2000/11/02

ゆず『トビラ』(2000)

  まず最初に言っておく。俺は「ゆず」が大嫌いだった。俺のことを古くからご存知の方なら覚えていると思うし、掲示板にも何度か書いたかもしれない。そもそも最初に「夏色」で出てきた時から拒絶反応を示していた。生理的に岩沢厚治(声の通る、高い方)の歌声がダメだった。そしてあの爽やかなイメージ‥‥俺がロック/ポップスに求めるモノが感じられなかった。それはその後の「サヨナラバス」だの「友達の歌」だのに対しても同じだった。だから俺にとってはゆずというユニットは『一生必要のない存在』だったのだ。

  そもそも、俺がロックに求めるもの‥‥それは過去2回のオススメ盤(UNDERWORLDとRADIOHEAD)の時にも書いたが‥‥楽曲的に更に突っ込んで書くと『5割の幸福感、4割の悲壮感、そして1割の毒』。このパーセンテージが全体から感じられなければダメ。勿論毒の割合が高ければ高い程尚良いのだけど。ところが、このゆずにはその毒の要素を感じる事が出来なかった。少なくともシングルヒット曲からは。だからアルバムまで手を伸ばす事はなかった。当然といえば当然だが。

  話は変わるが、ミスチル好きの俺がゆずは大嫌いと言うと、大概の人からは不思議な顔をされる。音楽解らない人からすれば「ミスチルもゆずも一緒じゃん?」という事になるらしい。確かに、双方から共通項を見出す事もできるし、実際にゆずはミスチルをリスペクトしているし、彼等のプロデューサーである寺岡呼人がミスチルと仲がよいというのも関係あるだろう。実際にゆずファンにはミスチル好きって人が多いと聞く。その反対にミスチルファンの中にもゆず好きは多い。aiko同様、このゆずもミスチル・フォロワーと唱える事も出来る。けど、何で俺がミスチル好きなのかは、先に書いた通り‥‥毒の要素なのだ。その毒が8割増しとなった「深海」や「BOLERO」も、毒が薄らいだ「Q」も含めて。

  では何故、俺は今回ゆずの最新作を購入してまでこうやって取り上げ、オススメしようとしているのだろう? まず俺が彼等に注目し、アルバムを買ってみようとまで思わせるに到った3つの理由を書いてみよう。


①この春にリリースされ、初のオリコン・シングルチャート1位を記録した"嗚呼、青春の日々"を初めて聴いた。今までのゆずからは想像できない硬派な楽曲で北川悠仁(ハスキーな声の方)の男臭い歌声が好印象だったのもあり、ストーンと俺の中に入ってきた。初めてこの曲のイントロを聴いた時、マジでエレファントカシマシかeastern youthかと思った。そのくらい硬派でカッコイイ曲。歌詞もまたいいし。

②その"嗚呼、青春の日々"がリリースされる数ヶ月前にゆずは忌野清志郎デビュー30周年記念イベント「RESPECT!」に出演。ここで彼等は"金もうけのために生まれてきたんじゃない"を熱唱。この模様を先日、某友人から借りたビデオで目撃。普段テレビの歌番組に出演しないゆずの、初めて観る生歌。正直な話、ここでかなり彼等に対して好印象を抱くようになっていた俺。

③そして決定打となったのが、最新シングル"飛べない鳥"。俺が生理的にダメだと言った岩沢が作詞作曲/リードボーカルの楽曲だが‥‥毒こそ感じないものの、そこにはこれまでの幸福感と同等の悲壮感のようなものを感じ取る事が出来た。いろいろ酷評されているが、俺はマジでこの曲、素晴らしいと思う。楽曲/歌詞/ボーカルパフォーマンス全てが。


  そして俺はこれら"嗚呼、青春の日々"、"飛べない鳥"、そして最近聴いて気に入っていた"心のままに"を含む最新アルバム「トビラ」を購入する事を決心したのだった。

  さて‥‥初めてアルバムを通してゆずを聴いた印象だが‥‥ヤバイ、マジでヤバイと思う。爆裂しまくっているのだ、北川が。数ヶ月前にrockin'on JAPANでの彼のインタビューを読んだのだが、そこからも彼が前作「ゆずえん」を境に益々爆裂モードに突入している事が伺える。

  ぶっちゃけた話、俺が気に入ったゆずの要素というのは、この北川の色だった。彼は今、ゆずという「至極脳天気」と思われがちなユニットの中で「毒」のパートを受け持っている。これがいい具合に岩沢の色と混ざり合っているのだ。恐らく今の北川は、ミスチル桜井が「深海」で突入した爆裂モードに近い精神状態なのかもしれない(スキャンダルこそないだけで/苦笑)。しかしミスチル程毒が大半を占めないのは、ミスチルが桜井がメインソングライターであるのに対し、ゆずは北川と岩沢が50/50で役割を分担している。自分が書いた曲は基本的に自分がメインで唄う。相手の手の内が読める分、どんどん自分を磨く。それがこの爆裂モードなのかもしれない。

  岩沢が書く楽曲がポップで親しみやすいのに対して、北川の楽曲というのはブルージーで男臭いものが多い。それは歌詞にも表れている。マジな話、このアルバムに収められている"仮面ライター"や"何処"といった曲だけを取り上げて聴かせたら、きっと多くの人がゆずだと気付かないだろう。そう、例えば前者は山崎まさよしあたりがやりそうな感じだし、後者は「BOLERO」期の桜井が書きそうな楽曲だ。全13曲中、北川の楽曲が8曲と大半を占めているこのアルバム、そういう事もあってか、非常に攻撃的な印象を受ける。

  勿論、これまでのゆずをイメージさせる楽曲もあるにはある。しかし、既にそこには脳天気さというものはなく、哀愁や悲壮感のようなものすら感じさせる。それは北川の楽曲だけではなく、岩沢の楽曲にもだ。ユニット全体にそういう重い空気のようなものが立ちこめているのかもしれない。

  そうそう、多くの人がイメージする「ゆず」のイメージ。きっとアルバムもそういうので満載なのだろうと思っていたが、爆裂‥‥バラエティ豊かなのだ、楽曲のタイプが。いかにもゆずなフォークソングもあれば、泉谷しげるみたいな攻撃的フォークソング、デルタブルーズ的ナンバー、6/8拍子の男臭いロッカバラード、プログレッシヴ且つアグレッシヴなロックアンセム、清々しいポップナンバー、尾崎豊の如く字余り連発のシャウト‥‥これらが全て詰め込まれている。重苦しいタイプの曲の印象が強いせいか、従来のゆず的フォークソングが突然登場すると、妙な違和感を感じてしまうのもこのアルバム。しかし聴き終えた時の印象は、やはりどんよりとしている。

  多分、今の北川には吐き出さなければならないモノが沢山あるのだろう。成功を得て、名声を手にしたにも関わらず、心の中は淀んでいく。「Atomic Heart」が空前の大ヒットを記録した頃の桜井がそうだったように、北川もそういうモードのようだ。じゃなかったら「心ない言葉達が行きかう腐った世界/たれ流しのメディアにでも相手に踊らされてな」だとか「現実というデカい壁にブチのめされて/また優しさを捨てなければならないの/それを生きる術というなら僕はそんな事信じない」なんて歌詞、書かないでしょ? 更に、このアルバムではないが、この夏に出た限定ミニアルバム「ゆずマンの夏」に収められている"真夏の太陽"という曲の歌詞には「魂の声いわば真実/摩り替えられた偽りに嘆くとも/人知れず泪/刻まれた孤独すら飲み込んでしまえるのは愛だけ?」とある‥‥今、彼が何を思い、何処に進もうとしているのかは判らないが、少なくとも今後注目に値するだけの仕事をすると確信している。

  北川の話ばかりになってしまったが、一方の岩沢。先の"飛べない鳥"を筆頭に、北川的哀愁ナンバー"ガソリンスタンド"や、その北川と交互に唄う、本来のゆずらしさを主張する"日だまりにて"や"新しい朝"、そしてみんながイメージするゆずらしさを維持した"気になる木"等、それまでの自分の持ち味に更に磨きをかけている。元々北川にとってソングライターとしては先輩格であった岩沢は、ここで北川の爆走に対して一歩引いたポジションで、自分の役割を的確にこなしているように見える。けど、それがコンビとして上手くやっていく秘訣だと思う。片方が波に乗っている時は、もう一方はそれを邪魔することなく裏方に回ってサポートする。岩沢にはそれが理解できているのだ。

  そういうわけで、今のゆずは我々がイメージするところの「ゆず」よりも、2歩も3歩も先に進んでいる。恐らくこれまで彼等の事が好きだった女子供は、このアルバムを聴いて離れていくかもしれない。一時期のミスチルのように。一方のゆずはゆずで、路上からスタートし、基本的には2人でギターとハーモニカさえあればプレイできた楽曲が、「路上で歌えない曲がいっぱいあるかな、という感じはする。多分そのまま表現できないだろうな、それなりの路上アレンジを施さないと」(岩沢)というレベルにまで到達している。「ゆず」としての第2章がここから始まるような気がする‥‥このアルバムをスタート地点として、このユニットはどんどん俺達のイメージをぶち破ってくれる事だろう。後追いで旧譜にまで手を出すようなファンではない俺だが、きっと次の作品はすすんで聴く事だろう。いや、マジで今後が楽しみだ。

  下らない価値観に縛られたままじゃ、本質を見逃してしまう。本当の良さに気付かないまま通り過ぎてしまう。みんなも気を付けた方がいいんじゃないかな?



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投稿: 2000 11 02 12:00 午前 [2000年の作品, ゆず] | 固定リンク