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1999年11月24日 (水)

QUEEN『INNUENDO』(1991)

これはレビューなんて代物ではなく、俺個人のこのアルバムに対する想いを綴ったものだということを最初にお断りしておく。

悲壮感漂う異色作……フレディ・マーキュリー生前最後のオリジナルアルバム(通算14作目)であるこの『INNUENDO』がリリースされたのは、1991年初頭のこと。なぜこのアルバムはこんなにも重苦しく、悲壮感が漂っているのか? もちろん、すべてがすべてそういう曲ばかりではないが、少なくとも核となる楽曲(「Inuuendo」「Don't Try So Hard」「Bijou」「The Show Must Go On」)には、これまでにはないくらいの緊張感を感じ取ることができる。恐らくフレディは「このアルバムが最後になるかも……」という気持ちでレコーディングに臨んだのだろう。アルバム全体を包む重圧感、そして終焉を感じさせる空気の中、彼の歌声から“生”に対する生々しいまで叫びをひしひしと感じる。つねに「エンターテイメント界のフレディ・マーキュリー」を選んできた彼は、自身の最期に「アーティストとしてのフレディ・マーキュリー」を選択したのではないだろうか。

正直、僕の中でのQUEENというバンドは、1991年の時点で「終わっている」存在だった。いや、リアルタイムで聴き始めた「One Vision」の時点ですでに「終わった」ことになっていたのかもしれない。それは、雑誌やメディアの情報を鵜呑みにしていた当時中学生の僕が、QUEENの全盛期は70年代だと思い込み、いくらその後(80年代以降)ヒットを飛ばそうが、「生きながらえている、ゾンビのような存在」と見なして軽視していたからに他ならない。だから、この『INNUENDO』というアルバムがリリースされた頃も、鼻で笑って素通りしたのだ。雑誌「ヤング・ギター」や「BURRN!」等で大絶賛されていたものの、当時はスラッシュやハードコアの領域にドップリ浸かっていた時期なので、自ら進んで買おうなんて思いもしない。

しかし、そんな僕にもこの傑作と対面する瞬間が訪れる。リリースから約半年後のことだった。1991年9月だったと思う。当時通っていた専門学校の同級生がCDショップでバイトしていて、「社割で安く手に入れたけど、もう聴かないからあげるよ」と数枚の輸入盤を差し出した。当時リリースされたばかりのブライアン・アダムスの新作や何やら(その他は忘れた。多分記憶に残らないようなクズばかりだったのかもしれない)……その中に『INNUENDO』もあった。貰ってから数週間経って、ようやくこのアルバムに手を出した。バイト帰りの終電の中、あの幻想的なイントロが始まる……電車から降りてもその空気に浸りたいがために、聴き終えるまでの数十分、寄り道して帰ったことを思い出す。

衝撃だった。QUEENの新作はそれまでも『A KIND OF MAGIC』『THE MIRACLE』とリアルタイムで何枚か通過していた。しかし、文字どおり“通過した”にすぎなかった。なのに、このアルバムは僕の心臓を鷲掴みにしたのだ。掴んで離さなかったのだ。

「何かが変わる……いや、何かが終わる。そんな気がする。これは……彼らのラストメッセージなのか?」 。「The Show Must Go On」を聴くたびにそんな思いで頭がいっぱいになった。それからフレディの悲報が届く11月24日までの2ヶ月近く、毎日聴き込んだ。そして、11月24日を境にしばらく聴けなくなってしまった。これはバンドとしてのメッセージではなく、フレディの遺言だったのだ、と(少なくとも、この僕にとっては)……「ショーはまだ続くんだよ」。彼がいなくなっても、残された楽曲の輝きは変わらない。これらを聴けばいつでもQUEENに会える。けど僕は、ほかの楽曲は聴けても、このアルバムだけは重すぎて聴けなくなってしまった。アルバム単位だけでなく、楽曲単位でも。だから、追悼盤と化してしまった『GREATEST HITS II』もしばらくは買わず終いだった。

翌1992年1月下旬、俺は生まれて初めて海外へ出向く。QUEENの国、イギリスへ。語学研修という名の短期留学で、ボーンマス(Bournemouth)という海沿いの小さな町で、僕はしばらく生活をすることになる。週末になればロンドンへ泊まりで出向いたり、ほかの地へ観光に行ったりもした。そして、どこへ行っても目にしたもの。それはQUEENのアルバムだった。初めてイギリスに行くにも関わらず、僕はビートルズもQUEENもピストルズも持って行かなかった。ホストファミリーは音楽一家で、父(ホストファザー)は音楽出版社に勤め、母(ホストマザー)は夜になるとホテルのバーなどでジャズシンガーをする。兄は仕事の傍らドラムを叩き、姉はミュージシャンを目指しバイトの日々。自分をこの家族に宛った人に感謝しなければならない。もちろん僕自身も音楽で飯を食いたいって、その夢を語った。夜になると兄や友人を連れてパブやクラブへ出向いて、毎晩午前様だった。

ある日、父が「QUEENは日本でも大人気だったんだよな?」と僕に尋ねた。「勿論!」と即答し、俺はQUEENの曲で日本語のサビを持つ「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」を歌う。それに父が加わる。そして、僕は『INNUENDO』というアルバムに出会うまで彼らの功績を軽視していたこと、そのアルバムを切っ掛けに彼らの楽曲の素晴らしさや魅力を再認識したこと、そしてフレディの死後あのアルバムを聴けなくなってしまったことを、つたない英語で伝えた。その想いはなんとか伝わったようで、「フレディの死を悲しんだのだから、お前も俺たちと同じ英国人だよ」とまで言ってくれた(かなり曲解してるかもしれないが)。

ボーンマスを離れる朝、父は俺に「ここで過ごした1ヶ月の思い出に」と、俺が持っていないと言った『GREATEST HITS II』のCDをプレゼントしてくれた。嬉しくて泣きそうになったが、ありがとうと言ってそっけなくその場をやり過ごした。ロンドンへ向かうバスの中で、ひとりずっと泣いた。そしてさらに、その場でCDを聴けないことにもっと泣いた(当時はまだカセットウォークマンの時代だ)。僕はロンドンに着いてすぐにタワーレコードに向かい、『GREATEST HITS II』のカセットを入手したのは言うまでもない(苦笑)。

僕にとって1992年1~3月のイギリスといえば、MANIC STREET PREACHERSNIRVANAとQUEENだった。『GENERATION TERRORISTS』『NEVERMIND』、『GREATEST HITS II』を聴けばいつでも、あの寒空のボーンマスへもどることができるのだから。

これを切っ掛けにして再び、僕は『INNUENDO』と真正面から向き合えるようになった。そして、去年の11月24日以来、久し振りにこのアルバムをプレイヤーのトレイに載せる。力強い「The Hitman」や「I Can't Live With You」も、優しく響く「These Are The Days Of Our Lives」も、コミカルな「Delilah」も、鼓動が高鳴る「Headlong」も、そして‥‥重々しく悲壮感が漂う楽曲群も、今ではすべてが愛おしい。批評とか解説とか、そういう次元でこれらを語ることなんて、やっぱりできない。QUEENの中でも一番思い入れが強い、特別なアルバム。それ以上でもそれ以下でもない。彼らが、そしてフレディが残した「The Show Must Go On」というメッセージ(あるいは決意表明)を最後に持ってきてアルバムは幕を閉じる。そして、(僕らが知っている、という意味での)QUEENというバンドもこの言葉を最後に、約20年という長い歴史にピリオドを打つこととなる。

きっとこんなバンド、もう二度と登場しないだろう。そして、僕にとってもこんなアーティストも、こんなアルバムも二度と現れないだろう。いや、現れてもらっては困る。こんなにつらく悲しい思いは二度とごめんだ。だけど、今はもうこのアルバムを聴いても悲しくない。だって、すでに『INNUENDO』は僕の、そしてあなたの決意表明でもあるのだから……。

「The Show Must Go On.」



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