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2001/06/05

MANIC STREET PREACHERS『GENERATION TERRORISTS』(1992)

「30曲入りの2枚組アルバムを1枚だけ作って、世界中でナンバー1になって解散する。上手くいかなかったらその時も解散」‥‥初期マニックスといえば、この名(迷)言だろう、間違いなく。そんな彼らが1992年2月に放ったのが、このアルバムだ。だがしかし、公言通りの作品とならなかったことによって、一種神がかっていたデビュー前のマニックスは、ここで「ただのバカ」「負け犬」のレッテルを貼られることとなる。

1991年春にメジャーレーベルである「COLUMBIA」(後のEPIC UK)と契約したマニックス。まずはシングル"Stay Beautiful"を発表する。既にインディーズでは1位を取っていた彼ら、このメジャー第1弾はナショナル・チャートの40位まで上昇する。続く"Love's Sweet Exile"は26位、そして1992年に入り再録音した"You Love Us"は16位と着実にチャート上での成功を手にしていき、2月14日にいよいよファーストアルバム「GENERATION TERRORISTS」がリリースされるのであった。が、しかし‥‥

公言していたような30曲入りの2枚組アルバムではなく、18曲入りの1枚ものCDだった。かろうじてアナログ盤は2枚組だったものの、30曲には12曲も足らなかった‥‥単に力尽きたのか、レコード会社が拒否したのか定かではないが‥‥まぁ普通デビューアルバムで2枚組なんて拒否するわな。ただでさえ売らなきゃならない存在なのに、話題だけ先行していたとはいえ、本当にそれを出すかとなると‥‥やはり無理だろう。そこで本当に30曲入りだったら、ある意味「伝説」になってたのだろうけど‥‥反吐が出るくらいに。

まぁ18曲でもいい。パンクが18曲だったらきっと、このアルバムはここまで語り草にはならなかっただろう‥‥そう、18曲でも十分すぎるくらいに内容が濃いのだ。パンクあり、ハードロックやメタルあり、なんならスラッシュっぽいギターリフあり、アコースティックあり、メロディアスなミディアムあり、女性ボーカルの入ったポップソングあり、ヒップホップ調リミックスあり、とバラエティーに富んでいるのだ。普通、ファーストアルバムといったら自己紹介として、自らが最も得意とする手法で勝負するはずだ。インディーズ時代のマニックスを想定すれば、きっと18曲入りのパンクアルバムになるはずだと、皆が信じていたはずなのだ。しかし出来上がったのは、ビッグプロダクション、ドラムはリズムボックス使用のカッチリした作り、ギターは更に厚みを増し、更にメロウで泣きの要素が増し、シンセまで被せている。「LONDON CALLING」(THE CLASHの名作)のようなアルバムを期待したファンを、ここまで裏切ったデビューアルバムもないだろう。

アルバムリリース後も"Slash N'Burn"(20位)、"Motorcycle Emptiness"(20位)、"Little Baby Nothing"(29位)をシングルカットし、その間には更に、アルバム未収録のカヴァー曲"Theme From M.A.S.H. (Suicide Is Painless)"を発表し、初のトップ10入りを果たす。この時期のシングル攻勢は半端なもんじゃなく、どのシングルにも必ず2~3曲の未発表曲/新曲が収録されていた。これらを全部足せば30曲にはなるだろう。なんだ、そういうことか(笑)。で、どの曲も決して捨て曲という感じではなく、かなりフックの効いた曲が多い。「マニックスB面曲には名曲多し」という格言があるが、それは間違いなく本当だ。特に「EVERYTHING MUST GO」までの各シングルのカップリング曲は、どれも素晴らしい。既に廃盤となっているシングルも多いが、見つけたら即買いだ。

それにしても、なんでここまでとっ散らかった内容になったのだろうか。これは以前どこかで書いたかもしれないが、俺はマニックスを「サンプリング世代の代表」だと考えている。現在ではオリジナリティーに溢れた楽曲を連発しているが、この頃の楽曲は過去の偉人達からの流用が多く(とはいってもパクリとかそういう次元ではないのだが)、例えば初期パンクの姿勢だったり、HANOI ROCKSやNEW YORK DOLLSらのルックス/ファッション、GUNS N'ROSESのフックが効いた楽曲や粘っこいギター、PUBLIC ENEMYに代表されるような政治的メッセージ‥‥ヒップホップ世代とまでは言わないが、これらの偉人達からオイシイ要素をサンプリングし、4人の才能と共にミキサーにかけ、出来上がったのがこのアルバムだと言えるだろう。勿論、これはかなり無茶苦茶なこじつけではあるが‥‥彼らは過去の偉人達に憧れて、ああいう風になりたかった。どんなに醜い生き様を晒そうが、それが伝説になるのだと‥‥他者に殺されたジョン・レノンを笑うことで、彼らはまず歴史に名を残そうし、暴言の数々を繰り返し「俺達はフェイクなんかじゃないぜ!」とポーズをとる。しかしそれが逆効果なのは全て計算済みなのだ。だから彼らは「作品」で結果を残そうとした。素晴らしい楽曲、素晴らしいアルバムこそが彼らにとって全てだったのだ。リッチーにはそれだけの自信があった。そしてこれはそれに見合った内容だった(と今でも信じたい自分がいる)。

しかし、結果は惨敗。アルバムは初登場こそ13位だったが、その後それ以上チャートを駆け上がることはなかった。ここ日本では例の解散発言が話題を呼んで、4万枚という新人としては異例のセールスを記録、同年春の初来日も大成功に終わった(内容は別として)。しかし、ここ日本でも当然1位になることはなかった(総合チャートはおろか、洋楽オンリーのチャートでさえも)。アメリカでも同年初夏に再編集されてリリースしたのだが、ビルボードの100位以内にも入らなかった。惨敗。完全なる敗北。残された道はただひとつ、「解散」だった。

ところで、当時誰もが不思議に思っただろうが、マニックスはCOLUMBIAとの契約の際に、「アルバム5枚」分の契約を交わしているのだ(笑)。じゃあ残された4枚分の契約は、どうやって消化するのか‥‥来日当時のインタビューで(確かリッチーとジェームズだったと記憶しているが)「KISSみたいにメンバー4人同時にソロアルバムでも出したらどうですか?」と記者に提案され、「それ、いただき!」と言ったとか、言わないとか‥‥(苦笑)

Gttape実は俺、これらの「解散発言」なんて、当時はこれっぽっちも知らなかった。そもそも彼らが載るような雑誌なんて読んでいなかったし(そう、当時はまだ「BURRN!」にお世話になっていた時期だ/笑)、その前年に"You Love Us"のインディーズPVを観たきりだったのだ。名前こそ記憶の片隅に残っていたものの‥‥

'92年1~3月、俺はイギリスに短期留学していた。そこでよく「ケラング!」や「メタル・ハマー」のようなHM/HR専門誌を購読していた。で、当時からこれらの雑誌でマニックスやTHERAPY?といったバンドは話題になっていたのだ。この「GENERATION TERRORISTS」というアルバムも確か5つ星で満点の評価を受けていた。で、買ったわけだ、右にあるカセットを(これはかなり貴重じゃないだろうか?)そりゃ聴きまくったさ、当時‥‥テープが擦り切れるんじゃないかって程、毎日聴き込んだ。そして帰国後、国内版CDを買い揃えたのは言うまでもない。当然、ミニアルバム「STAY BEAUTIFUL」も。残念ながら初来日公演には足を運べなかったが(初めて観たのは翌年秋の2度目の来日時だった)、60分で終わったとか、演奏がアマチュア以下だったとか、リッチーのアンプからは音がしない(笑)とか、いろいろな神話を残して初来日を終えたそうだ。

記録に残るデビューアルバムを発表したアーティストはそれ以前にもごまんといたし、これ以後にも沢山登場した。しかし、ここまで記憶に残るデビュー作を発表したのは、後にも先にもマニックスのみじゃなかろうか?(頭脳警察の場合は、当時は発売されなかったのでこれには入らない)この「1位を取れなかった」という敗北感がその後のバンドの、いや、リッチーの運命を大きく変えていくことになるのは、また先々に話すこととしよう。



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投稿: 2001 06 05 09:48 午後 [1992年の作品, Manic Street Preachers] | 固定リンク