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1999/05/03

コージー・パウエル

本来ならこの文章は先月の5日に書くべきものだ。けど‥‥忙しさの中で忘れてしまっていた。カートの事にばかり気を取られていたが、この人も4/5に亡くなった事を知ってがく然とした。そう、hideが亡くなる約1ヶ月前に‥‥俺にとってはある意味、hideの死以上の衝撃・ショックを受けた。もし俺がドラマーだったら、この人みたいに叩きたかった、そう思わせたドラマーはこの世の中に3人しかいない。LED ZEPPELINのジョン・ボーナム、「元」MOTLEY CRUEのトミー・リー、そして今回の主役である「スティックを持った渡り鳥(笑)」コージー・パウエル‥‥人間としてもミュージシャンとしても、彼はこの人生を全うしたのではないか? そんな想いを胸に、今日は彼の素晴らしさを皆さんに知っていただき、これを切っ掛けに彼が参加したアルバムを手に取っていただければ‥‥と思う。

コージー・パウエル、本名コリン・パウエル。'47年12月29日生まれ。イギリスはグロースター州サセックス出身。

13歳頃からドラムスを叩き始め、CORALSを皮切りに幾つかのバンドで腕を研いていく。そして、'70年にJEFF BECK GROUPに加入したことによって、一躍有名になる。その後、初のリーダーバンドであるBEDLAMやCOZY POWELL'S HAMMER、STRANGE BLEWでの活動、軽い気持ちでレコーディングした "Dance With The Devil" b/w "And Then There Was Skin" が予想外の大ヒットを記録する‥といった経験を経て、'75年にRAINBOWに加入。これによって日本でもビッグスターの座を手に入れ、当時としては珍しかったドラム・ヒーローとして崇められるようになる。RAINBOWにおいては、4枚のアルバムに参加。脱退後はTHE MICHAEL SCHENKER GROUP (MSG)に加入し、「MSG」('81年)と「ONE NIGHT AT BUDOKAN」('82年/'81年の日本公演の模様を収めたライヴ)にそのプレイを残した。またこの頃までに、3枚のソロアルバムをリリースしている。そして'83年から'84年にかけてはWHITESNAKEで、'85年から'86年にかけてはEMERSON,LAKE & POWELLで活躍した。

その後しばらくは、セッション活動に専念。('87年にはジョン・サイクスのBLUE MURDERに加入したが、アルバム制作に到る前に脱退)'89年にBLACK SABBATHに加入し、久し振りにバンドメンバーとしての活動を展開する。'92年に落馬事故で負傷し、BLACK SABBATHを離れるが、4枚目のソロアルバムの制作、ブライアン・メイ(QUEENのギタリスト)のファースト・ソロアルバムとツアーへの参加などを経て、'95年には復帰している。しかし、アルバム「FORBIDDEN」のレコーディングに参加したのみでツアーには同行せず、しばらくの間、長年の活動により蓄積した疲労を癒すために休養する。そして、'97年に行われた元FLEETWOOD MACのギタリスト、ピーター・グリーンの復活ライヴより活動を再開。イングヴェイ・マルムスティーンの「FACING THE ANIMAL」、ブライアン・メイのセカンド・ソロアルバム「ANOTHER WORLD」に参加する。イングヴェイのバックメンバーとして来日することも決定した。しかし、バイクで事故を起こし、右足に全治8週間の重傷を負ってしまったことで来日が不可能に。そしてイングヴェイが丁度来日中の'98年4月5日午後8時30分頃(現地時間)、高速道路M4を自宅のあるバークシャー州ハンガーフォードからブリストル近郊に向かってサーブで走行中に何らかの理由で中央分離帯に衝突。(酒気を帯びていたという話もある)車は炎上し、死亡した。享年50歳。
(「BURRN!」98年7月号の特集記事より)


コージーの功績についてはこの「BURRN!」の追悼記事や、彼に関して書かれた書籍、彼がレコーディングに参加したアルバムから知る事ができるのでこれ以上は書かない。ただ、これだけは言わせて欲しい。コージーのドラムは、聴けばすぐに判った。これは俺が彼の事を好きだったからではなく、その独特なサウンドからだ。あのバスドラとスネアの「トン、タン」ではなく「ズドン、バン」という重量感。どのバンドのどのアルバムでも同じサウンドを聴かせてくれる。そして「オカズ」であるフィルイン。そう、RAINBOWの "Lost In Hollywood" のイントロやサビのフレーズに入る直前の、あの有名なフィルはもう‥‥何度コピーしようとしたことか。(笑)俺は殆どの楽器をプレイすることができるが、唯一ドラムだけは‥‥理想が高すぎるのか、コージーやボーナムの真似ばかりしていたせいか、単純な曲しか叩けない。何度 "Stargazer" (RAINBOW) のイントロをコピーしようとしたことか。何度 "Guilty Of Love" (WHITESNAKE) を練習したことか‥‥とにかく、こんな「ドラムヒーロー」はもう現れないかもしれない。この先ずっと‥‥

何故彼のドラムサウンドがあんなに独特だったか‥‥俺はこの話を聞いて納得した。それは元LOUDNESS、現SLYのドラマー、樋口宗孝がヤマハ主催のドラム・クリニックで言った言葉だ。

「コージーの生音はやたらにデカい。でも、それは力というよりはスティックの重さに因るものだ。あんなに重いスティックを普通のドラマーが使ったら1曲で手首がダメになる。それだけ、彼の手首は強靱なんだ。」

実際にドラムを叩いた事がある方なら解ってもらえると思うが、ドラムを叩く際にスティックが自分の身体や手に合っていないと、どれだけ叩き難いか‥‥俺も遊びとはいえ、よく解っているつもりだ。スティックの重さによってついた腕力。いや、もともとキック力や腕力があった人間だろう。そんな人が更に重いスティックを持つことによって生まれるヘヴィ・ヒット。そしてそのヘヴィさからくる「あと乗り」(タメともいう)‥‥彼は決して機械的な「ジャストなヒット」を繰り出すドラマーではなかった。逆にそこが彼の素晴らしさだったのだが。(これが原因で、彼はゲイリー・ムーアーの元をたった数カ月で去っている。ゲイリーはコージーに「正確無比のビート」を求めたのだ)この「あと乗り」のスウィング感があったからJEFF BECK GROUPの "Got The Feeling" が、WHITESNAKEの "Slow An'Easy" が名曲となったのだ。(勿論、元の楽曲の良さは大前提だが)

もうひとつ、彼のドラムソロ‥‥多くのドラマーのドラムソロ。俺にとっては退屈なものだ。ライヴにおける10分近くの「マスターベーション」。俺自身、ギタリストのギターソロも好きではない。もっとも、人を引き付けるだけの力量を持ったミュージシャンがやるなら話は別だが。そう、俺にとって「ドラムソロとはこういうものだ!」という仕事をやってみせたのはコージー、ボーナム、そして別の意味でトミー・リー。この3人だけだ。(いや、他のドラマーのソロはあまり知らないだけかもしれないが)残念ながらコージーのドラムソロが完全収録された映像は正規では発表されていない。唯一、ブライアン・メイのソロツアーの模様を収めたライヴビデオにのみ、ドラムソロは収められているが、全盛期‥‥'70~'80年代の、あの "1812" をバックにしてのドラムソロが収められた作品は音源/映像共に公式発売されていない。ここはもう‥‥違法ではあるが‥‥ブートを見ていただきたい。(笑)特に'70年代のRAINBOW時代のものを‥‥絶対にひっくり返るはずだから。常識では考えられないこと、やってるから。ドラムソロを「ひとつの楽曲」にしてしまったのは、この人とジョン・ボーナムだけではないだろうか?

‥‥やっぱりダメだ。(笑)どんなに言葉を並べても、彼の凄さ、偉大さは俺の拙い文章では伝わらないだろう。てっとり早く彼が参加したアルバムを聴いて欲しい。俺がお薦めするのは以下の5枚。どれもコージーが参加してるからだけでなく、楽曲/演奏共に素晴らしい作品ばかりだから。

* JEFF BECK GROUP「ROUGH AND READY」('71年)
* RAINBOW「RAINBOW RISING」('76年)
* COZY POWELL「OVER THE TOP」('79年)
* WHITESNAKE「SLIDE IT IN」('84年)
* BLACK SABBATH「TYR」('90年)

異論はあるだろうが、これはあくまで俺の趣味だ。RAINBOWは正直言って、彼が参加したアルバムはどれも素晴らしいが、やはり "Stargazer" ~ "A Light In Black" のドラミングをこの流れで聴いて欲しいから。それとコージーのソロアルバムはセカンド「TILT」、サード「OCTOPUSS」も素晴らしいので是非聴いて欲しい。お手軽な「THE VERY BEST OF COZY POWELL」というのも出てるので、それを入門編にしてもいいかも。

最後に。コージーはドラマーであると同時に、素晴らしいドライバーでもあった。彼がモーターレーシングの世界に精通してる事はファンの間でだけでなく、多くのミュージシャンが知っていた。一時期彼は、本気でレーサーに転向しようと考えた時期もあったそうだ。そんな彼がああいう形で死んだことは‥‥不謹慎かもしれないが、ある意味本望だったのかもしれない。俺が最初に「彼はこの人生を全うしたのではないか?」と書いたのはそういう意味からだ。彼はモーターレーシングの世界を熟知していた。だからこそ、常に死と隣り合わせだという事も常に頭にあったはずだ。ここ数年の彼は、仕事としての「ドラマー」の他に趣味としてドラムを叩き始めていた。その切っ掛けが先頃来日したピーター・グリーンとのセッションだ。もし生きていたら‥‥亡くなったアーティストの文章を書く時、いつもこの言葉を口にしてしまうが‥‥この来日公演、コージーも同行していただろう。そしてコージーが生前最後に関わったのが、自身のソロアルバムだった。(これは先頃発売された)地位も名声も手に入れた今、彼は残された人生を本気で楽しもうとしていたのではないだろうか? いや、彼は常にその人生を楽しんでいたのかもしれない。だから彼は「渡り鳥」としての道を選んだのかもしれない。自分が常に楽しんでいられるように‥‥

ジョン・サイクスがコージーの死に対して、こうコメントしている。

「コージーはクレイジーなドライバーだったから、こうなるのもある意味では運命だったのかもしれない」
判っていたはずだ、コージーには。だから彼は「楽しむ」ことを選んだのかもしれない。そして、そんな生き方を選び、全うした彼が羨ましくもある。確かに早すぎる死だ。けど‥‥これでよかったのだろう。きっと彼は今でもあの「笑顔」のはずだ。だから僕らもそんな彼のプレイを「楽しんで」聴かなくては‥‥そう、決して悲観的にならずに。

やっぱりかっこいいよ、コージー‥‥(笑)

投稿: 1999 05 03 07:11 午前 [Cozy Powell, 「R.I.P.」] | 固定リンク