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2001年9月 9日 (日)

よく解るBLACK SABBATH:その2 ~“GODFATHER OF HEAVY METAL”の素顔~

今現在のBLACK SABBATHを語る時にどうしても必要となるのが、このボーカリストであるオジー・オズボーンの、サバス脱退後から現在に到るまでのソロ活動である。「メタル界にこの人あり」「メタル界のゴッドファザー」とまで呼ばれたこの男を理解しない限り、真の意味でサバスを理解したとは言えないだろう。今回はオジーのソロ活動にスポットライトを当てて、サバスとソロとの違い、そして何故彼が多くの若手からベテランにまで支持されるのかを考察していきたい。

まずは簡単なサバス脱退後の歴史から。1979年にサバスを再脱退したオジーは、元QUIET RIOTのランディ・ローズ(G)、元RAINBOWのボブ・デイズリー(B)、元URIAH HEEPのリー・カースレイク(Dr)というメンバーを集め、新バンドBLIZZARD OF OZZを結成する。そしてバンドはキーボードに元RAINBOWのドン・エイリーを迎えてファーストアルバム『BLIZZARD OF OZZ』を1980年にリリース。最初はバンド名義でシングルもリリースされていたのに、いざアルバムとなると何故かオジーのソロ名義に。ファーストをリリース後すぐにセカンドのレコーディングに突入し、ファーストと共に名盤として挙げられる『DIARY OF MADMAN』を翌1981年に発表。しかし、アルバムリリースと時同じくしてボブとリーが脱退。代わりに元QUIET RIOTのルディ・サーゾ(B)、後にルディと共にWHITESNAKEに加入する事となるトミー・アルドリッヂ(Dr)が加入する。このメンバーでのライヴが後(1987年)にライヴアルバム『TRIBUTE』としてリリースされることとなる。

順風満帆だったように見えたオジーが暗雲に包まれ始めたのが、1982年3月19日。全米ツアー中の移動での飛行機事故により、ランディ・ローズが帰らぬ人となる。暫くは後任として元GILLANのバーニー・トーメや現NIGHT RANGERのブラッド・ギリスを迎えて窮地をしのいだが、音楽的にも精神的にもオジーから欠けたものは大きかった。ブラッドを迎えて同年9月にランディ追悼ライヴを行い、それをライヴレコーディングしたものを発表する予定だったが、録音状態が劣悪だったり収録時間が異常に短かったこともあり、結局サバス時代の曲のみを収めたライヴ盤『SPEAK OF THE DEVIL』として発表。

翌1983年、正式な後任ギタリストとして元ROUGH CUTの日系アメリカ人ギタリスト、ジェイク・E・リーを迎えて、サードアルバム「BARK AT THE MOON」を発表。アルバムにはドラムにカーマイン・アピス等を迎えている。そして1986年には新たに若手メンバー、ランディ・カスティロ(Dr)とフィル・スーザン(B)というアメリカ人を迎え、4作目『THE ULTIMATE SIN』を発表。当時流行だったLAメタル的サウンドを取り入れた結果、全米6位まで上昇、初のプラチナ・アルバムを獲得する。しかし翌年、ジェイクが脱退。オジーは再び曲作りのパートナーとなるギタリストを捜すこととなる。

その間のつなぎというわけでもなかったが、ちょうど五周忌を迎えた事もあってか、1987年にはランディ在籍時のライヴを収めた追悼盤『TRIBUTE』を発表。と同時に、当時まだ19歳だった新人ギタリスト、ザック・ワイルドの加入を発表する。そして翌1988年にはザック、旧友のボブ・デイズリー、ランディ・カスティロ、キーボードに元URIAH HEEPのジョン・シンクレアを迎えて5作目『NO REST FOR THE WICKED』を発表。サバスのトニー・アイオミを彷彿とさせるリフワークやワイルドなソロプレイを信条とするザックに我々は目を奪われる。アルバムリリースと同時にベースがボブからサバス以来9年振りの共演となるギーザー・バトラーとの交代劇もあったりしたが、以後は順風満帆に見えた活動。しかし、再びオジーを悪夢が襲う。

1990年に6曲入りミニ・ライヴアルバム『JUST SAY OZZY』を発表するも、この前後オジーはアルコールに蝕まれていた。そしてオジー婦人であるシャロン・オズボーンとの夫婦喧嘩が起因となる殺人未遂に及ぶ事件、それによるオジー逮捕。その後不起訴で釈放されたものの、家族にまで手を出してしまったオジーは生涯何度目かの薬物中毒更正施設への入所を決意。クリーンになったオジーは創作に対して意欲的になり、ザックとランディを招集し、当初はボブ・デイズリーをベースに迎えて新たなアルバム制作に臨む。後に新人ベーシスト、マイク・アイネズ(後にALICE IN CHAINSに加入)を加え、1991年に6作目『NO MORE TEARS』を発表。が、このアルバム制作中にオジーは引退宣言を発表する。アルバムは当然のようにトップ10入り、ワールドツアーも大盛況。そして初の全米トップ20シングル(「Mama I'm Coming Home」)も生みだし、さらにはグラミー賞も受賞する(「I Don't Want To Change The World」)。そしてオジーは1992年11月15日、カリフォルニア州コスタ・メサでのライヴで無事引退する事となる。この日のライヴではスペシャルとして、たった数曲だがオリジナル・サバスの再結成もあった。

1993年には前年までのラスト・ツアーの模様を収録したライヴ盤『LIVE & LOUD』をCDとビデオで発表し、翌1994年にはサバス・トリビュートアルバムに自らゲストとして参加。地味ながらも音楽活動を続ける。やがて、再びステージが恋しくなり引退宣言撤回(笑)。再びザックを呼び戻し曲作りを開始する。当初スティーヴ・ヴァイとの共作も噂されたが(実際に行ったが、バンド結成にまでは到らなかった)、これまで以上に外部ライターとの共作を繰り返し、旧友のギーザー・バトラー、そして新たなドラマーとしてディーン・カストロノヴォを迎えて1995年に7作目『OZZMOSIS』を発表。アルバムチャート4位に初登場する。その後ザックが離脱し、新たに元LIZZY BORDENのジョー・ホルムズが加入。ドラムもいつの間にかランディ・カスティロが出戻り、ベースもギーザーから元SUICIDAL TENDENCIESのロバート・トゥルージロが加入。そしてランディがMOTLEY CRUEに加入した事もあって、代わりに元FAITH NO MOREのマイク・ボーディンが加入……というように、収拾がつかなくなる(笑)。

1996年には新旧のラウド・ロックバンドを集めた初のヘヴィ・ロック・フェスティバル『OZZ FEST』を開催。現在に到るまで毎年行われているように、大盛況。そして'97年にはオリジナルBLACK SABBATHが再結成。その後のオジーはソロとサバスの二枚の草鞋を履き、50歳を超えても尚盛んに動き回っている。

さぁ、そのオジーのソロ活動時の音楽性だが……さらにヘヴィ・メタリックな音をメインとしながら、その歌メロはサバス時代以上にポップでメロディアス。そこがメタル初心者にも親しみやすさを与えている。しかし、オジーのパブリックイメージはというと、ステージで生肉食ったり(笑)、生きた鳩を食ったり(爆)とか、怖いイメージしかない。今では人のいいオヤジ的イメージがあるだろうが、現在のようにインターネットもなければ、情報伝達までに数ヶ月かかっていた80年代初頭にメタルを聴き始めた俺などは、オジーは本物の悪魔だと思ってたくらいだから(苦笑)。「ステージで生肉食ってそれをまき散らすらしい」とか「平和の象徴である鳩を食うなんて、やっぱ悪魔だよ」って話を中学時代、クラスでしてたっけ‥‥微笑ましいなぁ、今となっては(爆)。確かに生肉をステージで食らってた時期もあったし、写真撮影の為に鳩(確かオモチャだったと後で言ってた)をくわえた事もあった。そしてサバス時代の黒魔術的イメージ。1982年に初めて来日するまで、いや、した後もしばらく(笑)、オジーはホンマもんの悪魔だと思われていた(多分俺だけではなかったはず)。

ランディ・ローズを失った後のオジーは特に無気力だったり、酒の力もあってこういうイメージで語られる事が多かった。勿論、サバス時代のイメージを求めるメディアの力もあるだろう。こうした外界からの要求に素直に答えてしまう辺りに彼の人の良さを感じてしまうのは、俺だけだろうか?(笑)

さらに彼は、ステージを降りれば、「ジョン・オズボーン」というどこにでもいそうな、妻と子供達を愛するオヤジに戻る。今の彼にとってはどちらかひとつが欠けてもダメなのかもしれない。一時、彼が引退を宣言した後に「やっぱりステージが恋しい」と言って復帰したのも、結局はバランス感を失った事が原因なのかもしれない。平凡な暮らしの中でどんどんと太っていく自身の姿を鏡で見た時、初めてギョッとしたと言っている。それからエクササイズを始めたり、音楽に真剣に取り組んだりして、再び表舞台に舞い戻っている。

イメージにないかもしれないが、オジーの若い、新しい才能を見つけだす能力も他より優れている。例えば当時無名に等しかったランディ・ローズの起用。QUIET RIOTはランディを欠いた後、1983年にブレイクするまで、ここ日本でのみアルバムが出ているというバンドでしかなかった。そんなランディを起用したのは、単にギタリストとして優れていただけではなく、ソングライターとして、そして楽器の弾けないオジーからメロディーを引っ張り出す才能にも長けていたのだ。ランディだけではない。後任であるジェイクだってそうだし、結局何だかんだありながらも現在も活動を共にしているザックにしてもそうだ。どのメンバーも単にギタリストとして以上の仕事振りを発揮している。そしてバンド脱退後、皆オジーバンド在籍時以上の成功を得られていないという面も共通している(苦笑)。まぁそれぞれがオジーバンド在籍時とは全く別の側面を見せる活動をしている事も影響してるんだろうけど……個人的にはジェイクがバンド脱退後に結成したBADLANDSも好きだし、ザックのソロ作品は全て愛聴している。

ギタリストだけではなく、例えば後にALICE IN CHAINSに加入する事となるマイク・アイネズや、LAのインディーシーンで日の目を見ずにいたランディ・カスティロやフィル・スーザンといったメンツにも脚光を与えた。最近はメタル界よりもオルタナ/ラウド・ロック界に影響を強く与えているようで、90年代前半に脚光を浴びたバンドのメンバーに再び白羽の矢を立てている。それがマイク・ボーディンであり、ロバート・トゥルージロである。それぞれかなりの凄腕だ。音楽性が一致しなかった為に早々とクビを斬られてしまった(実際のところ、その脱退理由は今をもって不明だが)ジョー・ホルムズも卓越した技術を持ったギタリストだった(しかし、シングルトーンのストラトの音は、オジーのようなメタルには不向きだったように思う)。

自身のバンドメンバーだけにとどまらず、ライヴで起用するオープニングアクトにも先見の明があったように思う。当時ブレイクに程遠かったMOTLEY CRUEやMETALLICAを起用し、しかもステージ使用に制限を与えなかったという。今でもモトリーのニッキー・シックスとは互いに影響を与え合う仲だそうだし、METALLICAのメンバーが緊張しながらオジーにサインを貰いにいった逸話等は、今の彼らを考えるととても微笑ましい。こういう若手の起用、そして自由にやらせるという点は、現在のOZZ FESTにも引き継がれている。若手に影響を与えるだけでなく、チャンスも与え、そして自らにもフィードバックさせる。そこまでちゃんと計算しているとは到底思えないが(笑)、こんなベテラン、特にメタル/ラウド・ロック界には他にはいないだろう。LIMP BIZKITやKORNのメンバーが始めた『FAMILY VALUES TOUR』も、もとを正せばオジーのアイディアからの拝借に過ぎない。

ちょっと前に、スウェディッシュ・ポップが流行した時、THE CARDIGANSがオジーの「Mr.Crowley」をカバーしたことがあった。つい最近リリースされたオジーのトリビュートアルバムでは、メタル界の面々に混じってリサ・ローブが参加し、名曲「Goodbye To Romance」を自己流カバーしている。さらに昨年、日本のPENPALSがシングルで「Crazy Train」をパンクカバーしていた。何もラウドロック界だけではない。多くの人間に影響を与えている。みんな通過しているのだ、オジーを。それ位偉大な存在。すでに“GODFATHER OF HEAVY METAL”ではなく“GODFATHER OF ROCK”のポジションにまで昇り詰めようとしているオジー。けど、当のオジーは「そんなモン、メシの足しにもなりゃしねぇ。糞くらえ!」とでも言いながら蹴散らかしてくれるに違いない(笑)。そんな存在、それがオジー・オズボーンなのだ。

きっとサバスよりもオジーのソロの方が聴きやすいって人、多いと思う。それでいいと思う。サバスとオジー、コンセプトは一緒のようで実は別なのだから。ある意味では対極にあると言っていいかもしれない。方や人々を恐れさせるバンドの一員。方やどんなアホな事やっても愛されてしまうソロシンガー。この二つを同時に演じてしまえるのが、今のオジーの強みなのだ。2001年10月。いよいよ6年振りのソロアルバムがリリースされる。三度ザック・ワイルドと手を組み、新たなリズム隊を取り入れたその作風は、これまでのソロよりもダークで、それでいていろんな要素を取り入れていると聞く。50歳を過ぎても尚盛ん。まだまだオジーからは目が離せない。そしてこれを読んでちょっとでもオジーが気になった人。上の2作品を予習してから、来るべき新作を手にしてみようではないか?

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