2006/08/11

Cocco@日本武道館(2006年8月10日)

アンコールなし、2時間強のものすごいライブでした。

6年前の武道館は、俺にとって生涯ベスト3に入るようなライブでした。そのくらい強烈に印象に残ってます、いまだに。

今日見たCoccoは、終始笑顔が絶えない、そして最後の最後までステージに残る彼女を見るのは本当に新鮮で、そして違った意味で強烈な印象を得ました。だって、必ず最後の曲が終わる前にステージから去っていた彼女が、演奏終わるまでステージに立っていて、「ありがとう」って言って。根岸さんたちと抱擁してるんだよ。考えられん。人間が丸くなったともいえるし、本当にこの6年って月日の流れは大きかったんだなぁって実感させられた。

ホント、いいライブでした。何度でも言うよ。いいライブでした。

そして、さすがに「焼け野が原」では泣いた。

いいライブだったなぁ。

あ、10月?にNHK BS&総合で今日のライブを放送するそうなので、みんな見るといいよ。


[SET LIST]
01. 音速パンチ
02. 首。
03. 眠れる森の王子様~春・夏・秋・冬~
04. Swinging night
05. 夏色
06. blue bird
07. Drive you crazy
08. Cocco弾き語り(新曲)
09. 温泉の歌(新曲)
10. 神戸で作った歌(新曲)
11. 強く儚い者たち
12. 愛うらら
13. 野火
14. カウントダウン
15. インディゴブルー
16. 暗黙情事
17. 陽の照りながら雨の降る
18. 流星群
19. 焼け野が原
20. Happy Ending
21. 新曲

投稿: 2006 08 11 05:56 午前 [2006年のライブ, Cocco] | 固定リンク

2004/01/01

Cocco『Heaven's hell』(2003)

  Coccoが約2年振りに帰ってきた‥‥いや、正確には「帰ってきた」と言い切れないもどかしさを伴う、人前への登場といった方がいいのかな? とにかく、2001年4月に我々の前を去った後、一切の音楽活動を中止していた彼女が、再び自分の音楽を、自分の言葉で表現し始めた。個人的にはそれだけで十分なんだけどね。

  2003年8月15日。正に「日本中でみんなが黙祷する日」に、彼女は我々に対する問題提議を伴い戻ってきた。真新しい楽曲と、百数十人の子供達を引き連れて‥‥それがこのDVDの中で歌われている "Heaven's hell" という楽曲。たった1曲の新曲ではあるけれど、この時の生演奏会では約10分に及ぶ長丁場を、素人同然の子供達と共にやり遂げ、聴き手を十二分に惹き付ける、本当に素晴らしい歌と演奏を我々に見せて/聴かせてくれたのでした。この映像を最初に目にしたのは、同年8月末のTBS系「NEWS23」での特集にて。約30分に及ぶドキュメント(舞台裏やメイキング、そしてCoccoとのインタビュー等)の中で、彼女が何故2年前に音楽活動を中止したのか、そして何故再び人前で歌うことを選んだのか、それらが彼女の言葉で語られています(勿論今回のDVDの中にもその場面は収録されています)。

  このDVDはその番組、そして沖縄のテレビ局で放送された同イベントのドキュメントを合わせ、市場流通用に再編集した、約60分に及ぶドキュメントDVDです。当然イベント当日の歌の模様も完全収録されています。

  しかし、ここで注目すべきなのは‥‥実は彼女の新曲についてではなく(それはまた別の機会にちゃんと語りたいと思います)、何故彼女が「歌」と「ゴミ拾い」を結びつけたか、そしてそこに向かわせたかなんじゃないでしょうか。勿論その答えの全てがこのDVDの中に存在するのですが‥‥ま、俺が改めて書くまでもないので、とにかくあなた自身の目で確認してもらいたいな、と思います。

  自分の住んでいる場所もまた、海に囲まれています。夏になれば海水浴客やリゾート客で栄える、それなりに名の知れた町のようです。が、決して綺麗な海ではありません。昔は綺麗だったんです。けど、段々と汚くなっていった。勿論、そういった観光客が汚した結果がそれ、とは言い切れません。地元に住む人達による汚染だって間違いなくあります。いろんな要因が重なり合った結果が、今の汚い海なんでしょう。

  よく自分が子供の頃‥‥小学生の頃だったかな? 海開きの前になると必ず、土曜の午前中を使って近くの海水浴場へ行って、砂浜のゴミ拾いをするんです。観光客が捨てていった空き缶やビニール、家庭ゴミ等。酷いモノになると使用済みのコンドームとか‥‥勿論、全部が全部観光客が捨てていったものではなく、中には他の海からたどり着いたゴミ‥‥明らかに余所の土地にしか存在しない品物だったり、あるいは海外から漂着したゴミだったり‥‥そういったものを「何で僕達が拾わなくちゃいけないんだろう?」といった疑問を抱きつつ、強制的に拾わされていました。全ては「観光客に気持ちよく海を使ってもらえるように」と‥‥

  このDVDを観たとき、そういった子供の頃に感じた違和感をふと思い出しました。けどもし今、同じようなことを強いられたとしたら‥‥多分あの頃とは違った考えの下、ゴミ拾いをすると思います。そういえば以前、女の子と地元の海に行った時、あまりにゴミが凄かったんで無意識のうちにゴミ拾いしてたんですよ。遊びながらですが。そしたらね、その子は俺に言うわけですよ‥‥「なんでそんなことするの?」って。自分にとっては落ちてるゴミを拾うことは、普通のことなんですよね。フジロックとか行くとそうでしょ? まぁ落ちてるゴミを拾わないまでも、絶対に自分からゴミをゴミ箱以外に捨てようなんて思わない。あんまり酷い散らかりようだったら無意識のうちに拾ってしまう、みたいな。その感覚だったんですよね。けど、そんなこと知らない普通の子達にとっては、むしろゴミを捨てる方が普通の感覚で、拾うなんて恥ずかしい行為、あるいはバカみたいに映るわけですよ、極端な話。それを改めて認識した時、ちょっとショック受けましたね。だってさ、自分らの海じゃないか、って。誰のものでもない、だけど俺らの海なんだよ、って。説明しても無駄だと思ったから、その場はそのままやりすごしたけど。後になって、その時にそれを説明できなかった自分に腹立たしく感じたりなんかしてね‥‥

  DVDの内容から脱線してるように見えるかもしれないけど、つまりはそういうことなんです。このDVDを観るってことは、そういった問題意識と向き合うこと。決してCoccoは「沖縄に来てゴミ拾いをして」と言ってるんじゃないんですよ。それぞれ身の回りで、個人レベルで出来ることをやっていこう。それを考える切っ掛けを我々に与えてくれてるんですよ。そういったことを判りやすく伝えるために、彼女は今回「歌」に託した。イベントのサブタイトルにあるじゃないですか、「もしも歌が届いたら 海のゴミを拾ってね」って。海じゃなくてもいいんですよ、山でも、川でも。もっともっと、身の回りの自然を大切にして欲しい。そうすることが、いろんなことに繋がっていくと、彼女は信じてるんです。それが最終的に世界平和に繋がるんじゃないか、と‥‥

  歌が世界を変えることは不可能でしょう。ジョン・レノンも成し得なかったんだから。けど何度も書くけど、世界は変わらなくても人間の意識を変えることはできる。大きな成果は得られなくても、個人レベルの小さな変化をもたらすことは可能なんです。だって、この "Heaven's hell" という曲を聴いて心動かされた人、沢山いるでしょ? それはあなたの心の中にある「何か」が動かされたからでしょ? それをそこで終わりにして欲しくないんです。考えることをそこで放棄して欲しくないんです‥‥彼女はそう言いたかったんじゃないかな‥‥

  最後に‥‥ちょっと話題から逸れちゃいますが‥‥このDVDを観ていて何度か涙してしまうシーンがあったんですが、個人的に最も涙を堪えきれなかったのは、彼女が子供達の前であの "Raining" を弾き語りするシーン。勿論そこに至るまでの会話込みで、ですが‥‥とにかく全てを観て欲しいです、音楽のみではなくね。



▼Cocco『Heaven's hell』
(amazon:国内盤DVD

投稿: 2004 01 01 12:00 午前 [2003年の作品, Cocco] | 固定リンク

2003/09/01

Cocco『ベスト+裏ベスト+未発表曲集』(2001)

  2000年10月6日、日本武道館でのステージを最後に彼女はステージを降り、そして翌2001年4月20日の「ミュージックステーション」出演を最後に彼女は完全に我々の前から姿を消しました。「音楽活動中止」という、ちょっと考えられないようなショッキングな出来事。それが現実に起きてしまったのです。Coccoというアーティストの特異性を考えると、それは至極当たり前のことなのかもしれないな‥‥当時は残念だという思いと同時に、そうも考えてみて自分を納得させてみたものです。

  しかし、あれから2年半近くが経ち、彼女は二度我々の前に姿を現した。一度目は沖縄で、そして二度目は昨日(8/31)神戸(野外イベント「RUSHBALL」)で。彼女は自らギターを弾き、新しい歌を2曲披露した‥‥これがどういった意味を持つのか現時点では判りません。完全復活の序章なのか、それとも単なる気まぐれなのか。そういえば音楽活動中止後すぐに大阪で深夜弾き語りをした、といった話もありましたが‥‥

  J-POPと呼ばれる日本の音楽界の中で今現在、所謂「情念系」(なんて呼び名、ホントにあるのか!?)とカテゴライズされる女性シンガーにとって、そのお手本のひとりとなっているのは間違いなくCoccoでしょう。'90年代末、椎名林檎と双璧を成すかのように語られることの多かったCocco。林檎も長い沈黙の末、ようやく今年完全復活しました。ま、Coccoの場合とは状況が全く違いますからホントは比べるのもアレなんですが。

  このベストアルバムは、彼女が完全に人前から姿をくらました後にリリースされた2枚組。選曲自体は彼女が行っていて、そのタイトル通りシングルコレクション的側面もあり(とりあえず公式リリースされたシングルタイトル曲は全部収録)、そのカップリング曲やアルバム収録曲で彼女が気に入っている曲を「裏ベスト」と呼び、更には完全未発表の新曲を5曲(初回盤には更に2曲入りCDシングルが収録されていたので、未発表曲は都合6曲ということになりますが)収録。全26曲(初回盤は28曲)というボリュームもさることながら、やはり改めて思うのはその楽曲の素晴らしさ、そして時に優しく、時に刺さるような表現(歌詞や歌唱)の素晴らしさ。既発曲については以前自分が書いたレビューを読んでもらえばいいし、未発表曲に関してはこちらで当時の担当ディレクター氏が解説してくれてるので、それを読んでみてください。

  ‥‥ってそれじゃこのレビューも終わっちゃうじゃん。いや、とにかく一度この2枚組をじっくり腰を据えて聴いてもらいたいし、何度か聴き終えた後に俺の書いた全作品レビューと上の寺田氏の解説を読んでくれればいいと思います。特に「まだ一度もCoccoの歌に触れたことのない人」や「シングル曲は何曲か知ってるけどアルバムまでは手を出したことがない人」には、こんな駄文を読む前にまず一度聴いて欲しいな。まぁこれを読んで興味を持って、それから聴いてくれるのもアリだけどさ。

  個人的なこのアルバムのハイライト、それはディスク2ですかね。名曲"焼け野が原"でいきなり目頭が熱くなるし、続けざまに"ポロメリア"、"あなたへの月"、"星に願いを"、"けもの道"って流れ、反則過ぎ。更に後半‥‥超名曲"遠く儚い者たち"、未発表曲にして名曲の仲間入りを果たした"もくまおう"、初期の隠れた名曲である"星の生まれる日。"ときて、最後の最後に‥‥ラストツアーとなった2000年秋のツアー、そして先の武道館公演でも歌われ、その日歌われた未発表強の中では一番印象に残った"荊"で終わる流れ‥‥何故こういう曲順になったのか、それは本人に聞いてみないと判りませんが(上の解説によると、この曲をアルバムラストに選んだのはCocco本人だとのこと)‥‥もの凄くCoccoらしい終わり方だな、と。このベストを聴いて、彼女の音楽活動中止を妙に納得できたんですよね‥‥ああ、ホントに一度完結したんだ、って。

  そして彼女は再び人前に立った。今後のことは判らないけど‥‥期待しちゃってもいいんですよね? まだ「おかえりなさい」は言わないでおくよ。けど、いつ帰ってきてもいいように、みんなもこのベスト盤やオリジナルアルバムを聴いてちゃんと予習・復習しておこうよ。そして本当の復活の日には‥‥みんなで声を大にして言ってあげようよ。「おかえりなさい」って。



▼Cocco『ベスト+裏ベスト+未発表曲集』
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投稿: 2003 09 01 12:00 午前 [2001年の作品, Cocco] | 固定リンク

2001/05/13

Cocco『焼け野が原』(2001)

  Coccoの、事実上ラストシングルとなってしまったのがこの"焼け野が原"だ。アルバム「サングローズ」と同時発売だったこともあって、リリースされた印象が薄いが、4/20の「ミュージックステーション」を見た方なら、誰もが耳に(そして目に)焼き付いたはずだ。彼女が最後の挨拶に選んだ曲、最後に唄った曲がこれだ。

  収録曲は過去のマキシシングルでの中では最多の曲数で、シークレットトラックを含めて5曲。最後の作業の中でレコーディングされた楽曲は全てアルバムとシングルに詰め込んだのだろう。表題曲の他に"アネモネ"、"バニラ"、最初で最後のカヴァー曲となる"Rainbow"(根岸や長田の在籍するDr.StrangeLoveの曲)、そしてシークレットトラックである"愛の歌"の5曲。

  まずジャケットに目を奪われる。まるで‥‥こんな事を言ってはファンに失礼かもしれないが‥‥まるで自らの葬式をあげているかのような、白い花に包まれたCocco。黒バックに黒いセーターという姿が、更に拍車をかける。彼女自らのコンセプトなのだろうけど‥‥こんなジャケット、初めてだ。

  楽曲の内容について。まずサビの唄い出しからスタートするという試み。これは今までなかったキャッチーなパターンだ。楽曲はここ数年得意としているソフトサイドの集大成的作風で、徐々に盛り上がっていくアレンジ、特に中盤以降の盛り上がりに血液が逆流しそうになる。曲の出来としては、これよりももっといい曲は今までにあっただろう。しかし‥‥どうしてもあの「Mステ」を見てしまった後となっては‥‥特にラストの「もう 歩けないよ。」というフレーズに涙さえ出そうになる。だけど、それ程悲壮感といったものは感じない。どちらかというと‥‥前のアルバムで感じていた前向きさを、ここでも‥‥更に力強く感じ取る事ができる。

  続く"アネモネ"は根岸のギターだけをバックに唄う小楽曲。前曲が盛り上がって終わった後の空気を浄化するような清々しさが漂う。一転して3曲目"バニラ"はヘヴィなリフでスタートするロックチューン。しかし、ここには前作までのような淀んだ空気、混沌としたイメージはない。もっとカラッとしていて、突き抜けているような感じ。「サングローズ」レビューでも書いているが、このヘヴィネスの質をHOLEに例えると‥‥前作までを「LIVE THROUGH THIS」だとすると、「サングローズ」の楽曲は「CELEBRITY SKIN」なのだ。判ってもらえるだろうか?

  そして4曲目。プロデューサーであり、彼女のよき理解者である根岸のバンド、Dr.StrangeLoveのカヴァー"Rainbow"。彼女が他人の歌詞を唄うのはこれが最初で最後か? 一人称が「僕」で唄われるところに違和感というか、新鮮味を感じた。それまで自分の人生を唄うことしかなかった彼女が、初めて他人の人生を、他人の言葉で唄う。もし彼女に5枚目、6枚目のアルバムが存在していたなら、こういう表現の仕方も出来るようになったのかもしれない。

  そして十数秒の空白の後にスタートする5曲目"愛の歌"。当然トラックリストには明記されていない、シークレットトラックだ。レコーディングクレジットには「県人会の集い(全3名本人含)」とだけ明記されている。足踏みと手拍子だけでリズムがとられ、Coccoの他に男性1人、女性1人の声が確認できる。非常にリラックスしたトラックで、途中で彼女の笑みさえこぼれる。そしてCocco笑い声でトラックは終了する。

  もしこの"愛の歌"がなかったら、幾分重い空気で終わっていた。しかし、この曲があるお陰でまた違った‥‥心が温かいままで聴き終えることができる。事実上引退する彼女に対して、今後の彼女の人生を祝福したい気持ちにさえなった。もしあなたが「どうせアルバム買ったし、シングルも入ってたからいいや」と思ってこのシングルを蔑ろにしているなら、それは間違いだ。アルバムとついで語られるべき小作品集なのだ、このマキシシングルは。



▼Cocco『焼け野が原』
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投稿: 2001 05 13 01:39 午前 [2001年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『星に願いを』(2000)

  そして更に、前シングルから1ヶ月後に完全なる新曲を発表する。矢継ぎ早にリリースされる今回の攻勢に、ファンは正直財布の中身がついていかないのでは‥‥丁度ツアーも発表になっただけに。この曲は前作が「ラプンツェル完結編」と銘打たれていただけあって、早くも次作への布石となるのでは?なんて深読みもされた程だった。ツアーでも終盤のオイシイ位置で披露されていたし、シングルとしてもここ最近でも最もセールス的に成功を収めたようだし。その収録曲だが、表題曲の他に、サード収録の"かがり火"の計2曲。作曲はCoccoではなく、これまでも彼女の作品を幾つも手掛けてきた柴草玲のものである。印象的なメロディーは、Cocco作曲のものとはまた違った旨みがあって、個人的には信頼している作家のひとりだ。最近、柴草は都内でライヴ活動をしているようなので、興味がある人はチェックしてみるといいだろう。

  さて、正直な話、この1曲("星に願いを")のみで次のアルバムを占えるかといえば、正直嘘になるだろう。なぜならこの曲もまた、「ラプンツェル」のセッションの中からのものだし、Cocco作曲の作品ではないからだ。実際にアルバムに収録されていても違和感はないわけだし。だからこそ、この曲が次の「サングローズ」への追加収録が決まったのを聞いた時、違和感を感じてしまった。勿論いい曲なのだが、何が違うのではないだろうか?という疑問は、「サングローズ」が発表された今でも消えないままでいる。



▼Cocco『星に願いを』
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投稿: 2001 05 13 01:30 午前 [2000年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『けもの道』(2000)

  サードアルバムの発売から2週間後にリカットされたマキシシングル。収録曲は表題曲の他に、完全未発表曲の"真冬の西瓜"と"つめたい手"の合計3曲。デビューマキシ以来の3曲収録だ。この時期のリリース攻勢といい、未発表曲の多さといい、如何にこの1年間のレコーディングが充実したものだったかが伺える。しかもどの曲がアルバムに入っていても違和感がないような、決して捨て曲ではないのが驚きだ。

  表題曲はアルバムのヘヴィサイドを象徴する1曲であり、アルバムのトップに収められている「顔」ともいうべき存在。だが「ラプンツェル」という作品は決してヘヴィなだけではない、緩急の幅がこれまでで一番激しい作品であるという事を思いだして欲しい。特に"雲路の果て"以降のシングルが全て収められている点、更に今後の彼女を占うような楽曲の登場など、いろんな意味で興味深い作品なのだ。そんな勝負作をフォローアップするようにこのシングルが「ラプンツェル完結編」としてリリースされたのには、ちゃんと意味があったのだ。当然アルバムはこれまでで一番のヒットを記録したのだから、このリリース攻勢は大成功だったといえるだろう。

  カップリング2曲は、アカペラ"真冬の西瓜"は1分少々で終わる小楽曲。これまでもセカンドで"小さな雨の日のクワァームイ"という同じタイプの曲があったが、これはまた違った印象を与える。特にヘヴィヘスを追求した1曲目と、冷たい感触を持った3曲目"つめたい手"の間に挟まれているからこそ、その温かさがやけに身にしみる。マキシシングルとしては、非常に流れを大切にした作品ではないだろうか?(シングルに関しても、Cocco自身が選曲や曲順を決めているそうだ)



▼Cocco『けもの道』
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投稿: 2001 05 13 01:27 午前 [2000年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『水鏡』(2000)

  2000年に突入し、我々は彼女の存在を、少しずつだが忘れかけていた。そんな中発表されたのが、このシングル。来るべきサードアルバムからの先行シングルであり、1年半振りにテレビ出演も果たす。このシングルの収録曲は表題曲の他に、アルバム未収録の"寓話。"。彼女が積極的に動き出したことも影響し、セールスは前作以上を記録した。

  久し振りのロックチューンといった感じだが、曲のタイプとしては"雲路の果て"に非常に近いのではないだろうか? イントロとエンディングでのスキャットに独特な冷たさを感じ、それがまた独特な雰囲気を醸し出している。最初聴いた時、LUNA SEA辺りの楽曲との共通性を感じたものだが、如何だろうか?

  そうえいば、この「水鏡」というタイトルも、あまり耳慣れない言葉だ。こういう表現を使うのもまた彼女らしい。この楽曲にはCocco自身、相当な思い入れがあるらしく、リリース時期についてスタッフと相当揉めたそうだ。「これは売れない曲だ」とは彼女の発言だが、もしかしたら「売れない」曲ではなく「売れてはいけない」曲だったのではないだろうか?

  カップリング曲は一転して、穏やかな空気を持つポップな曲。彼女の唄い方も前曲とは全く違い、声を張り上げるのではなく、最後まで同じトーンで通している。これもある意味新たな実験だろうし、成長だろう。



▼Cocco『水鏡』
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投稿: 2001 05 13 01:25 午前 [2000年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『ポロメリア』(1999)

  前シングルより丁度半年後に発表された、通算6作目のシングル。収録曲は表題曲の他に、やはり英語詞の未発表曲"Sweet Berry Kiss"。2曲共、昨年のツアーで披露されていたので、覚えている人も多いのではないだろうか?

  この頃から、メディアへの露出が皆無の状態が丁度1年続いた事もあり、その影響が少しずつだがセールスにも影響を与え始める。また楽曲の作風も、初期のハードコアなイメージを覆すような穏やかなタイプが2作続いた事もあって、聴き手の中からも疑問を唱える声が少しずつだが聞こえてきた。

  完全にCoccoの歌中心で作り上げられているが、これが続くサードアルバムへの伏線となることは、誰の目から見ても明らかだった。歌詞に目をやると‥‥唄い出しである「金網の向こう~」という出だしでハッと我に返る。この曲は「沖縄」や「家族」の想い出を唄ったものではないだろうか?と。

  カップリング曲はCocco以外の人間が書いた曲。"強く儚い者たち"のC/W曲と同作曲者だ。英語で唄われているものの、実はこの歌詞も両親について唄ったものだ。詳しい事は知らないのだが、彼女の家族はある時期を境に離散してしまったらしい。そういう事を踏まえてから、改めて歌詞を読んでみると、より深みを増し、感慨深いものとなるだろう。勿論、聴き手はそんな事実まで知る必要はないだろう。しかし、それらの楽曲がどういう意図の元、どういう想いで書かれたかを探るのも(決してワイドショー的観点からではなく)、また音楽の楽しみ方のひとつではないだろうか。



▼Cocco『ポロメリア』
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投稿: 2001 05 13 01:22 午前 [1999年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『樹海の糸』(1999)

  1999年は結局、アルバムをリリースする事はなかった(その理由はアルバム「ラプンツェル」レビューに書かれているので、それを参照いただきたい)。そんな中、シングルだけは定期的に発表され続けた。このシングルは前作より半年後の'99年4月に発表された、通算5枚目。収録曲は表題曲の他に、英語詞曲となる未発表曲"Again"。メディアへの露出もなく、特に強力なプロモーションをされなかったにも関わらず、この曲はトップ10入りを果たした。既にCoccoの歌が定着した証拠だろう。

  表題曲は、"遺書。"や"強く儚い者たち"の流れを組む、大らかなノリを持ったメロディアスナンバーだが、ここではもっと穏やかな空気を持ち、前出の2曲にあったようなフィードバックノイズ等の「壊し」系ギミックは一切登場しない。あくまで彼女の歌と歌詞をメインに持ってきた曲だ。そういう意味では、これまでのバンドと一丸となって聴き手の心臓を鷲掴みするというスタイルとは、一線を画する。

  それにしても、こういう穏やかな曲の中だからこそ耳に飛び込んでくるのが、歌詞なのだ。「わたしさえ いなければ/その夢を 守れるわ/溢れ出る憎しみを 織りあげ/わたしを奏でればいい」というサビのフレーズや、一番最後に飛び込んでくる「やさしく殺めるように」という一節にドキリとさせられる。

  カップリング曲も同様に穏やかな空気を持っており、こちらはもっとアコースティック色を濃くした、どことなくカントリー的な楽曲。ドラムやベースが入っておらず、マンドリンやラップスティール等の楽器が彼女の英語詞と上手くマッチしている。2曲通して聴くと、非常に肩の力の抜けた、ある意味「癒し系」作品集となっている。



▼Cocco『樹海の糸』
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投稿: 2001 05 13 01:20 午前 [1999年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『サングローズ』(2001)

  前作「ラプンツェル」からたったの10ヶ月で発表された、Coccoの4作目にして、事実上ラストアルバム。今年に入って「春にはアルバムが」という噂を耳にした時点で「嘘だろ!?」と思っていたが、それがこういう形で発表になるとは思ってもみなかった。昨年10月にツアーを終了した時点で彼女はツアーメンバーと共にスタジオ入りしたようだ。既に「ラプンツェル」の作業終了の時点で「もっと唄いたい」「次に進みたい」という発言をしていた。その意見を踏まえれば、このリリースというのは当然の結果なのかもしれない。しかし‥‥これまでに「溢れ出るものを如何に形にするか」で四苦八苦してきたはずなのに、こんなにハイペースで‥‥燃え尽きてしまわないか!?という不安を感じていた。
  発表された時期が悪かった為か(浜崎あゆみと宇多田ヒカルのリリースの後、しかもモーニング娘。のソロベストと同発)チャート的には5位に甘んじ、セールス的にも過去2作には及んでいない。しかし、彼女を支持する層には確実にフォローされている。それだけではなく、あの「ミュージックステーション」でのラストステージを観た人にも影響を及ぼしたようだ。

  最後の作品において、彼女はブックレットの最後にこの言葉を残した。


この喉が紡いだ全ての歌へ
その歌に差し伸べられた
愛しい音たち全てへ
私を信じていてくれる人へ
私が信じたいと願う人へやさしいハグと
さよならのキスを込めて


  彼女が最後に選んだ言葉。それはファンやスタッフ、そして自分が生み出し唄い続けた楽曲への感謝の気持ちと、お別れの言葉だった。そこには混沌としたものや、淀んだ空気はない。あるのは明るい未来と、明日への希望。彼女は先へ進む事を選んだのだ。

  アルバムはこれまでとは趣が違い、ブラシを使ったドラムが印象的な、なだらかなノリを持つ"珊瑚と花と"からスタートする。彼女の歌声も心なしか明るく感じる。そしてこれまでにもあったようなヘヴィリフを持ったロックチューン"わがままな手"、"Why do I love you"へと流れていくのだが‥‥楽曲の質感がそれまでの3作とは明らかに違うのだ。これまでに存在した「混沌」や「憎悪」の塊‥‥「Love」と「Hate」が相反するものとして存在し、そのふたつは時には一方に傾きつつもバランスを保っていた。しかし、このアルバムでは明らかに「Love」側に振り子が行ったっきり‥‥音のひとつひとつに温かみを感じるのだ。抜けきっているというか、カラッとしてるというか。例えばそれまでの3作をカート・コバーンだとすると、このアルバムは最近のコートニー・ラヴだと表現できないだろうか? いや、そのコートニーのHOLEのアルバム作風で例えると、それまでの3枚をカートがプロデュースした「LIVE THROUGH THIS」、そして今回のアルバムを「CELEBRITY SKIN」というように例える事は出来ないだろうか? かなり強引な例え方だとは思うが、実はその違いにこの1ヶ月、ずっと悩んでいた。的確な表現が見つからないまま‥‥そしてやっと見つけた例えが、これだ。決して言い当て妙な表現だとは思わないが、判ってくれる人には判ってもらえると自負している。
  コートニーがカートの死後、その「穴/空白」を埋める為に4年かけ、出した答えが「CELEBRITY SKIN」だった。そこにはそれまでのような「アングラ女王」「情念の塊」とは違う、前向きさ/ポジティヴさがあった。だからこそ、あのアルバムは支持され、コートニーは再び第一線に戻る事ができた。ここにはそれと同質の前向きさがあると思うのだ。

  要所要所に上手い具合に配置された既発曲も、シングルとして発表された時よりも説得力を感じる。2月にリリースされた"羽根"も今ひとつしっくりきていなかったが、アルバムで、この流れで聴くと納得できる。既に10月のライヴでさわりだけ披露されていた"歌姫"(そう、振り付きで唄われた、あの曲だ)も、"風化風葬"も。けど、どうしても浮いているように感じるのが、"星に願いを"だ。確か3月の時点ではアルバムのトラックリストには入っていなかったはずなのだ。最初、「ああ、完全に新曲で固めるんだ」と妙に納得してしまった。しかし、結果としては収録されることとなった。この曲だけ、やはり「ラプンツェル」の空気を(俺自身が勝手に)感じてしまう。勿論、Coccoはこのポジションに、この曲が必要だと感じたから選曲し直したのだろうけど‥‥

  アルバム自体はラウドなイメージはなく、終始穏やかな空気に包まれて進行していく。これまでで一番英語詞の曲が多いのも目に付く(3曲)。そして歌詞にも「終わり」をイメージさせる内容のものが多い。中でも、「まだ夢を見てる」と唄われる"Still"から続けざまに「夢は夢」と現実に引き戻す"Dream's a dream"へと流れる構成は圧巻だ。

  アルバムは沖縄をイメージさせる「珊瑚」からスタートし、やはり沖縄をイメージさせる"コーラルリーフ"で幕を閉じる。これまでも彼女はアルバムの中で、楽曲の中で、自身の沖縄に対する想いを綴ってきたが、ここまでストレートに表現したのは何故なんだろう? 最後だから? もう沖縄を憎んでないから? いや、違う。彼女は気づいたのだ。「私は、沖縄を憎んでいる。けど、それでも私は沖縄を愛しているのだ。」と。いや、もっと前から気づいていたはずだ。しかし、彼女はここにきてそれをストレートに表現した。彼女は唄いたいと思った。もっと唄いたいと思ったのだ。けど、その事実を認識してしまった以上、これまでのバランスが崩れてしまう。きっと辛い選択だったはずだ。彼女は「それでも歌を唄いたい」と発言しているのだ。が同時に「けど‥‥これ以上は出来ない」とも‥‥矛盾しているようだが、これが正直な気持ちなのだ。それが人間なのだ。そして彼女はひとつの選択をした。それが「音楽活動の中止」だった。

  俺は今、清々しい気持ちで、このアルバムを聴いている。きっと、俺は生まれ育った町の海を眺めながら、この夏の間中、このアルバムを聴き続けることだろう。そして、沖縄のどこかで絵本を綴っているであろうCoccoのことを、ちょっとだけ思い出してみようと思う。もう彼女の新しい歌は聴くことは出来ない。けど、俺は悲しくはない。残念ではあるが、彼女はもっと前を見据えて、もっと前へ進もうとしているのだ。俺も負けてられない。だからこのアルバムを聴こう。そして大好きな海で繋がった沖縄へと「ありがとう」と伝えよう。今はそんな気持ちでいっぱいだ。


愛してる?
例え聞こえないとしても
わたしは ここで
手を振るから

焼き付けて
その足で その瞳で

焼き付けて

"コーラルリーフ"



▼Cocco『サングローズ』
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投稿: 2001 05 13 12:00 午前 [2001年の作品, Cocco] | 固定リンク

2001/05/06

Cocco『雲路の果て』(1998)

  セカンドアルバム発表後、初の武道館公演を含んだツアー終了後に発表したシングル。既にツアーラストの武道館公演でも披露されていたので、ライヴに足を運んでいた人間には馴染み深い曲かも知れない。収録曲は表題曲の他に、セカンドアルバム収録の"あなたへの月"のリミックスバージョンが収められている。

  表題曲は、打ち込みとバンドサウンドを融合した、いわば"強く儚い者たち"等で実験されていた要素の完成型ともいえるスタイルで、ファースト時のヘヴィな要素を持ちながら、もっと大きな、よりうねりを持ったノリを放っている。既にセカンドアルバムでその片鱗は見せていたものの、この新境地が続くサードアルバムへの期待を膨らませたのは言うまでもない。

  カップリングのニューミックスも、唄い出しを歌とアコースティックギターのみにし、その後のアレンジをよりヘヴィにした事によって、よりダイナミックさを感じさせている。リミックスとしては大成功だろう。

  あまり語られる機会がないようなので、ここで改めて書いておきたい。Coccoのスタジオ作品やライヴでバックを支えてきたメンバー(基本的にはほぼ一緒)、彼らはそれぞれスタジオミュージシャンだったりバンドに所属していたりするのだが、個々の力量はハンパなもんじゃない。ただ、そのパンパじゃない力量の持ち主が多く集まったからといって、決して機能的に作用するとは限らない。しかし、彼女のアルバムやライヴでは常に奇跡が起きた。これもひとえにCoccoという、類い希なる存在がもたらす影響力なのだろう。これだけは決して忘れないで欲しい。



▼Cocco『雲路の果て』
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投稿: 2001 05 06 01:18 午前 [1998年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『Raining』(1998)

  セカンドアルバムからの先行シングルとして'98年3月に発表されたシングル。収録曲は表題曲の他に、セカンドアルバムにも収録される事となる"裸体"。アルバムが発表されてしまった後となっては、それほど希少価値の高くないアイテムだが、これをシングルとして発表した事、そしてテレビの歌番組で唄った事。そこに意義があるのではないだろうか?

  昨年のツアーでは結局1度も披露されることのなかった曲ではあるが、やはり俺にとっては彼女のシングルナンバーの中では一番印象深い、そして一番思い入れの強い曲である。これらの曲に関しての感想は、アルバムレビューの方にも書かれているので、詳しくはそちらを参考願いたい。



▼Cocco『Raining』
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投稿: 2001 05 06 01:16 午前 [1998年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『強く儚い者たち』(1997)

  Coccoをメジャーシーンへと押し上げた、記念すべきヒット曲。当時、某航空会社のCMソングに起用されていたので、記憶に残っている人も多いだろう。こうやって考えると、彼女のような特異なアーティストがデビュー後1年も経たぬ内に、ヒットチャートのトップ10内にランクするという事は、少々意外な気がする。メロディーだけ耳にすれば、とても馴染みやすいポップなメロディーにレゲエサウンドという爽やかなイメージと対照的な、「あなたのお姫様は/誰かと腰を振ってるわ」という身も蓋もない歌詞。当然、テレビで唄う時やCMではカットされるわけだが‥‥。

  そんな大ヒットを記録するこのシングル。収録曲は表題曲の他に、アルバム未収録の"晴れすぎた空"。ここから暫く、マキシ形式をとりながら2曲収録という形が続く。このシングルではある意味、新しい実験的要素を感じる。例えば表題曲の、レゲエテイストにグランジ的なフィードバックギターが加わったりとか、作曲に彼女以外のソングライターを起用したりとか。しかもカップリング曲では、作曲も彼女ではないが、サウンドプロデュースも根岸以外の人間が携わっている。実はこの事実、このレビューを書く為にシングルを取り出して、クレジットに目を通して初めて気づいたのだが。

  こうやって考えると、デビュー曲でコアな音楽ファンに衝撃を与え、このセカンドシングルでタイアップやテレビ出演等、メディアへの露出、そしてポップで親しみやすい曲で一般的な音楽ファン層に印象づけるという戦略だったのかな、と思えてくる。



▼Cocco『強く儚い者たち』
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投稿: 2001 05 06 01:14 午前 [1997年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『カウントダウン』(1997)

  '97年3月に発表された、記念すべきメジャーファーストシングル。収録曲はアルバムにも収められている"カウントダウン"、"遺書。"、そしてアルバム未収録の"Way out"の3曲。アルバムを持っている人にとっては3曲目に商品価値があるかないかが決め手になると思うが‥‥買いだ。ギターのフィードバックをバックにCoccoの大絶叫からスタートする、滅茶苦茶ヘヴィで血生臭いこの曲、アルバム収録曲に引けを取らない。ブレイク部分がNIRVANAの某ヒット曲を彷彿とさせる辺りから、当時の根岸孝旨(プロデューサー)がどういう方向を目指していたかが伺える。とにかくこれ1曲の為に買っても損はしないと思う。

  当然、その他の2曲も名曲なわけで、あえてここで説明するまでもないだろう。彼女の初期衝動の代表的ナンバーといえる表題曲、そして大陸的な大らかなノリを持ったメロディアスナンバー"遺書。"は、最後のステージとなった昨年10月の武道館公演でも演奏された、Cocco自身にとっても大切な、そして彼女のその後のパブリックイメージとなった2曲なのだ。それにしても、この2曲がデビューシングルってのも、当時衝撃的だった。深夜の高速道路で俺は初めてこれらの楽曲と出会うのだが‥‥今でもあの時の衝撃は忘れられない。



▼Cocco『カウントダウン』
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投稿: 2001 05 06 01:12 午前 [1997年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocko『Cocko』(1996)

  '96年11月にタワーレコード内のbounceレーベルより「Cocko」名義でリリースされた、唯一のインディーズ盤シングル。収録曲は後にメジャーファーストアルバムにも収録される事になる"首。"、"眠れる森の王子様~春・夏・秋・冬~"、"SING A SONG ~NO MUSIC, NO LIFE~"の3曲。プロデュースには元スパイラル・ライフ、現スクーデリア・エレクトロの石田小吉が当たっている。

  このシングルには2種類のジャケットが存在し、ひとつはbounceレーベルより発表された国内盤。ピンクをあしらったものだ。そしてもうひとつが右の白黒写真を使用した、海外レーベルからリリースされた盤。曲順も若干変わっていて、国内盤は先の順番通りだが、輸入盤は1曲目と3曲目が入れ替わっている。勿論、曲のバージョンや内容は全く一緒だ。

  石田がプロデュースという事もあってか、若干打ち込みに比重が置かれたバックトラックとなっているが、基本的な構成はメジャーで発表された再レコーディングバージョンとほぼ一緒だ。特に"眠れる森の王子様~春・夏・秋・冬~"などは全くといっていい程そのままだ(メジャー盤でもこの曲のみ石田プロデュースのままなので、恐らく若干の手直しをしたのみで、そのまま音源を使用したのでは?)

  Coccoの歌も若干危うさを感じさせる歌唱だが(特に"首。")、既に貫禄に近いものも漂っている。このシングルを聴いたのはファーストアルバムを聴いた後だったが、もし先にこっちを聴いていたとしても、彼女に対する印象は変わらなかったはずだ。インディーズでも、そしてメジャーファーストアルバムでも、この印象的且つ強烈な"首。"からスタートする。既にここで彼女のイメージが完成してしまったと言っても過言ではない。

  ちなみにこのシングル。国内盤及び外盤共に廃盤だ。某オークションでは1万以上で取引されているが、楽曲自体はファーストにも入っているものなので、マニア以外は手を出さなくてもいいと思う。



▼Cocko『Cocko』
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投稿: 2001 05 06 01:09 午前 [1996年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『ラプンツェル』(2000)

  前作「クムイウタ」から2年振りに発表された、Coccoの3作目のアルバム。ここまで順調に来ていただけに、この2年の空白というのはちょっと長く感じた。確かに'98年10月にはシングル"雲路の果て"、'99年4月に"樹海の糸"、同10月に"ポロメリア"、'00年4月に"水鏡"とシングルが半年置きに発表されてきたものの、その度にメディアに登場していたわけではないし、アルバムやツアーへの期待を単に煽るに過ぎなかった。今年の"水鏡"発表後にようやく6月にアルバムリリースの吉報、そして同時に9月から全国ツアーがスタートするという知らせまで届いた。ようやく長いスタジオ籠もりから解放されたわけだ。
  待たされただけあってか、セールス的には過去最高の約100万枚近い売り上げを記録、チャートも前作同様1位を獲得した。サイクルの早い音楽業界の中で、年にシングル2枚のみ、メディアへの露出は一切なしといった状況の中、このセールスは快挙といっていいだろう。Coccoフォロワーと呼ばれる女性アーティストが続々と登場していく中、やはり本家はひと味違うと思わせた作品だった。

  Cocco自身の「Special Thanks To」の欄、このアルバムでは以下の言葉が綴られている。


亡き想いへ
生まれくる想いへ
降り続く想いへ
大潮の夜明けを待つ
わたしの海へ
終りのないキスを込めて


  アルバムに込められたこの言葉からも伝わってくるが、ここには「先へ進もう」という『生への想い』が綴られているように思う。勿論、これまで同様に"けもの道"のような楽曲もあるにはある。音楽的なスタイルとしても、前作よりも若干ファーストに立ち返ったかのようなヘヴィネスが耳につく。"かがり火"のような曲だけでなく、"熟れた罪"のようなジャジーなタイプの楽曲にも重さを感じる。
  実は俺が感じた『生への想い』とは、最後に収録された"しなやかな腕の祈り"という曲だった。しかし、最近知ったのだが、この曲はデビュー前からあった曲だそうだ。今回のアルバムというのは、リリース1年前の1999年夏からレコーディングを開始し、約1年をかけて制作されたそうだ。その時期にあった曲はといえば、デビュー前からあった2曲("しなやかな腕の祈り"と"白い狂気")と、既にシングルとして発表されていた2曲("雲路の果て"と"樹海の糸")の4曲のみで、正にゼロからの出発といってもいい状態だった。しかし、徐々に浮かんでくる楽曲を1曲ずつ、丁寧に仕上げていった結果、1年という製作期間を必要としたわけだ。
  この製作方法というのは、彼女自身が望んだ方法で、ずっと前から「こうやって作れたらいいね?」とスタッフと語っていたらしい。前作がヒットしたお陰でこういう方法が受け入れられたのだろうが、ある意味2年という空白は(シングルリリースはあったものの)危険だったはずだ。にも関わらず、レコード会社やスタッフがそれを受け入れたというのは、如何に彼女が書く曲に自身を持っていたか?という事実を証明する結果となった。

  何度も言うが、スタイル的にはこれまでの延長線上なのだが、明らかに「前向きさ」が高まっている。「生への想い」‥‥それは彼女自身が進んでアルバム制作に参加し、自分が納得いくまで録音し直し、そしてそれまで消極的だったライヴも、自ら「やりたい」と思うようになる‥‥更にこのアルバムの制作終了時にもう「次に進みたい」‥‥つまり、次のアルバムを作りたいと発言しているのだ。彼女は楽曲を生み出すことを、排泄と例えた事がある。アルバムは彼女にとっては「でっかいウンコ」なのだ。しかし、今は違う。彼女には「吐き出す」のではなく、「伝えたい」ことが出来たのだ。俺はそう信じたい。

  音楽的には、先にも書いた通りファースト寄りの、ヘヴィネスさを幾分強調した作りになっている。しかし、セカンドを通過したことにより、またセカンドとこのアルバムの間に発表されたシングル‥‥特に"樹海の糸"や"ポロメリア"といったソフト/メロウ・サイドを強調する楽曲や、先の"しなやかな腕の祈り"等の大らかさが加わることによって、アルバムとして更に深みを増した作りになったと思う。作品トータルとして考えれば、恐らくこれが最高傑作なのでは?と受け取ることも出来る。正直、こんな凄いアルバムを前にしたら、「次はどうなるんだよ!?」とさえ思えてくる。

  最後に‥‥個人的な話をひとつ。このアルバムがリリースされた時期、俺の祖母が亡くなった。この前後1ヶ月は病院に24時間付きっきりで、本当に生と死を彷徨う毎日だった。仕事が終わったら病院へ行き、一旦家に帰って飯食って風呂入って再び病院へ。そのまま朝まで付き添って、そこから会社へ‥‥そんな毎日が続いた。音楽を聴く気力さえ残っていなかった中、それでもこのアルバムを買いにCDショップへ立ち寄った。そしてこのアルバムは2000年6月の、この俺のサウンドトラックとなった。『生への想い』、何もそれはCoccoだけではない。この俺も、そして俺の家族も、そして祖母も‥‥このアルバムを聴く度に、あの日々が蘇ってくる。俺にとって生涯忘れられない1枚となった。



▼Cocco『ラプンツェル』
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投稿: 2001 05 06 12:00 午前 [2000年の作品, Cocco] | 固定リンク

2001/04/29

Cocco『クムイウタ』(1998)

  Coccoの人気/セールスを一気に加速させたのが、このセカンドアルバム。前作リリース後、'97年末にシングルとして"強く儚い者たち"をリリース。当時CMソングとしてタイアップされた事もあり、また耳に馴染みやすいレゲエ・サウンドも好評だったのか、チャートのトップ10入りを果たす。そして、テレビの歌番組への出演。ここで我々は更に衝撃を受けるのだった。

  続くシングル"Raining"のヒットも手伝い、アルバムはチャート初登場1位を記録する事となる。アーティストとしては純粋に喜ぶべき事だろうが、俺は当初「何か違うんじゃないか?」とずっと思っていた。みんな、そんなに彼女の歌を欲しているのだろうか? そんなに満たされない人間が多いのだろうか?、と。

  Cocco自身の「Special Thanks To」の欄、このアルバムでは以下の言葉が綴られている。


消えない過去たちへ
消したい記憶たちへ
消せない想い出たちへ
限りない憎しみと
おびただしいほどの愛と
おやすみのキスを込めて


  このアルバムでも彼女は「憎しみ」を初期衝動として唄っている。しかし、ここではそれだけではなく、もっと彼女の根本的な、正しく「消えない/消せない過去の記憶」を吐露している。その代表例として、ヒット曲"Raining"が挙げられる。既にインタビュー等でも語られているが、この曲の歌詞は全て実話だそうだ。勿論彼女の歌というのは、全て事実に基づいて書かれているが、特にこの曲に関しては衝撃的だった。


「ママ譲りの赤毛を/2つに束ねて/みつあみ 揺れてた/(中略)/静かに席を立って/ハサミを握りしめて/おさげを切り落とした」「髪がなくて今度は/腕を切ってみた/切れるだけ切った/温かさを感じた/血にまみれた腕で/踊っていたんだ」「それは とても晴れた日で/未来なんて いらないと想ってた/私は無力で/言葉も選べずに/帰り道のにおいだけ/優しかった/生きていける/そんな気がしていた」「教室で誰かが笑ってた/それは とても晴れた日で」


  何故彼女が教室で手首を切る事になったのか、本当のところ俺は判らない。憶測で書くのは気が引けるのでやめておくが、それだけの事があったのか、衝動的なものだったのか誰にも判らない。ここで問題にすべき点はそういう事ではない。"強く儚い者たち"という最初のヒットシングルを生み出した後の楽曲が、実はこの曲なのだ。正直、ラジオやテレビでのオンエアさえ危うい歌詞が含まれている(事実、この曲で二度目のテレビ出演となった時、腕を切った~が含まれる2コーラス目はカットされた)。何故そんなリスクを犯してまで、彼女を取り巻くスタッフ達はこの曲をシングルとしてリリースしようとしたのだろうか? この曲を選んだのはCoccoだったのかもしれないし、或いはスタッフだったのかもしれない。俺は事実を知らないが、これはアーティストとしてはかなりの冒険だったはずだ。しかも両A面となる"裸体"という曲も、どことなく近親相姦を思わせる歌詞だし。まぁCoccoというアーティストがセールスに無頓着なのは理解出来るが、それを取り巻くスタッフまでもがそうだとは到底思えない。売ってなんぼの世界なのだから。いくら「アーティストの世界観を大切にする」だの言っても、結局売れなければ次のCDは発表できないかもしれない。話題性だけでは生き残れないのだ。そういう意味で、本当に恵まれた環境にいたアーティストだったんだな、とつくづく思う。

  このアルバムで、いよいよ彼女は沖縄への想いのようなものを唄い始める。その一例として、沖縄現地の言葉を多用している点が挙げられる。アルバムタイトルである「クムイウタ(=子守歌)」「ゴーヤ」「ウージ(=さとうきび)」「デイゴ(=沖縄の県花)」「ウナイ(=姉妹)」といった言葉が、当たり前のように登場する。沖縄での想い出、それが先の「Special Thanks To」欄の「消えない/消せない過去の記憶」なのだろう。それが"Raining"なのだろう。しかし、そこには憎しみ以上に、それをも包み込む優しさを、何となくだが感じる。前作に引き続き、怒りや憎しみをテーマにした楽曲は多いものの、それ以上に耳につくのは「やさしさ」だった。この「やさしさ」こそが、Coccoという人間/アーティストをひと回りもふた回りも大きくさせた要因なのだと、今はそう思えるのだ。

  その「やさしさ」を更に判りやすく表現する楽曲群。前作よりも激しさは影を潜め(勿論、前作同様ヘヴィな"濡れた揺籃"といった楽曲も収録されているが)、先のシングル2曲を含め、非常に大らか且つムーディーな楽曲が増えている。個人的にはかの有名な作曲家サティの"月光"をイメージさせる"SATIE"が、シンプルながらも気に入っている。やはりアルバムタイトル(子守歌)が全てを物語っているように思う。

  サポート陣も前作のメンツに加え、最近ではHALというプロデュース・チーム/ユニットとして浜崎あゆみに楽曲提供したり、自身も女性ボーカルをフューチャーしてデビューした梅崎俊春が新たに加わっている。Coccoとエイベックス、全く繋がりは感じさせないが、この後彼女の最後の作品までの付き合いとなるのだから、やはりプロとして的確な仕事をしている証拠だろう。

  聴き易さの点では、4作目「サングローズ」に匹敵する作品だ。初期の過激な歌詞/作風と、後期の癒される空気との橋渡し的作品とも言えるだろう。"強く儚い者たち"や"Raining"等、楽曲単位では思い入れが強いものが多いのだが、アルバムとしては実は最も思い入れが薄い作品だったりする、個人的には。やはり当時の「ネコも杓子もCocco」みたいな空気に嫌気がさしていたのも大きく影響している。現に、普段はドリカムやエイベックス系しか聴かないような普通の女性までもが、カラオケでそれらの楽曲を唄っている姿を目にした時‥‥強烈な違和感を感じたのだ。そしてCoccoは、そういう流れを断ち切るかの如く、次のアルバムまでに2年を要する事となるのであった。



▼Cocco『クムイウタ』
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投稿: 2001 04 29 12:00 午前 [1998年の作品, Cocco] | 固定リンク

2001/04/28

Cocco『ブーゲンビリア』(1997)

  Coccoというアーティストのイメージを決定付けた、歴史的デビューアルバム。リリースからまだ4年しか経っていないという事実‥‥如何に彼女が短い活動期間の間に、記憶に残る作品を残してきたかが伺える。

  彼女のアルバムを毎回買っている人にはお馴染みだと思うが、アルバムブックレットの一番最後のページ、所謂クレジット類の一番最後に、毎回必ずCocco自身の「Special Thanks To」の欄がある。そこを読むと、毎回そのアルバムのテーマというか、彼女がどういう心境/姿勢でそのアルバムの制作に向かったかが、何となく伺える。例えばこのファーストアルバムでは、こうだ。


私を捨てた人へ、私が捨てた人へ、私を残して死んだ人へ、
私を愛した人へ、私が愛した人へ、私の愛した美しい島へ、
心からのキスを込めて。


  彼女はこのアルバムリリース当時のインタビューで「唄う事は、私を捨てた人への復讐」と言ったという。その言葉通りの歌が、このアルバムから聞こえてくる。その代表といえる"首。"で唄われる「抱きよせて 絡まって/引き裂いて 壊したい。/悩ましく 誘って/蹴落として 潰したい。/あなたと見た海に/その首を 沈めたい。」という印象的な歌詞。しかもこの唄い出しからアルバムはスタートするのだ。

  しかし、決して憎しみだけではない。愛する人に対して「私が前触れもなく/ある日突然死んでしまったら/あなたは悲しみに暮れては/毎晩 泣くでしょう。」「私の誕生日だけは/独り、あの丘で泣いて。/裸のまま泳いだ海。/私を 想って。」と語りかけるような歌詞に、異性ながらも涙ぐんでしまう"遺書。"。いつかは自分から離れていく、又は自分が離れていってしまうと直感的に感じながら、離れていった相手に対して復讐の感情を持ちながらも、それと相反する想いも同時に存在する。そういう経験って誰にでもあるはずだ。相手に裏切られ、絶対に許せないと思いながらも、相手から電話やメールが入ればちょっとホッとしてしまうような‥‥憎しみと愛情は紙一重のようなものだ。このアルバムには、愛するが故、愛しすぎてしまうが故に感じる憎しみ。そんな感情の塊を感じるのだ。

  彼女の詞の世界というのは、リリース当時衝撃的ですらあった。事実、俺の周りの女性リスナーには「生々し過ぎる」という批判の声が多かった。逆に男性からの評価が高かったのが意外だった。実際にここで唄われているような事を自分の恋人に言われたら、どう思うんだろう!?と思ったけど。実際俺も、もし相手にこんな事言われたら‥‥

  こういった激しい感情を、ヘヴィロックともグランジとも取れるようなヘヴィサウンドに乗せているのだから、これもまた衝撃だった。この当時というのは、アメリカではアラニス・モリセットがヒットしていた頃だ。実際、Coccoのサウンドや唄い方(特に独特な節回し)から、時々アラニスからの影響も伺う事ができる。けど、決してコピーにはなっておらず、あくまでオリジナルだと断言できる。これにはプロデューサーである根岸孝旨(奥田民生のバックでお馴染み、Dr.Strangeloveのベーシスト)の才能も大きく影響している。正に二人三脚で制作されたと言っていいだろう。他にもムーンライダーズの白井良明やRed Warriorsの向山テツ、SCUDELIA ELECTROの石田小吉といった個性的なミュージシャンが参加している事も、特筆すべき点だろう。勿論、そういったヘヴィロックだけに拘らず、優しさや大らかさを表現した楽曲も収められているが、そういう緩急は他のアルバムと比べればそれ程大きくはない。やはり「激しさ」。彼女の表現衝動の全てとなったのは、それなのだろう。

  男性からの評価という事でもうひとつ。デビュー当時最初に食い付いたのが、同性アーティストではなく、異性である男性アーティストだったのも面白い。表現に対して貪欲なアーティストはすぐに彼女の歌に惹かれた。その例が佐野元春であったり、hideであった。事実、リリース当時、彼らのオフィシャルサイトで既に彼女について触れられていたし、佐野は自身のイベントにも声を掛けた程だ。雑誌等のメディアでは女性記者受けがよかったようだが、やはり同じ表現者となると、彼女の歌はある意味「タブー」なものに触れてしまったのか、本当の意味で評価されるまでにはもうちょっと時間を要する事となった。

  どうしても奇抜なイメージのあるCocco。異性の俺が言うのも何だが、女性なら誰もが一度は通過するような感情がここには詰め込まれているのではないだろうか? 昨今、こういった「独白系」アーティストが増えているが、やはり彼女を越えるアーティストは現れていない。オリジナルという意味でも、そして純粋に作品としても優れたアルバムなので、もし彼女に興味を持ったのなら一番最初に手にして欲しい作品である。

  最後に、アルバムタイトルになっている「ブーゲンビリア」とは、アルバムブックレット内にもその写真が添えられている、沖縄に咲く花の事だ。ジャケットの絵もそのブーゲンビリアの花を描いたものだ。この絵はCocco自身によるもので、ジャケットは毎回必ず彼女の作品が使われている。絵のタッチからも、アルバムそれぞれの作風が、何となく伺えるのではないだろうか?



▼Cocco『ブーゲンビリア』
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投稿: 2001 04 28 12:00 午前 [1997年の作品, Cocco] | 固定リンク

2001/03/04

Cocco『羽根 ~lay down my arms~』(2001)

  2001年2月21日、Coccoはオフィシャルサイト上で「音楽活動中止」宣言を発表した。「活動休止」ではなく、「中止」である。これは事実上の引退ではないだろうか?と推測する人間が多い。実際、俺もそう思っている。やはり昨年10月の武道館公演での彼女のMC(詳しくはライヴレポート参照)を聞いた後では、今回の発表は「やっぱりそうか‥‥」と思わざるを得ないのだ。

  今回の発表と同日に、彼女は2つのアイテムをリリースした。ひとつは、沖縄限定で発売された"風化風葬"、そしてもうひとつが今回紹介する、全国に流通するマキシシングル"羽根 ~lay down my arms~"である。

  昨年の全国ツアーを観た人ならピンときたと思うが、今回リリースされた表題曲2曲は昨年のツアーで既に発表されていたものだ。本当のラストに演奏され、Coccoのバレリーナのような最後の挨拶が印象的だったのがこの曲である。

  あれから半年近くが経ち、ようやくこうしてスタジオテイクを耳にする事が出来たわけだが‥‥ちょっとライヴで聴いた時と印象が違った。確かにイントロのツェッペリン的ギターフレーズはよく覚えているのだが‥‥あれ、こんなに激しかったっけ?というのが今回聴いた第一印象だ。非常に大陸的なスケールの大きさを感じさせる曲だったんだなぁ‥‥しかも唄い出しの「あなたを撃ち落とした/わたしの青い武器は/錆びてしまった」というフレーズにドキリとさせられる。深読みしようと思えばいくらでも出来る内容なのだが‥‥何故に彼女はこうも「終焉」を匂わせる歌詞ばかりを連発したのだろうか?

  かと思えばカップリングの"Drive you crazy"ではポップでありながら破壊力のあるストレートなロックンロールを聴かせてくれる。初期のグランジ的なものとはまた違う、整理させたサウンドがとても印象的だ。そういえば彼女の歌には英語詞のものが幾つかある。この曲もそうなのだが‥‥一度でいいから、全編英語詞のアルバムというのを聴いてみたかったな。初期の彼女はアラニス・モリセットと比較される事が多々あったので(その節回しや歌詞のストレートな内容から)、どれだけCoccoがアラニスとは違ったメンタリティを持ったシンガー/表現者かというのを明確にする機会になっただろうに‥‥

  もうひとつのカップリング曲、"箱舟"。俺は表題曲よりもこの曲の方が好きだ。歌詞が好きなのだ。タイプとしては"羽根 ~lay down my arms~"と近い楽曲なのだが、あちら程激しくもなく、ジワジワと歌・演奏が一体となって盛り上げていく。歌詞も1~2曲目よりも前向きさを感じさせるし、温かさを感じさせる。確かに彼女の初期の楽曲にはギスギスとした攻撃的な面が多かったが、作品を重ねる毎にその色は薄らいでいき、だんだんと聴き手を優しさで包み込むようになっていった。彼女の曲に共感したファンは徐々に、そして彼女と共に癒されていったのだ。

  「立ち上がる時には/許しを乞わないで/もういいんだからね」「やさしい/やさしい橋を架ける/光を散りばめて/あぁ愚かだと笑って/でもここに居て/何も言わないで」という歌詞。と同時に「ああ撫でられていられない/もうすぐ散るよ/灰は燃え尽きて/どこへ行こう?」("羽根 ~lay down my arms~"の一節)という歌詞。どちらもこの1枚のマキシシングルの中に収められている、今の彼女自身の言葉。この先の彼女に何が待ち受けているのか、そして今度のアルバムにはどういう言葉や想いが込められているのか‥‥その答えを我々が知るまで、あと1ヶ月ちょっとだ。



▼Cocco『羽根 ~lay down my arms~』
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投稿: 2001 03 04 01:00 午前 [2001年の作品, Cocco] | 固定リンク

Cocco『風化風葬』(2001)

  2001年2月21日、Coccoはオフィシャルサイト上で「音楽活動中止」宣言を発表した。「活動休止」ではなく、「中止」である。これは事実上の引退ではないだろうか?と推測する人間が多い。実際、俺もそう思っている。やはり昨年10月の武道館公演での彼女のMC(詳しくはライヴレポート参照)を聞いた後では、今回の発表は「やっぱりそうか‥‥」と思わざるを得ないのだ。

  今回の発表と同日に、彼女は2つのアイテムをリリースした。ひとつは、全国に流通するマキシシングル"羽根 ~lay down my arms~"、そしてもうひとつが今回紹介する、沖縄限定で発売された"風化風葬"である。

  昨年の全国ツアーを観た人ならピンときたと思うが、今回リリースされた表題曲2曲は昨年のツアーで既に発表されていたものだ。「でも大丈夫、あなたはすぐに、わたしを忘れるから」というフレーズが印象的だったのが、今回の"風化風葬"だ。残念ながらこの曲は現在(2001年3月)、沖縄でしか手に入らない。沖縄に対する想いを唄った内容ではないのだが、彼女なりの故郷に対する想いが今回の沖縄限定リリースという形になったようだ(これについては彼女のオフィシャルサイト内に、このシングル発表に当たって発表された、彼女の直筆メッセージを載せた沖縄の新聞広告がアップされているので、それを参照の事)。これも‥‥何となくだが‥‥終わりを匂わせる行動だ、と最初知った時に思った。

  このシングルは普通のシングルではない。1曲のみ収録された8センチシングルと、先の10月6日の武道館公演でのこの曲のライヴ映像を収録した7分程度のビデオがセットになった代物なのだ。そう、これまでCoccoの映像作品が正式にリリースされた事は今までなかった。プロモーションビデオ撮影にも積極的だし、これまで何度か行われてきたライヴも撮影されているはずだ。だがそれらは我々一般のファンの手に入る事はなかった。せいぜいPVを放送する番組で流される彼女のPVを録画したり、奇跡的にTV出演した時のものを録画する‥‥その程度だったのだ。そういう意味ではこの作品はとても貴重で、尚かつファンならマストなアイテムなのだ。

  この楽曲自体は4月にリリースされる最後のアルバム(と噂される)「サングローズ」にも収録されるそうなので、楽曲にのみ興味がある人間はあと1ヶ月少々待てばいいわけだ。だが、ライヴビデオの方は‥‥もしかすると、このまま手に入らない可能性もある。今後、彼女のフル・ライヴビデオやアンソロジー的映像作品でもリリースされない限りは、この映像はお目にかかれないのかもしれない。

  もしあなたの親類・友人に沖縄在住の方がいらっしゃるなら、その人に頼んででも手に入れるべき一品だろう。そういう知人もいないという人なら、俺と同じく某オークションで手に入れる方法もある(ただ、多少値が張っても文句は言えないが)。

  さて、この楽曲だが‥‥恐らく、Coccoの「メロウ/スロウ・サイド」の集大成的内容ではないだろうか? "樹海の糸"や"ポロメリア"といった作品の集大成的な作品だな?とは先のライヴで聴いた時にも感じたが、こうやってストリングスを含むスタジオテイクを聴いて、更にその思いは確信へと変わった。

  そういえば、この歌詞もどことなく「終焉」を匂わせる内容になっているような‥‥今回の発表の後だから余計にそう感じるのかもしれないが、同時リリースの"羽根 ~lay down my arms~"にもそう感じさせる表現・フレーズが多く登場する。

  「崩れ墜ちるあなたに/最後の接吻をあげる/すがりついた昨日を/振り払って私は星を辿る」だとか、このタイトル「風化風葬」という言葉に、そしてサビのフレーズに終わりを感じる。まさか自身の引退を唄ったわけではないだろうが、何故この時期にこういった内容の歌を幾つも書いたのだろうか? 今度のアルバム収録曲のタイトルにも、何となくそう感じさせる題名があるが‥‥それは俺自身の穿った見方なのだろうか。

  彼女が今後、メディアの前に登場するかは現時点では判らない。シングルプロモーションの為のTV出演はまずないだろう。ツアーは‥‥これもないかもしれない。だったら現時点でこんな発表はしないだろうし。もしするんだったら、アルバムが出てツアーが終わった時点で発表すると思う、混乱を避ける為に。もしかしたら取材‥‥「rockin'on JAPAN」辺りの取材を受けてくれるかも‥‥あるとしたら、この辺だろうな、きっと。何にせよ、彼女の「生きた」言葉を耳に出来る機会はあと1回‥‥4/18リリースのアルバムとシングルの計16曲‥‥だけは確実にあるという事。それだけだ。



▼Cocco『風化風葬』
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投稿: 2001 03 04 12:00 午前 [2001年の作品, Cocco] | 固定リンク

2000/10/08

Cocco@日本武道館(2000年10月6日)

  久し振りの武道館。3年振り。しかもその久し振りの武道館には、初めてのCoccoのライヴ。ライヴ自体を殆どやらないアーティストだけに、これは貴重だ。前回の5本に引き続き、今回は11公演。東京に限っては数百人相手のクアトロと、ここ武道館のみ。どんなに頑張っても1万5千人だ。アルバムが100万枚近く売れるアーティストに対して、これだけの人しか「生Cocco」を拝むことが出来ないのだから、そりゃチケット争奪戦になるわな。心から愛するコアなファンよりもにわかファンがチケットを握りしめてたりするんだろうな、きっと。(苦笑)まぁそんなもんだろうけど‥‥

  Coccoは音楽をやる理由/歌を作る理由/唄う理由を「復讐」だと言った。そしてその必要がなくなった時、自分は歌を辞めて沖縄に帰ると言った。アルバムを3枚リリースし、それぞれのアルバムに伴うライヴはこれまでに20回にも満たない。それぞれのライヴを目撃した人間、それを伝聞した人間はそのライヴを「伝説」に祭り立て上げ、話題が話題を呼んでアーティストとして神格化されていくCocco。その矛盾を常に抱えながら彼女は自分の心の中身を吐露してきた。そしてそれを受け止める我々‥‥ライヴを見終えた後、俺は何を思うだろう?

  武道館は超満員。俺は同行した方と一緒に1階席南西(正面向かってちょっと左、角度がちょっとついた位の位置)の座席に座り、開演を待った。19時を少し回った頃だろうか、会場が暗転し、いよいよスタートだ。音が大きくなったS.E.に合わせてバンドメンバーがひとり、またひとりとステージに現れる。そしてギターのフィードバック音が会場を切り裂くかのように悲鳴をあげた。新作「ラプンツェル」同様、ライヴは"けもの道"でスタートした。曲のスタートに合わせてCoccoがステージへと走って登場。身体全体を使った大きなヘッドバンギングをする彼女。髪が長いから、余計に大きくみえる。あれだけ暴れたにも関わらず、歌は完璧に近い。彼女の歌唱力が抜群なのはファンのみならず知っていると思うが、この日のステージでは最後までそれが乱れる事がなかった。終盤確かに疲れは感じられたが、それも気になる程ではなかった。

  選曲はやはり新作を中心に置き、そこにこれまでの2枚のアルバムからの曲を差し込む形だろうと思っていたが、ここぞという箇所に未発表の新曲を披露していたのには驚きだった。ある新聞でのライヴレポートではこれらの新曲を"風化風葬"(「あなたは私を忘れるから~」というサビが印象的な、あの曲だ)と"荊"と紹介していたそうだが、一番最後に演奏された楽曲はツアー後半から登場した曲らしく、まだタイトルすら正式にはアナウンスされていない。今回のライヴは新作をフォローアップする為のものにも関わらず、明らかにこれらの新曲が核となっていた。そういえば、前回のツアー('98年8~9月)でも最後の武道館では、当時まだ未発表だった"雲路の果て"がいち早く披露されたそうだから、これらの新曲も今後発表されるのだろう。あれだけの力作を発表した後にも関わらず、今のCoccoは精力的に作品を発表している。アルバム発表後も既に2枚のシングル("けもの道"には2曲のアルバム未収録曲を、"星に願いを"もアルバム未収録だ)をリリースしているし。

  ライヴの内容は非の打ち所のない、完璧なものだったと思う。バックにはプロ中のプロと呼べるサポートミュージシャンが揃っていたし(ドラムにはレコーディングにも参加している、現レッド・ウォーリアーズの向山テツ、ベース&ギターには奥田民生でもお馴染みのDr.Strangeloveの根岸&長田だ)、何よりも音が良かったと思う。そう、武道館にも関わらず生々しい音をしていたのだ。変にエフェクトされていない‥‥まるで小さなライヴハウスで聴く、生音混じりのあの感触。決して爆音と呼べる程の大音量ではなかったが、嫌みのないサウンドだったと思う。観ている最中に、ふと「ライヴハウス武道館へようこそ!」という、あの氷室京介のボウイ時代の名セリフを思い出した程だ。武道館でこんなに生々しい体験をしたのは、5年前のPEARL JAM初来日公演以来だと思う。いや、どう考えてもその2回以外には思い浮かばない。それくらい素晴らしいサウンド・プロダクションだったと思う。
  選曲は先に述べた通り、俺的には「グレイテスト・ヒッツ」と呼べる内容だった。何もヒット曲を全部やったからといって、それが本当にグレイテスト・ヒッツと呼べるのだろうか? 確かに今回"雲路の果て"や"Raining"は演奏されなかった。しかし、逆に考えればそれ以外のヒット曲は全て演奏されているのだし、単にCoccoが今回の選曲や心境に合わないと思っただけなのだろう。ライヴの機会が少ないだけに、確かにこれらの曲を聴きたいと思う。けど、それらを全部やればいいというわけでもない。まぁ人それぞれ思い入れとかいろいろあるだろうから、この辺は仕方ない事だが‥‥俺としては、未だに"カウントダウン"や"遺書。"のみならず、"強く儚い者たち"がライヴで聴けるってだけで、十分なのだが‥‥(もし自分が彼女のようなスタンスをとるアーティストで、彼女と同じ立場だったらきっと、これらの過去の曲はやらないだろうし。もっとも俺は彼女ではないので、これは勝手な思い込みでしかないが)

  MCでの彼女は、唄っている時の「アーティスト・Cocco」とはまた別の、それこそ本人が言うところの「ただの沖縄の女」に戻ってしまう。(笑)彼女のMCの爆裂振り?は有名で、今回も「最近のアイドルは唄って踊れなくてはいけない。アイドルとしてあっちゃん(彼女は自分を呼ぶとき、こう呼ぶ)も挑戦してみるので黙って観てくれ」とか、初めて携帯電話を持たされた話などで場を和ませた。
  しかし、今回の山場、いや、一番の衝撃はラスト前‥‥"かがり火"の後のMCだろう。ここで彼女はこう言った。


「自分は今までのツアーでも、バンドのメンバーやスタッフと仲良くしないようにしてきた。仲良くなってしまうと別れたくなくなるし別れが辛くなるし、情が移ってしまうし。捨てるのは嫌だし、捨てられたくないし‥‥でも今回のツアーでみんなと仲良くなってしまった‥‥(ここでCocco、泣く)ステージ上で見えている人の100万倍以上の人が働いてくれて、あっちにもこっちにも(とステージの左右を指す)あそこにも(正面のサウンドボードや照明を指す)スタッフがいて、あっちゃんを支えてくれている。
  こんなことをここで話すのはずるいかもしれないが、あと数分でステージを降りてしまうとメンバーも家に帰らなければならないし、スタッフも後かたづけをしていてあっちゃんの話を聞いてもらえないし。あっちゃんもただの沖縄の女に戻ってしまうので、姫でいられる間に言っておこうと思った。
  今回のツアーでみんなとも仲良くなり、ライヴも好きではないけど楽しかった。今まであっちゃんは独りで唄っていたと思っていたけど、バンドのメンバーやスタッフに後ろから支えられていられたから唄ってこれたんだと思う。」


  そして彼女は「本当にありがとう。さようなら」と泣きながら言い、最後の2曲を精一杯唄った。俺はここで感極まり、一緒に泣きそうになったが、周りの女性客の鼻をすすり泣く音や「あっちゃん、頑張って~」の声援にはと我に返った。危ない、危ない。(苦笑)けど、途中から("'Twas on my Birthday night"辺りからだろうか?)座ってじっくりと歌に耳を向けて聴き始めてからは、何度も涙しそうになっていたが。
  もしかしたら、彼女はもうステージには立たないかもしれない。曲を作らないかもしれない。下手をしたら、本当に「ただの沖縄の女」に戻ってしまうのかもしれない、そう単純に思った。新曲の歌詞を聴き取り、今回のMCを聞いた後、俺はそう感じた。最初に書いた通り、彼女が唄う理由は「復讐」だった。けど、自分はひとりじゃない、みんなが支えてくれているから今までやってこれたんだという事実に気付いた今、彼女の中で何かが弾け、何かが終わったような気がする。もし次があるのなら‥‥俺はこの日の武道館を「第1期Cocco」の終焉の日と呼びたい。そう、本当に次があるのなら‥‥今回の新曲を発表する機会があるのなら、彼女は間違いなく音楽を続けるだろう。支えてくれた「みんな」の為にも。

  彼女が唄うのは、誰のためでもない、自分自身のためだ。けど、CDをリリースし、コンサートをするという行為を通過する事によって、少なからず聴き手のために唄う事にもなる。彼女はそういうごく当たり前なプロセスを見て見ぬ振りをしてきた。自分ひとりでやってるんだ、外野なんて知ったこっちゃないと。しかし、今でもこうやって唄ってられるのはバンドのメンバーやレコード会社やツアースタッフ、そしてCDを買ってくれた、コンサートに来てくれた人達の支えがあったからだという事に気付いた。自分を捨てた人、裏切った人への「復讐」の為に唄っていたのに、それは間違っていたのかもしれない。みんなが暖かく見守っていてくれたから、自分はここにいるんだ。そういう事実を全て受け入れてしまったから、彼女は最後にステージでそう発言したのかもしれない。勿論これは俺の勝手な想像だが‥‥

  今回のライヴが本当の意味で凄かったのは、バンドやスタッフが本当にプロの仕事をしたにも関わらず、それに応えるだけの実力を持ったCoccoがごく自然に、自分の立場やその場にいる理由を理解していなかった事。そしてそういう偶然が上手く噛み合ったから、あんなに印象的な、素晴らしいものになったのかもしれない。だからこそ、本当の意味での「アーティスト・Cocco」のスタートラインは、この次なのかもしれない。ここで一度フラットな状態に戻り、そういう事実を受け止めた上で出来た楽曲を引っ提げて再びステージに戻った時、一体彼女はどうなっているのだろう? 本当にその日が来るのだろうか? 現時点ではどちらとも言えないだろうが、俺はその日をいつまでも待っているだろう。いろいろなものを搾取された彼女がそこにいるのか、それとも更に強くなった彼女がいるのか‥‥何も変わっていないのか。今は誰にも判らない。けど、絶対に何かが変わるはずだ。


[SET LIST]
01. けもの道
02. 濡れた揺籃(ゆりかご)
03. 水鏡
04. 熟れた罪
05. 風化風葬(未発表新曲)
06. 樹海の糸
07. 海原の人魚
08. 'Twas on my Birthday night
09. ポロメリア
10. 白い狂気
11. 強く儚い者たち
12. Sweet Berry Kiss
13. 遺書。
14. 荊(未発表新曲)
15. カウントダウン
16. 星に願いを
17. 眠れる森の王子様 ~春・夏・秋・冬~
18. かがり火
19. しなやかな腕の祈り
20. 羽根-lay down my arms-(未発表新曲)



▼Cocco『ラプンツェル』
(amazon:国内盤CD

投稿: 2000 10 08 12:00 午前 [2000年のライブ, Cocco] | 固定リンク