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2001/04/29

Cocco『クムイウタ』(1998)

  Coccoの人気/セールスを一気に加速させたのが、このセカンドアルバム。前作リリース後、'97年末にシングルとして"強く儚い者たち"をリリース。当時CMソングとしてタイアップされた事もあり、また耳に馴染みやすいレゲエ・サウンドも好評だったのか、チャートのトップ10入りを果たす。そして、テレビの歌番組への出演。ここで我々は更に衝撃を受けるのだった。

  続くシングル"Raining"のヒットも手伝い、アルバムはチャート初登場1位を記録する事となる。アーティストとしては純粋に喜ぶべき事だろうが、俺は当初「何か違うんじゃないか?」とずっと思っていた。みんな、そんなに彼女の歌を欲しているのだろうか? そんなに満たされない人間が多いのだろうか?、と。

  Cocco自身の「Special Thanks To」の欄、このアルバムでは以下の言葉が綴られている。


消えない過去たちへ
消したい記憶たちへ
消せない想い出たちへ
限りない憎しみと
おびただしいほどの愛と
おやすみのキスを込めて


  このアルバムでも彼女は「憎しみ」を初期衝動として唄っている。しかし、ここではそれだけではなく、もっと彼女の根本的な、正しく「消えない/消せない過去の記憶」を吐露している。その代表例として、ヒット曲"Raining"が挙げられる。既にインタビュー等でも語られているが、この曲の歌詞は全て実話だそうだ。勿論彼女の歌というのは、全て事実に基づいて書かれているが、特にこの曲に関しては衝撃的だった。


「ママ譲りの赤毛を/2つに束ねて/みつあみ 揺れてた/(中略)/静かに席を立って/ハサミを握りしめて/おさげを切り落とした」「髪がなくて今度は/腕を切ってみた/切れるだけ切った/温かさを感じた/血にまみれた腕で/踊っていたんだ」「それは とても晴れた日で/未来なんて いらないと想ってた/私は無力で/言葉も選べずに/帰り道のにおいだけ/優しかった/生きていける/そんな気がしていた」「教室で誰かが笑ってた/それは とても晴れた日で」


  何故彼女が教室で手首を切る事になったのか、本当のところ俺は判らない。憶測で書くのは気が引けるのでやめておくが、それだけの事があったのか、衝動的なものだったのか誰にも判らない。ここで問題にすべき点はそういう事ではない。"強く儚い者たち"という最初のヒットシングルを生み出した後の楽曲が、実はこの曲なのだ。正直、ラジオやテレビでのオンエアさえ危うい歌詞が含まれている(事実、この曲で二度目のテレビ出演となった時、腕を切った~が含まれる2コーラス目はカットされた)。何故そんなリスクを犯してまで、彼女を取り巻くスタッフ達はこの曲をシングルとしてリリースしようとしたのだろうか? この曲を選んだのはCoccoだったのかもしれないし、或いはスタッフだったのかもしれない。俺は事実を知らないが、これはアーティストとしてはかなりの冒険だったはずだ。しかも両A面となる"裸体"という曲も、どことなく近親相姦を思わせる歌詞だし。まぁCoccoというアーティストがセールスに無頓着なのは理解出来るが、それを取り巻くスタッフまでもがそうだとは到底思えない。売ってなんぼの世界なのだから。いくら「アーティストの世界観を大切にする」だの言っても、結局売れなければ次のCDは発表できないかもしれない。話題性だけでは生き残れないのだ。そういう意味で、本当に恵まれた環境にいたアーティストだったんだな、とつくづく思う。

  このアルバムで、いよいよ彼女は沖縄への想いのようなものを唄い始める。その一例として、沖縄現地の言葉を多用している点が挙げられる。アルバムタイトルである「クムイウタ(=子守歌)」「ゴーヤ」「ウージ(=さとうきび)」「デイゴ(=沖縄の県花)」「ウナイ(=姉妹)」といった言葉が、当たり前のように登場する。沖縄での想い出、それが先の「Special Thanks To」欄の「消えない/消せない過去の記憶」なのだろう。それが"Raining"なのだろう。しかし、そこには憎しみ以上に、それをも包み込む優しさを、何となくだが感じる。前作に引き続き、怒りや憎しみをテーマにした楽曲は多いものの、それ以上に耳につくのは「やさしさ」だった。この「やさしさ」こそが、Coccoという人間/アーティストをひと回りもふた回りも大きくさせた要因なのだと、今はそう思えるのだ。

  その「やさしさ」を更に判りやすく表現する楽曲群。前作よりも激しさは影を潜め(勿論、前作同様ヘヴィな"濡れた揺籃"といった楽曲も収録されているが)、先のシングル2曲を含め、非常に大らか且つムーディーな楽曲が増えている。個人的にはかの有名な作曲家サティの"月光"をイメージさせる"SATIE"が、シンプルながらも気に入っている。やはりアルバムタイトル(子守歌)が全てを物語っているように思う。

  サポート陣も前作のメンツに加え、最近ではHALというプロデュース・チーム/ユニットとして浜崎あゆみに楽曲提供したり、自身も女性ボーカルをフューチャーしてデビューした梅崎俊春が新たに加わっている。Coccoとエイベックス、全く繋がりは感じさせないが、この後彼女の最後の作品までの付き合いとなるのだから、やはりプロとして的確な仕事をしている証拠だろう。

  聴き易さの点では、4作目「サングローズ」に匹敵する作品だ。初期の過激な歌詞/作風と、後期の癒される空気との橋渡し的作品とも言えるだろう。"強く儚い者たち"や"Raining"等、楽曲単位では思い入れが強いものが多いのだが、アルバムとしては実は最も思い入れが薄い作品だったりする、個人的には。やはり当時の「ネコも杓子もCocco」みたいな空気に嫌気がさしていたのも大きく影響している。現に、普段はドリカムやエイベックス系しか聴かないような普通の女性までもが、カラオケでそれらの楽曲を唄っている姿を目にした時‥‥強烈な違和感を感じたのだ。そしてCoccoは、そういう流れを断ち切るかの如く、次のアルバムまでに2年を要する事となるのであった。



▼Cocco『クムイウタ』
(amazon:国内盤CD

投稿: 2001 04 29 12:00 午前 [1998年の作品, Cocco] | 固定リンク