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2016/01/12

デヴィッド・ボウイ逝去に寄せて──ボウイとゾウイ、母と僕。

僕は『Let's Dance』世代だ。だから70年代の偉業なんて当時は知らない。「どうやら、そんな偉大な人だ」ってことぐらい。初めてレンタルでちゃんと聴いたアルバムは『Tonight』だし、初めて買ったCDは『Never Let Me Down』だし、Tin Machineなんてバンドを結成されても時代は80年代末のハードロック全盛期だから夢中になれるわけもなく。

80年代、つまり中高生だった僕にとってボウイは「『Let's Dance』や『Blue Jean』の人」「お酒のCMの人」「『戦メリ』や『ラビリンス』の役者」程度でしかなかったのだ。


そして1990年。上京した僕は東京ドームで初めてボウイを生で観た。と同時に、当時再発された初期作品CDに手を出し、ベスト盤『Changesbowie』を聴いて、初めてその功績に触れた。なんで誰も教えてくれなかったんだと。いや、自分が聴こうとしなかったくせに。そこからの僕は「グラム時代のボウイこそ正義。80年代以降はクソ」という、いわゆる頭でっかちなリスナーとして、90年代以降の作品を否定し続けた。『Black Tie White Noise』を「バンドで失敗した奴の出戻り」、『Outside』や『Earthling』を「時代に迎合しやがって」と貶し、『'Hours…'』にいたってはリリース当時購入さえしなかった。そして90年代前半に活動していたバンドではライブのたび毎回「Suffragette City」を演奏した。1996年の『Outside』でのツアーも、昔の曲にしか反応しなかった。本当に嫌な客だったと思う。

でも僕も大人になり。おそらく30代に入ってからだろうか、素直に80年代、90年代の作品も受け入れられるようになった。きっかけは2000年代にリリースされた2枚のオリジナルアルバム『Heathen』と『Reality』だったか。そこから『'Hours…'』にようやくたどり着き、個人的に大切な1枚へと化す。2004年春から3年ほど配信した、著作権的に合法で音楽を流すネットラジオ『RADIO TMQ』(覚えてる人がどれだけいることやら)の初代エンディングテーマは、このアルバムの中の1曲「Seven」だった。きっと番組を始める直前の3月、武道館で『Reality』ツアーを観たから「ボウイの曲をエンディングテーマにしよう!」と意気込んだのかもしれない。とはいえ「Seven」はライブでもやっていなかったし、今となってはなぜこの曲をセレクトしたのかも覚えていないのだが。

……と、僕にとってのデヴィッド・ボウイはそういう存在。いや、伝わらないか。今では『Never Let Me Down』もTin Machineのアルバムも「しょうがねえなあ」と言いながら年に1、2度は手に取るし、グラム時代以上にプラスティックソウル時代やベルリン三部作時代が好きだし、『Black Tie White Noise』は今でも死ぬほど愛聴しているし。そんな存在。

でも、それ以上にボウイに対してシンパシーを感じるのは、ボウイが僕の母親と同い年(生まれた日も1ヶ月ちょっと違い)で、ボウイの息子ダンカン・ジョーンズと僕が同い年だから。だから、今回の件は自分が思っていた以上に堪えた。音楽的損失という意味でも、『★』という名盤発表2日後という突然の訃報という意味でも、もちろんショックだった。しかし、個人的には上のような理由で自分の境遇と重なってしまったがために、必要以上のショックを受けたんだ。

この年末、1年ぶりに実家に帰った。うちは片親なのもあり、わりと頻繁に母親と連絡を取っている。電話のたびに、体の不調であったり親戚や知人の訃報を聞かされる。当の母も2009年に甲状腺に腫瘍が見つかり(幸い初期段階で軽く済んだが)、現在も定期検診を続けている。この年の夏、フジロックなどの夏フェス参加を一切キャンセルしたのは、実はこれが理由だ。そして2011年秋に、長らく入院していた祖父も大往生。この頃から「あと何回、実家に帰って、こうやって母親と話すことができるのか」と漠然と考えるようになっていた。

2006年からの9年間、WEBのニュースサイトで働いていたこともあってか、正月も3が日帰省するのみ。タイミングが合えばお盆か夏フェスシーズンが終わってから帰省するくらいだった。だからフリーになった2014年末からはもっと肉親との時間を大切にしようと考えていた。しかし、幸運にもと言うべきか、フリーになってすぐに大きな仕事を受け持ち、年末年始も元日明け方まで仕事、新年も4日から稼働という状況で、ゴールデンウィークも仕事、7〜9月も毎週末フェスやイベントで稼働。そんなこともあり、2015年末は少しゆっくりしようと考え、12月31日から1月4日までの5日間を実家で過ごした。おかげで久しぶりにじっくりといろんな話ができた。実際、フリーになって不安を与えていたと思うし、WEBなんて見ない人だから自分が日々どういう仕事をしているかなんて理解してもらえていない。そんな母に昨年執筆・編集した書籍や雑誌の記事を手渡したことで、少しは安心してもらえたのではないかと思っている。

そんな矢先のボウイ訃報。そういえばボウイの誕生日に定期検診だったな、とかいろいろ思い出してしまい、なんとも言えない気持ちになった。出先でこの情報を知り、食事中だったにも関わらず周りを気にせずに泣いた。客こそ少なかったが、店員に不審がられたはずだ。その後、どうやって自宅までたどり着いたかの記憶はほとんどない。気付いたら自宅のPCでボウイの音源を再生し、YouTubeで動画を観ていた。多少アルコールも手にしていたのもあって、気がついたら寝落ちていたくらいだ。

正直、まだ気持ちの整理はついていない。今日もボウイの音源をずっと聴き続き、さっきまで『地球に落ちて来た男』を観ていたくらいだ。もはやボウイという才能の損失を悲しんでいるのか、自身の肉親に対する思いを憂いているのか、自分でもわからない。ただ、ボウイの曲を聴き続けていると不思議と何も考えずに済むのも事実。曲が途切れると同時に、現実に引き戻される。それが怖いから再び再生する。そんな日常が昨日からずっと続いている。

今は彼が最後に遺した『★』というアルバムを、音だけでなく言葉としても反芻しているところだ。きっとしばらくこの行為を繰り返しながら、自分の中で折り合いをつけるんだと思う。ボウイの死にも、そして迫りくる肉親の死に対しても。

投稿: 2016 01 12 07:33 午後 [David Bowie, 「R.I.P.」] | 固定リンク