とみぃ洋楽100番勝負(100)
いよいよラスト‥‥最後は思い入れタップリに語らせていただきます‥‥
●第100回:「Coma Girl」 JOE STRUMMER & THE MESCALEROS ('03)
「早くくたばれっ!」って冗談ぽく言ってはみるものの、そこには「絶対に死ぬもんか‥‥死んでもらっては困るんだよ!」という祈り/願いも沢山込められてるんだよね‥‥当たり前の話だけど。最高の愛情を込めて吐く悪態。それはある意味では彼等にとって最高の賛辞なのかもしれない。
でも。そんな冗談すら言えない、言いたくても言えない相手だっている。この連載を続けてきた中で、故人を扱う機会が沢山あったんだけど、最後の最後もその故人‥‥比較的最近亡くなったこの人で締めくくりたいと思います。丁度12月だしね、これが発表される頃は‥‥
2002年12月22日、彼は静かに息を引き取りました。日本では23日に伝わって来たこの知らせ。最初知った時は「へっ、嘘‥‥」と、にわかには信じられませんでした。情報が少ない/錯乱していたことから、いろいろネットサーフしてみたものの、それは間違いない事実であることが判明しました‥‥愕然としたよ。ほんの3ヶ月前、あんなに元気な姿をその年最後の「夏フェス」で目撃したばかりだったのに。一緒に "I Fought The Law" を大合唱したばかりだったのに‥‥
俺にとってのジョー・ストラマーという親父は、THE CLASHの偉人というよりは、ロック・フェスティバル、野外フェスティバルってこんなにも楽しいもんなんだぜ、自ら進んで楽しむものなんだぜ、という至極簡単なことを教えてくれた、大先生でした。俺が初めて体験した夏フェス‥‥'99年のフジロックで出会ったジョーは、大好きだったTHE CLASHの曲を出し惜しみすることなく連発してくれ、当時の新曲も過去と何ら変わらず「レベル・ロック」していることを証明してみせました。
そして3年後。今度は朝霧JAMで再会。正直、最後の最後だったし天気も悪く霧で視界も悪かったし、演奏される曲も今回は新バンド・THE MESCALEROS以降のものが多かったことから、あんまりのめり込めなかったんだよね‥‥けどそれって、結局「俺はジョーにTHE CLAHSしか求めてなかった」ってことと一緒だったわけで。だから "Bankrobber" や "I Fought The Law" という曲に過剰反応してたんだよね‥‥恥ずかしいけど。
ジョーの死後から1年経って、志半ばで頓挫してしまったレコーディングを仲間達で完了させたのがこの「STREETCORE」というアルバムで。買ってから暫くは聴けなくてさ‥‥こんなにも重く感じさせるアルバムは随分久し振り。ジャケットといい、並んだ曲目といい、全てがその頃の俺には重過ぎて‥‥
年が明けて2004年。やっとパッケージを開けて‥‥1曲目の "Coma Girl" の歌い出しに胸が熱くなってさ‥‥
「遥か西のフェスティバル会場を這うように歩いてたんだ」
‥‥嗚呼、この人は死ぬまで「ジョー・ストラマー」で在り続けたんだな、と。当たり前の話だけど、その事実に涙が止まらなくて。アルバムが進んでいく中、いろんな音が聞こえてきて‥‥6曲目の "Redemption Song" で更に泣いて。この瞬間、今更だったけど‥‥ジョー・ストラマーって親父は俺にとって、とても重要な人間のひとりになったんだ。
今でこそ笑顔で聴くことができるこのアルバム。THE CLASHの5作と同じように、自分にとって大切なアルバムです。こんなにパンクで活き活きした親父、イギーとジョーの他に知らん。
だから‥‥今更だけど‥‥ホントに悔やまれる。もう一度、ただもう一度だけ会いたかった‥‥
ありがとう。そして‥‥死ぬまで勉強させてもらいます!
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