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2000/12/19

THE BOOM『手紙』(1995)

皆さんは音楽を聴く時、まず最初にどこに耳が(興味が)いくのだろうか? メロディ? リズム? ギターリフ? ボーカルの声質? コーラスの綺麗さ? それとも歌詞? やっぱりキャッチーなメロディに耳を奪われる事が多いのだろう。ちょっと前の事だが、とあるサイトの掲示板でこの辺の話題になった事があった。そこでの意見を総括すると、歌詞というのはそれ程重要視されないという意見が多かった。つまり「内容が如何に素晴らしいからといって、それがその楽曲の素晴らしさに直結するわけではない」という事だろう。特に洋楽(=日本語以外の言葉を歌詞に持つ音楽)の場合、やはり最初に印象に残るのはメロディであるのは間違いない。余程英語に精通しているか帰国子女でもない限り、歌詞がバーンと頭の中に入ってくる事はまずないだろう。

それでは、日本語で唄われている楽曲の場合はどうだろうか? 母国語‥‥普段の会話に用いられる言葉を歌詞に持つ音楽。それが我々が好む「ロック」というジャンルの場合、どれだけ重要視されているのだろうか? ちょっと疑問に‥‥いや、心配になってしまった、というのが掲示板を読んだ正直な感想だった。

ロック自体が日本国内でも成熟期を迎え、欧米のそれと大して差を感じられないレベルにまで達した‥‥アーティスト達もいる。海外でも活躍し、ここ日本でよりも知名度が高いアーティストもいる。しかし、そういう場合は大抵歌詞が英語だったりして、『我、日本人なり』という事実をアピールするのは、その独特なメロディにのみだったりする事が多い。いや、中にはその日本人的メロディすら感じさせない、国籍不明なアーティストもいる。つまり、母国語である日本語を中心に使いながら海外(ここでは欧米を指す)で成功を収める、というアーティストは殆どいないに等しい。

そうなると、日本語で唄うアーティストは国内に活動の重点を置く者達が大半を占めるわけだが‥‥どれだけ多くのアーティストが「言葉」を大切にしているのだろうか? そして我々はどれだけ「言葉」というものに意味合いや重要性を求めているのだろうか? 掲示板で見かけた人達の場合は「それ程重要視しない」という意見が多かったが、例えば今年後半最もヒットした国内アーティストである浜崎あゆみの場合、彼女のファンの多くは「歌詞に共感する」という。宇多田ヒカルしかり、グレイしかり。ジェネレーションリーダーとなりうるアーティストには、やはりしっかりとしたメッセージを持っている場合が多い。過去を振り返ってみても、佐野元春や浜田省吾、尾崎豊、ユーミン、中島みゆき、そして俺が取り上げる事が多いミスチルやゆず。メロディメーカーとしての才能にも優れているが、やはりこれらの人達には「詩人」という言葉がよく似合う。そうそう、エレカシ宮本もだった。

そして今回、もう一組(ひとり)のアーティストをこの中に入れておきたい。それがこれから紹介するTHE BOOMだ。今回取り上げるのは、5年前に発表されたシングル「手紙」。かなり画期的且つ衝撃的な作品である。エレカシ「ガストロンジャー」の4年前に、既に宮沢和史(THE BOOMのボーカリストであり、メインソングライター)はこんなに攻撃的なパンクソングをリリースしていたのだ。

THE BOOMといってイメージするのは、例えば「島唄」に代表されるような沖縄民謡だったり、「風になりたい」のようなサンバ等のブラジル音楽の要素をとりいれた、まさしくミクスチャーな存在だろう。そんな彼らが1994年に発表したアルバム『極東サンバ』にてブラジル音楽からの影響をある意味完成型にまで持っていった後に、次なる第一歩として発表されたのがこの楽曲だった。最初にこの曲が発表された(いや、演奏されたというべきか)のは、リリース(95年12月)の半年近くも前、テレビの歌番組でだった。バンド演奏というよりは寧ろサンプリング中心のバックトラックを相手に、ボーカルの宮沢は椅子に座り、足を組んでハードカバーの本を手に淡々と歌詞を読み上げる。感情を極力抑えているにも関わらず、そしてバックは機械相手にも関わらず、そこに存在したのは人間というものが持ち合わせる感情‥‥怒り、悲しみ、喜び、憤り‥‥の全てが渦巻く台風の目だった。所謂「ポエトリーリーディング」に近い形の楽曲なのだが、俺は背筋に嫌な汗をかきながらも、そこから目をそらせなかった。これまでもボブ・ディランやルー・リードといった先人達がこういうような事に挑戦してきた。日本でも有名なところでは佐野元春が何度かチャレンジしている(彼に関してはポエトリーリーディングで何度か作品をリリースしている)。ここでTHE BOOMが挑戦したのは、本当の意味でのポエトリーリーディングとは言えないかもしれない。しかし、この楽曲は紛れもなくロックンロールナンバーだ。

ビートが強烈で、ギターリフが格好良くて、メロディが素晴らしく、そこに誰をも魅了するカリスマ性が存在すればロック‥‥それはそれで正しいだろう。がしかし、このうちのメロディが存在せずに、歌詞が素晴らしかったとしよう。それはロックではないのだろうか? そんな事はないはずだ。これは決して特殊な形なんかじゃない。風変わりという表現で片づけるのは、単に自身の許容範囲の狭さをひけらかしているだけだし、ロックというものに先入観や固定観念を作ってしまっていて、非常に勿体ない。

確かに「俺はストーンズみたいなスタイルのバンドが好きなんだからいいだろ?」とあなたは言うだろう。ではそのストーンズの「スタイル」って何だろう? そのストーンズこそ、常に時代や流行と戦い続けてきたバンドの代表なのではないだろうか? 歴史は語っているはずだ。ディスコやダブ、ヒップホップにテクノ‥‥それを本流にはしなかったものの、常にストリートでの流行を取り入れてきたのは他でもない、彼ら自身なのだ。

俺はロックンロールを愛している。素晴らしいメロディにも感化されるし、カッコいいギターリフにも痺れる。ビートの複雑さに涙したり、シンガーの声を聴いただけでイきそうになる事もある。けど、こうやって過去を振り返ってみると、常に俺を突き動かしてきたのは、歌詞だった。自分にとって最もパンクなモノとは、実は「歌詞の非凡さ」だったりするのかもしれない。勿論、誰の心にも訴えかけるようなラヴソングも好きだし、ある時にはそういう歌詞も自分にとって「最もパンクなモノ」となる事がある。時々、誰が聴いても下らなくて幼稚な歌詞を持った、バカバカしい楽曲と出会う事もあるが、自分の感性に合えばそういう歌だって孤高なモノとなる事がある。

ロックの基準というものがもし存在するのなら、それは人それぞれ違うもののはずだ。寧ろそうでなくてはいけないと思う。ロックというものは楽曲そのもののスタイルではなく、演者/聴き手が最も信じるモノなのだ。だからここで俺が「俺にとっては歌詞が強烈なモノによりロックを感じるんだ」と言ったとしても、それは他者にとっては「ふざけんな!」という事になりかねない。先に登場した「歌詞の内容はあまり重要視しない」という方々にとってはたまたまそいいうモノがロックの基準から外れるだけなのであって、だからといってないならないで困ってしまうのも歌詞だったりする。

でも、もしあなたに少しでも他者を受け入れる余地があるのなら、悪いことは言わない。1度この曲‥‥歌詞に耳を傾けて欲しい。そして歌詞カードに目を向けて欲しい。そこにはまだあなたが出会った事のない「何か」が必ず存在する。文学作品に向かい合うのではない。ロックンロールと向き合うのだと思って欲しい。作者からの「手紙」だと思って、気軽に読んで欲しい。そして今一度、あなたにとってのロックとは?という命題と向き合ってみて欲しい。

結局、俺はこの「とみぃの宮殿」という場で如何にロックンロールの素晴らしさを伝えていくか?という命題と戦う事が使命なのかもしれない。そいうい意味で、俺は開設2周年を記念する月のオススメにこの楽曲を選んだ。これが俺の意思表明。去りたい者は去ればいい。ついてきたい奴だけついてきな。



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投稿: 2000 12 19 12:00 午前 [1995年の作品, BOOM, THE] | 固定リンク