尾崎豊『回帰線』(1985)
あれから13回目の春。俺は相変わらずグダグダな生活を送ってます。尾崎豊がこの世を去って12年。気づけば彼が亡くなった時の年齢を大幅に越え30代に突入‥‥けど、このアルバムを聴けば、何時でも初めて聴いた中学生の頃に、そして熱心に聴いた19~20歳の頃に戻れる、そんなアルバム。それが尾崎のセカンドアルバム「回帰線」。
1985年3月にリリースされたこのアルバム、先行シングルとしてリリースされたシングル "卒業" がヒットしたことを受けて発表、見事初登場1位を記録。シングル曲はこれと、カップリングだった "Scrambling Rock'n'Roll" 以外ないのだけど、他にも "ダンスホール" や "シェリー" といった有名曲を含むアルバムで、所謂「十代三部作」と呼ばれる初期3作の中で、個人的には作品として最も完成度が高いと思っている1枚。今聴くとやっぱり時代を感じさせるアレンジや演奏だったりする面もあるんだけど、やっぱり「歌」の響きは20年近く経った今も全く色褪せてないな、と。リマスターとかして再発すればいいのに‥‥とさえ思うんですが‥‥まぁ今度再発されたらきっとCCCDになっちゃうんだろうなぁ‥‥
1st「十七歳の地図」は、まだ高校生だった尾崎が、10代半ばの視点で作られた楽曲で埋め尽くされていて、所々に背伸びしてる面も感じられたりして、ちょっと聴いてて切ないアルバムだったんだけど、それがこのアルバムになると、急に「痛み」を強く感じるようになるんだよね。メジャーデビューして、高校を中退したまま社会に放り込まれ、周りの友人達とは違った道を歩み出したハタチ前の尾崎が感じたことを、ストレートに綴った歌詞‥‥確かにね、青臭さって意味で言えばファーストと近いものがあるし、30代の視点で見れば「う~ん‥‥」と言わざるを得ない面も多々あるわけですが、これを尾崎が歌ったから納得できたんだよな、俺。もしこれを他の奴に我が物顔で歌われても‥‥共感出来なかったと思うし。
ま、歌詞については‥‥実際に読んで判断して欲しいな。最近、いろんなところで「今の10代に尾崎を聴かせ‥‥」みたいな話を目に/耳にするんですが、やっぱり尾崎が通用するのって今の20代後半くらいまで‥‥「あの頃」を10代に通過した世代くらいまでなのかなぁ‥‥なんて思うと、ちょっと悲しく、そして切なく感じたりするんですが。通じないのかな、もうここで歌われてるようなことって‥‥
凄く個人的な話で恐縮ですが‥‥俺、10~20代の頃、バンドやってまして。それでメシ食おうと思って、専門学校まで行ったのに就職しないでフリーターやりながらバンドやって。ま、尾崎が亡くなった頃はまだ学生だったんですけどね。それでも毎晩夜中までバイトして、それを全部バンドにつぎ込んで。楽器買ったりスタジオ代にしたりレコーディング費用にしたりライヴに充てたり。とにかく、バンドやるのってこんなにも金がかかるんだ‥‥って実感した頃で。
その頃やってたバンドって、全部英語の歌詞だったのね。それはもう、完全にワールドワイドを目指してたから。本気でイギリスに行ってライヴやるって、その伝までマジで作って。歌詞を書いてたのはボーカルやってた俺なんだけど、全然違和感なくやってたのね。元々洋楽指向だったし、全然問題なかった。
ところがさ‥‥尾崎の死に直面して。それまでも尾崎は好きで聴いてたんだけど、改めてファーストから当時の最新作「誕生」までを一晩ぶっ続けで聴いて‥‥そしたら、日本語で歌うことがとても大切なんじゃないか、って思えてきて。確かに俺はワールドワイドで活躍したいって思ってる。けど、今現在目の前で相手にしているのは、同じ言語を喋る日本人だろ。その日本人にまず理解されるのが最初なんじゃないの?って。バンド結成当初は「日本になんかホントのロックなんて存在しねーよ。こいつらに理解できないから海外行こうぜ!」とかいきがって行ってたけど、結局それって単なる「逃げ」だったんじゃないかな‥‥そう思えちゃったのね。そうしたら居ても立ってもいられなくなって、寝ずに日本語の歌詞を書き始めて‥‥次の日、それ持ってバンドのメンバーの所へ行ったんだけど‥‥全部却下されて。結局また英語で歌う日々。その頃からだよね、初めて路上でギタ-1本で弾き語りをやるようになったの。尾崎が死んで、路上で尾崎の曲を歌う人はかなり増えた。だから俺は尾崎は歌わなかった。その代わり、同じように好きだった佐野元春とか自分の歌を歌ってた。そうすることで自分自身のバランスを保ってた。けどさ‥‥1年持たなかったね、バンドは。結局分裂して。解散って形を取ったけど、俺と他のメンバーが分裂した形。俺はそのままソロでまた路上に戻って、時々ライヴハウスで歌って。仲の良かった友人にバックを手伝ってもらったりしながらね。で、分裂した楽器隊の方は新しいボーカルを捜しながら別のバンドを結成して。暫くして気づいたら、何故か俺がそのバンドでリズムギター弾いてたりもして。勿論歌わなかったけど(正確には歌わせてもらえなかった)。
3年くらい経って、またその時のメンバーの数人とバンドを組んで。その時は日本語で歌った。当時、俺がやってたソロライヴをメンバーが観に来て、俺の歌と、俺の歌詞に共感してくれて。また一緒になることになってね。ま、そのバンドは結局、俺が帰省することになって解散しちゃったんだけどさ。
尾崎のこのセカンドを聴くと、自分がバンドを真剣にやっていたその頃のことを思い出すんだよね。影響を受けないように、受けないようにと思いながらも、結局は一番よく聴いてたのがこのアルバムと元春の「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」だったんだよね(元春は歌詞/曲の両方で影響を強く受けた1枚)。そういう思い出深い作品。だから客観的に見るのは難しいんだよ。本来、こういう文章を書くのもね‥‥ちょっと厳しいんだけど。まぁ今日は特別な日だから。特に最近、中途半端なトリビュート盤が出たばかりだし、中途半端なベスト盤もチャートの1位を取ってるみたいだし、やっぱり自分の言葉で改めて書いておこうと思ってね、3年振りに重い腰を上げたんですよ。
切っ掛けとしてのベスト盤やトリビュート盤はいいと思うんですよ。けど、そこで終わりにして欲しくない。ここまでたどり着いて欲しいんですよ。その価値が存分にある作品なんだから‥‥
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