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2003年11月26日 (水)

PEARL JAM『VITALOGY』(1994)

ひと月振りにシリーズ再開。今回から暫く「シアトル/グランジ・シーン」を中心にお送りしていこうかと思います。まず手始めに、現在も変わらず活躍し続けているメジャーバンドのひとつ、PEARL JAMが'94年末にリリースした通算3作目のオリジナルアルバム「VITALOGY」を紹介しましょう。

PEARL JAMがグランジ以前のシアトル・シーンの中でカルト的な人気を得ていたバンド、GREEN RIVERとMOTHER LOVE BONEのメンバーによって結成されたバンドだということはご存じでしょうか? いや、もはやそんなことは問題ではないですよね。そんなふたつのバンドのメンバーが合体し、更にエディ・ヴェダーという新たなる「カリスマ」を手に入れた、それがPEARL JAMでした。

デビューは'91年秋。NIRVANAの「NEVERMIND」とほぼ同時期にリリースされた「TEN」でシーンに登場するわけです(そういえばこの2枚、日本盤が出る前に一緒に輸入盤で買ったんだっけ)。が、当初はあまり話題にはなりませんでした。

しかし、NIRVANAのブレイク('91年末以降)によって、同じようなシアトル出身のバンド達が全面的にメディアに取り上げられるようになり‥‥そう、所謂「第二のNIRVANA」を探せ的な青田買い状態だったわけです‥‥運良く'92年春に発表したPEARL JAMのセカンドシングル "Even Flow" のPVがMTVでヘヴィローテーションとなり、ここから彼等の人気に火がついたわけです。実際このPVはライヴ映像なんですが、彼等の魅力を余すところなく収めた非常に素晴らしいPVだったと記憶してます。

その後の彼等の大躍進は説明するまでもないでしょう。「TEN」が1,000万枚に迫る勢いで売れ続け、'93年10月にはセカンドアルバム「VS」をリリース(そもそもこのアルバム、最初は無題でリリースされたんですよね。セカンドプレスからこのタイトルが付いたわけで)、PVの制作やシングルカット、雑誌メディアへの露出を一切止めたのもこの頃から。まぁあれだけ大ブレイクしてカリスマだの書かれたり、あることないこと噂を書かれ‥‥そりゃ嫌気も刺しますよね。NIRVANAとの比較、メディアがでっち上げた確執等、ホントいろいろあったわけですよ。

しかし、この後ひとつの時代が終わるわけです。そう、'94年4月。カート・コバーンの自殺ですね。これはライバルであり友人でもあったPEARL JAMのメンバーにも衝撃を与えます。勿論エディにも‥‥

所謂「グランジ終焉の幕引き」を始めたのがカートだったとするなら、その最後のトドメを刺したのがPEARL JAMのこの「VITALOGY」というアルバムだったように、今となってはそう思えますね。

このアルバムは前2作とは若干作風が異なります。ダイナミックなハードロックチューンとムーディーで穏やかなトーンの楽曲によって構成されていたファースト、その流れを組みつつもより荒々しくなっていったセカンドの後、彼等はこの「VITALOGY」で一気に爆発してしまいます。それは「グランジの象徴」と呼ばれたカートに対する哀悼であり、そのグランジそのものに対する怒りや憤りであり、更には『PEARL JAM』というバンドに対して貼られてしまったレッテルを焼き尽くすこと‥‥だったのではないかな、と思うわけです。

バンドとして新たな岐路に立たされていたのも事実ですし、そういったネガな要因が彼等の作品づくりに影響したのもまた事実でしょう。しかし、それにしてはこのアルバムはいびつ過ぎはしないでしょうか?

頭2曲の勢いと攻めと叫び。1曲目のタイトルが "Last Exit" というのも何かそれらしいし、続く2曲目はもはやパンク以外の何ものでもない "Spin The Black Circle"、しかもこれがアルバムから最初のシングルとして選ばれた事実。3曲目では聴き手に "Not For You"(「この曲はおまえらの為のもんじゃないよ」)と高らかに宣言し、まるでU2をオルタナ化してしまったかのような "Tremor Christ"、前作までの流れを組むムーディーな "Nothingman"、再び熱く滾る血を見せつける "Whipping"。ここまでが所謂「第一章」。極端に攻撃的ながらも、ここまでのサウンドはまだPEARL JAMとして考えて納得のいくものなんですね。

ところが‥‥7曲目以降の「第二章」、このアルバムはここからが「その後のPEARL JAM」を示唆するような内容になっているんですね。インタールード的な "Pry, To" に続き従来の路線を更にディープにしたかのような "Corduroy"、それまでのPEARL JAMとかなりかけ離れた前衛的なアコースティックナンバー "Bugs"、これまでになかったような色合いを持つ "Satan's Bed" の後にこのアルバムのハイライトとなる "Better Man" に到達します。その後、ムーディー且つグルーヴィーな "Aye Davanita"、アルバムの閉めに相応しい名曲 "Immortality" ときて、最後に8分近くもあるサウンドコラージュ的インスト "Hey Foxymophandlemama, That's Me" で混沌を極め終了します。「第一章」での判り易さに比べ、「第二章」ではまるでメインストリームにいることに対して窮屈さを感じてるかのような作風で聴き手を翻弄するのです。

そう、元々は(メジャーのソニーからアルバムをリリースしていたとはいえ)シアトルのオルタナティヴシーンの中のひとつであったPEARL JAMが、チャート上での大成功を収め、気づけば自身がメインストリームの代表格と呼ばれるようなバンドに変わっていたわけですよ。そうした「自身が気づかないうちに起こった」変化に対する、周りからの批判や酷評。そしてそんなバンドを支えてくれるファン。そういったことに対する答えがこの「VITALOGY」だったのではないでしょうか?

このバンドは非常に器用で才能に溢れたミュージシャンの集まりだなと個人的には思ってます。だからメジャーに耐えうる作品作りも難なくできるし、同時に非常にマニアックで前衛的と呼べるような作風に持っていくこともできる。そう、だからこそ彼等は非難さることが多かったのかもしれませんね。

その後の彼等がこの「VITALOGY」での「第二章」で見せたような作風を押し進めていったのは承知の通り。初期のハードロック的作風が好みの人には、このアルバム以降の作品が正直厳しいというのも頷ける話です。しかし、何度も言うようにこのバンドの真骨頂は「VITALOGY」以降なのですよ。このアルバムでグランジという見えないムーブメントにトドメを刺したからこそ、このバンドはその後もアメリカで根強い人気を持ち、現在に至るのかもしれません。と同時に、だからこそここ日本では彼等はウケが悪いのかもしれません‥‥いや、それは違うか。

このアルバムを引っ提げて'95年2月、彼等は初めて日本で演奏する機会を得ます。今や伝説となっている武道館公演、俺が生涯観たライヴの中でも間違いなく3本指に入る衝撃的なライヴだったことをここに記しておきます。このアルバムに伴うツアーだったからこそ、衝撃度が増したのかもしれませんね。



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投稿: 2003 11 26 03:20 午後 [1994年の作品, Pearl Jam] | 固定リンク