルに到着してしまったのも今ではいい思い出です。
さて、その当時のインタビュー記事を「いつかこのサイトにも掲載できないか」とぼんやり考えていたのですが、今朝の訃報を知りすぐに当時のブロス編集者へ連絡を取り、ここへの掲載許可を得ることができました。土館さん、ご尽力本当にありがとうございました!
以下は『TV Bros.』2010年10月30日号(同年10月27日発売)に掲載された、『LOUD PARK 10』で来日した際のオジー・オズボーンへのインタビュー全文となります。同年6月にアルバム『SCREAM』をリリースしたばかり、8月には自伝『アイ・アム・オジー オジー・オズボーン自伝』も出版されたこともあり、当日はこの2つについてお話するつもりでしたが……冒頭から熱の入った「日本のカレー愛」が炸裂(テキストではコンパクトにまとめましたが、実際には5分近く熱弁していた記憶が……)。なんとか時間内にあれこれ聞かねば、と奮闘した思い出もあります。最終的にはラストのあの一言をもらえたことで報われた、と個人的には思っております。
それでは、貴重な「日本のテレビ誌でのオジー・オズボーン インタビュー」をとくとご堪能あれ。
===== 以下、本文(掲載時の原文ママ) =====
――前回の来日から8~9年ぶりですね。ずいぶんと間が空いてしまいましたが。
オジー:なんでこんなにかかってしまったのか、私自身わかんないんだ。
――日本が嫌いというわけではないですよね?
オジー:No! No! 私は日本のカレーが大好きで、カレー中毒といってもいいくらいだ。とにかく日本に行ったら「カレー、カレー」って思っていて、昨日も4回食べて、今朝もすでに2回。ものすごくお気に入りなんだ。そんなに激辛じゃないし、私のお腹にも合ってる。日本のカレーは世界一だ!
――(冒頭から熱く語るのでビックリしながら)そ、そんなにお気に入りなんですね。
オジー:カレーだけじゃない。日本の食べ物はなんでも美味しいし、ホテルのサービスもこの上ない……別に日本にいるからお世辞で言ってるわけじゃなくて、本当に日本のサービスレベルはものすごく高いんだ。他の国はもっと日本を見習うべきだと思うね。
――ありがたいお言葉です。ところで、前回の来日から8年以上経ったこともあって、リアルタイムでオジーのライブを観たことがない若いファンが日本でも増えました。
オジー:アメリカやヨーロッパでも、最近は自分の子供や孫世代のファンが増えている。私は今年で62歳になるけど、こうやって若いファンがいることを当たり前と思ってないし、そういう人がいてくれるのは本当にありがたいと思うよ。ちょっと前にも、日本人の幼い子供……ユウトだったかな?
――あっ、ギネスブックにも「世界最年少のプロ・ギタリスト」として登録されてる宮澤佑門くん(当時9歳)とライブで共演したんですよね。その映像はYouTubeで観ました。
オジー:彼はすごく上手だったよ。そういう若い子と同時に、私と同年代の人たちもライブに足を運んでくれる。どうしてこれだけ多くの人たちが集まるのかは聞かないでくれ。理由なんて私にわかるはずもない(笑)。だけど、こんなにも多くの人に愛されてるってことは、何か正しいことをしてるんじゃないかなって思うよ。
――なるほど。6月には約3年ぶりのニューアルバム『スクリーム』もリリースされました。これまでと比べて、今回はとてもシンプルなタイトルですが。
オジー:当初は『ソウル・サッカー(SOUL SUCKER)』っていうタイトルにしたかったんだけど、ファンから「オズフェスト」で“ソウル・サッカー”って書かれたTシャツなんて着たくない!って苦情がきてさ。“サッカー”って言葉はヒップホップでよく使われるけど、メタルファンからしたら嫌だと。それで『スクリーム』に変えたんだ。
――そんな事情があったんですね。今回は制作の際に意識したことはありましたか?
オジー:昔はツアーが終わると1ヵ月休んで、その後すぐに次のアルバムを作るというサイクルだったけど、今回はもうちょっとゆっくり考える時間が欲しくて。自宅のレコーディングスタジオで、前作『ブラック・レイン』のプロデュースも手がけたケヴィン・チャーコと一緒にじっくり作業をしたんだ。そういう意味では、プロデューサーと一緒に作り上げたアルバムかもしれないな。でも、私にとっては『スクリーム』もすでに過去のもので、実はもう頭の中には次のアルバムの構想がある。今度はもっと生々しくロックしたアルバムを作りたいね。
――今までに10作ものオリジナルアルバムを作ってきてますが、毎回「ここはこうしたほうがよかった」という反省点は次のアルバムに反映されたりするんですか?
オジー:No!(即答) 過去は振り返りはしないよ。そりゃ、ボン・ジョヴィの「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」やアリス・クーパーの「ポイズン」みたいな後世に残る名曲を作りたいとは思うけど、これまでとは違ったことをやりたいという気持ちも常にある。首筋や背筋がゾクッとするような曲を、とにかく作っていきたいんだ。
――確かにブラック・サバス時代やソロになってからも、オジーはヘヴィなナンバーだけではなく美しいメロディのバラードなど、いろいろなタイプの楽曲に挑戦してますよね。そのへんは『アイ・アム・オジー オジー・オズボーン自伝』にも出てくる、ビートルズからの影響が強いのでしょうか。
オジー:それは間違いなく大きいよ。70年代、80年代、90年代、2000年代とメタルもいろんな変化を遂げてきたけど、70年代のハードロックにはちゃんとメロディがあった。ところが、最近のニューメタルは「(デス声を真似して)ガーガーゴーゴー!」言ってるだけでメロディがないし、街で歌ってたら頭がおかしくなったんじゃないか?と思われてしまう。でも、ビートルズの「ペニー・レイン」には綺麗なメロディがある。この曲を聴くたびに、やっぱりメロディは大切だと改めて思わされるね(と、「ペニー・レイン」を口ずさみながらご機嫌なオジー)。
――オジーの楽曲でも「グッバイ・トゥ・ロマンス」や「ママ、アイム・カミング・ホーム」などといった楽曲には、ビートルズと同じようにいろんな世代の人にアピールする魅力を持っていると思います。
オジー:ビートルズって解散後の個々のソロ作品にもいいものが多いんだ。ポール・マッカートニーのプロジェクト、ザ・ファイアーマンはビートルズと全然違うんだけどあれもすごく良いんだよ。
――そういえば、今回の『ラウドパーク』にはモーターヘッドも出演してましたね。「ママ、アイム・カミング・ホーム」の作詞も手掛けているレミーとは長い付き合いで親しい仲かと思いますが、彼ってどういう人なんですか?
オジー:レミーはイカれてるイメージがあるかもしれないけど、実はとっても頭の良い奴で、すごくリスペクトしてる。私とレミーとキース・リチャーズ、この3人は「絶対に死なない究極の3人」と言えるし、一緒にバンドを組んでもいいかもしれない(笑)。
――先ほど話題にも挙がった『アイ・アム・オジー オジー・オズボーン自伝』ですが、とても濃い内容でかなりボリュームがありますよね。執筆には実際どれくらいかかりましたか?
オジー:実は思いのほか早くてね。実際に書いたのは私じゃなくて、クリス・エアーズという奴が私の家に来てどんどんインタビューして、それを彼がまとめたんだ。実際に私が忘れてるような昔話を引き出すのが、すごく上手かったよ。で、インタビューがすべて終わったときに「じゃあこれで1冊書けるかい?」って訊いたら、「いやいや、2冊分はありますよ」と言ってたから、近い将来に第2弾が出るかもしれないな(笑)。
――あそこに書かれていない事実がまだまだあるんですね(笑)。それにしても、ブラック・サバスを結成する20歳の頃に今みたいな人生を考えたことがありましたか?
オジー:このオジー・オズボーンの物語っていうのはでっち上げじゃなくて、全部本当に起こったことなんだ。20歳の頃なんて酒とタバコに溺れてたんで、このままいけば40には死ぬと思ってたよ。実際それでもいいやと思ってたしな。でも、39歳と6ヵ月ぐらいのときに「もうちょっと生きたい」って思い始めて(笑)。ハチャメチャな生活をしてきたのは自覚してるし、今も自分が生きてること自体が奇跡だと思う。もしかしたら自分は人類のために何か役立つことがあって生かされてるのかもしれないし、みんなを楽しませるために生き続けているのかもしれないね。
――そんなオジー・オズボーンという人生、生き方を一言で表すとすると、どういう言葉が思い浮かびますか?
オジー:……「退屈なときがない人生」だな。私は42年間、常に前を見て音楽をやってきたけど、ここまで続けてこれたのはファンのみんながいたから。ファンがいなかったら、今の自分はないからね。これからも現状に甘んじるのではなく、常に次へ次へと新しいことにチャレンジしていきたいと思ってるよ。