2017/03/02

WHITESNAKE『SLIDE IT IN』(1984)

WHITESNAKE通算6枚目のスタジオアルバム『SLIDE IT IN』。以前1987年発売の大ヒット作『WHITESNAKE』には曲順や収録内容が異なる仕様が複数存在すると紹介しましたが(こちら)、実はこの『SLIDE IT IN』にも複数の仕様があるのです。それもこれも、この時期にアメリカでGeffen Recordsと契約したがために、US向けにテコ入れをされてしまったのが原因なんですけどね。

さて、今回も多少長くなってしまうと思いますが、各仕様について説明していきます。

まず、この時期の編成について。デヴィッド・カヴァーデイル(Vo)は前作『SAINTS & SINNERS』(1982年)のレコーディングに参加したバーニー・マースデン(G)、ニール・マーレイ(B)、イアン・ペイス(Dr)を切り、新たにメル・ギャレー(G)、コリン・ホッジキンソン(B)、コージー・パウエル(Dr)を迎えます。ここに初期から参加するミッキー・ムーディ(G)、ジョン・ロード(Key)を加えた6人で『SLIDE IT IN』を制作。楽曲はメル・ギャレーが中心となり制作されたことから、前作までのルーズな作風から起承転結のしっかりしたドラマチックな作風へとシフトチェンジ。ドラムもイアン・ペイスからコージー・パウエルに変わったことで、よりタイトで締まったサウンドに進化しています。


①UK&JPバージョン

1984年初頭にリリースされた最初のバージョンがこちら。当時イギリスやヨーロッパではEMIから、ここ日本では新たにCBSソニーからリリースされています。これは今作からアメリカではGeffenからリリースされることに伴う移籍だったのかなと(当時Geffenでリリースされた作品は、ここ日本ではソニーから発表されました)。

収録内容はこちら。


01. Gambler
02. Slide It In
03. Standing In The Shadow
04. Give Me More Time
05. Love Ain't No Stranger
06. Slow An' Easy
07. Spit It Out
08. All Or Nothing
09. Hungry For Love
10. Guilty Of Love


今も昔もこの曲順が当たり前で、こちらに慣れ親しんだ日本のHR/HMリスナーは多いはずです。


②USバージョン

しかし、ヨーロッパや日本向けに制作した本作。アメリカのスタッフにはいまいちウケがよろしくなくて、あれこれ修正しろといちゃもんをつけられます。そして同じ頃、結成時からのメンバーであるミッキー・ムーディ、そしてコリン・ホッジキンソンが相次いで脱退。そこに新たに加わったのが、当時THIN LIZZYが解散したばかりのジョン・サイクス(G)でした。さらにベースにはニール・マーレイが出戻り。これにより、ジョンのギタープレイとニールによるベース差し替え、さらにUS向けにリミックス&再構築したのが、1984年4月に現地でリリースされたUSバージョンです。

USバージョンの曲順は以下のとおり。


01. Slide It In
02. Slow An' Easy
03. Love Ain't No Stranger
04. All Or Nothing
05. Gambler
06. Guilty Of Love
07. Hungry For Love
08. Give Me More Time
09. Spit It Out
10. Standing In The Shadow


これ、どうよ? 正直UKバージョンに慣れた耳でこの曲順のアルバムを聴くと、非常に違和感を感じるわけです。しかもジョン・サイクスによるピロピロしたギターソロは加わるわ、音も若干硬めにミックスし直されてるわ、キーボード類が後ろに引っ込んでリズムが前に出てるわで本当に違和感しかない。アメリカ人の耳はこんなにバカなのか……と当時本気で思ったものです。

まぁ「Slide It In」から始めるのはよしとしましょう。しかし、それに続くのが「Slow An' Easy」「Love Ain't No Stranger」とか、「Gambler」が5曲目とか、「Guilty Of Love」じゃなくて「Standing In The Shadow」で終わる構成とか、本当にありえない。USリミックス自体は否定しませんが、この曲順だけは『WHITESNAKE』のそれと比較しても、30年以上経った今でも馴染めません。


③『SLIDE IT IN (AMERICAN REMIX VERSION)』

ここ日本ではUSバージョンそのままがリリースされることはありませんでしたが、代わりに『SLIDE IT IN (AMERICAN REMIX VERSION)』と題したアナログ盤が(のちにCDも)リリースされます。

収録内容はこちら。


01. Slide It In
02. (Comment)
03. Love Ain't No Stranger
04. (Comment)
05. Guilty Of Love
06. Slow An' Easy
07. (Comment)
08. Gambler
09. (Comment)
10. Need Your Love So Bad


M-2、4、7、9はそのタイトルどおり、デヴィッドからのメッセージ。10トラック収録されているものの、実質6曲から構成されたミニアルバムです(そのぶん、収録時間も30分に満たない)。この6曲中5曲(M-1、3、5、6、8)はすべて②のUSバージョン。目玉となるのがM-10で、FLEETWOOD MACのカバーで知られるブルースナンバーです。この曲がとにかく最高に渋くてカッコいいったらありゃしない。すでにUS盤を持っていたにもかかわらず、この1曲のためだけに本作を購入したのを今でも覚えています。へっ、メッセージはどうだったかって? そんなのよく覚えてませんってば(いつも飛ばしてたし)。


④25TH ANNIVERSARY EDITION

『SLIDE IT IN』の発売25周年を記念して、2009年6月にEMIからヨーロッパ向けにリリースされたのが本作。CDとDVDの2枚組仕様で、こちらの内容も非常に厄介なもの。各ディスクの収録内容は下記のとおり。


<CD>
01. Gambler (US Mix)
02. Slide It In (US Mix)
03. Slow An' Easy (US Mix)
04. Love Ain't No Stranger (US Mix)
05. Give Me More Time (US Mix)
06. Standing In The Shadow (US Mix)
07. Hungry For Love (US Mix)
08. All Or Nothing (US Mix)
09. Spit It Out (US Mix)
10. Guilty Of Love (US Mix)
11. Need Your Love So Bad
12. Gambler (UK Mix)
13. Slide It In (UK Mix)
14. Standing In The Shadow (UK Mix)
15. Give Me More Time (UK Mix)
16. Slow An' Easy (UK Mix)
17. Spit It Out (UK Mix)
18. All Or Nothing (UK Mix)
19. Guilty Of Love (UK Mix)
20. Love Ain't No Stranger (Live from『STARKERS IN TOKYO』)
<DVD>
01. Guilty Of Love (Music Video)
02. Slow An' Easy (Music Video)
03. Love Ain't No Stranger (Music Video)
04. Guilty Of Love (Live at Donington 1983)
05. Love Ain't No Stranger (Live from『STARKERS IN TOKYO』)
06. Give Me More Time (BBC TV's Top Of The Pops 19/1/84)
07. Love Ain't No Stranger (Live from『LIVE… IN THE STILL OF THE NIGHT』)


もうここまでくると、訳がわかりません。単なる寄せ集めですよね。UKバージョンとUSバージョンを比較しようにも、UKバージョンが不完全。これは無理やりCD1枚に収めようとしたことが敗因。それなら、アナログでしか手に入らない「Guilty Of Love」と「Gambler」のシングルバージョン(アルバムを手がけたマーティン・バーチではなく、エディ・クレイマーがプロデュースしたバージョン)も入れてほしかったなぁ(前者はDVD収録のMVにてその音を耳にすることができます)。本作に関してはMVや現在入手困難な『STARKERS IN TOKYO』の映像、さらには『TOP OF THE POPS』での映像が観られるという意味で、非常に資料価値の高い作品と言えます。まぁ音源に関しては……一応リマスタリングされてるようですが、そのへんの聴き比べはマニアの皆さんにお任せします。


なお、ジョン・サイクス&ニール・マーレイ加入後のラインナップですが、結局メル・ギャレーもバンドを脱退し、しばらくはデヴィッド・カヴァーデイル、ジョン・サイクス、ニール・マーレイ、コージー・パウエル、ジョン・ロードのシングルギター体制で活動。さらにDEEP PURPLE再結成にあわせてジョン・ロードまで脱退し、以降はサポートキーボーディストを迎えてライブを続けることになります。で、その後はご存知のとおり、コージーもバンドを脱退。デヴィッドはジョン・サイクスとともにバンドの立て直し、およびアメリカで天下を獲るためのアルバム作りに取りかかるのでした(以降の流れは『WHITESNAKE』レビューをご確認を)。



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投稿: 2017 03 02 12:00 午前 [1984年の作品, Cozy Powell, Whitesnake] | 固定リンク

2017/02/06

GARY MOORE『AFTER THE WAR』(1989)

本日2月6日は、2011年に急逝したゲイリー・ムーアの命日だったんですね。先ほどTwitterに流れてきたつぶやきで知りました。それで、今朝から彼の諸作をいろいろ引っ張り出して聴いているのですが……せっかくだから1枚選んで、急遽取り上げてみようかと思った次第です。

ゲイリー・ムーアが遺した名作群の中からどれか1枚選べと言われると、非常に悩みどころでして……80年代の作品はどれも好きなものばかりですし、そんな中でもやっぱり『WILD FRONTIER』(1987年)は群を抜いてお気に入りだけど、同じくらい『STILL GOT THE BLUES』(1990年)も好き。さて困ったぞと悩んでいると、iTunesで上記2作の間に挟まれた1枚のアルバムに目がいったわけです。それが今回紹介する『AFTER THE WAR』です。

本作は1989年初頭にリリースされた、通算8作目のオリジナルアルバム。前作『WILD FRONTIER』である種ひとつのピークを迎えたゲイリーが、新たなるステージであるブルースサイドへと移行する前に見せた過渡期的側面と言えなくもない本作は、彼がハードロックギタリストとして音楽と向き合った最後の作品と受け取ることもできます。事実、タイトルトラック「After The War」や「Speak For Yourself」、オジー・オズボーンをボーカルにフィーチャーした、当時のLED ZEPPELIN劣化コピーバンドを皮肉った「Led Clones」、名曲「Out In The Fields」、VAN HALENばりのハードブギー「This Thing Called Love」、陽気なハードロック「Livin' On Dreams」「Ready For Love」と、本作以降のアルバムではなかなか聴くことのできないタイプのオリジナル楽曲をたっぷり楽しむことができます。どこか洗練された感があるのも、本作の特徴かもしれませんね。

と同時に、本作には次作『STILL GOT THE BLUES』への布石も用意されています。それがロイ・ブキャナンのカバー「The Messiah Will Come Again(メシアが再び)」。リリース当初はアナログ盤に未収録だったこの曲、それ以前のアルバムに収められたインストナンバーと比べるとプレイスタイルもよりブルージーになっており、これがあったからこそ『STILL GOT THE BLUES』へとすんなり入っていけたという人も少なくないのではないでしょうか。

と同時に、前作『WILD FRONTIER』でみせた母国アイルランドへの強い思いも、「Blood Of Emeralds」や、THIN LIZZYのカバー「Emerald」などで再び表現されています(アルバム冒頭とエンディングに収められたインスト「Dunluce (Part 1)」および「Dunluce (Part 2)」もその流れですよね)。そういう意味では本作、過渡期というよりも過去数年の集大成かつ新たなステップへの序章と捉えたほうが健全かもしれませんね。リリースから28年も経っていて正直驚きましたが、その魅力を再認識してほしい1枚です。

ちなみに本作のレコーディングには、同作のツアーに参加するもすぐに脱退してしまったコージー・パウエル、名手サイモン・フィリップス、エルトン・ジョンやケイト・ブッシュとの共演でも知られるチャーリー・モーガン、そして「Emerald」の原曲でも叩いているTHIN LIZZYのブライアン・ダウニーと複数のドラマーが参加しています。ほぼ打ち込みで表現された『WILD FRONTIER』と比べたら非常に肉感的ですし、ライブが見えてくる音像ですよね。さらに2002年以降に流通しているリマスター盤に追加収録されたライブテイクでは、のちにKISSに加入するエリック・シンガーが叩いているようです。そのへんのプレイの違いを聴き比べてみるのも、面白いかもしれませんね。



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投稿: 2017 02 06 12:00 午後 [1989年の作品, Cozy Powell, Gary Moore] | 固定リンク

1999/05/03

コージー・パウエル

本来ならこの文章は先月の5日に書くべきものだ。けど‥‥忙しさの中で忘れてしまっていた。カートの事にばかり気を取られていたが、この人も4/5に亡くなった事を知ってがく然とした。そう、hideが亡くなる約1ヶ月前に‥‥俺にとってはある意味、hideの死以上の衝撃・ショックを受けた。もし俺がドラマーだったら、この人みたいに叩きたかった、そう思わせたドラマーはこの世の中に3人しかいない。LED ZEPPELINのジョン・ボーナム、「元」MOTLEY CRUEのトミー・リー、そして今回の主役である「スティックを持った渡り鳥(笑)」コージー・パウエル‥‥人間としてもミュージシャンとしても、彼はこの人生を全うしたのではないか? そんな想いを胸に、今日は彼の素晴らしさを皆さんに知っていただき、これを切っ掛けに彼が参加したアルバムを手に取っていただければ‥‥と思う。

コージー・パウエル、本名コリン・パウエル。'47年12月29日生まれ。イギリスはグロースター州サセックス出身。

13歳頃からドラムスを叩き始め、CORALSを皮切りに幾つかのバンドで腕を研いていく。そして、'70年にJEFF BECK GROUPに加入したことによって、一躍有名になる。その後、初のリーダーバンドであるBEDLAMやCOZY POWELL'S HAMMER、STRANGE BLEWでの活動、軽い気持ちでレコーディングした "Dance With The Devil" b/w "And Then There Was Skin" が予想外の大ヒットを記録する‥といった経験を経て、'75年にRAINBOWに加入。これによって日本でもビッグスターの座を手に入れ、当時としては珍しかったドラム・ヒーローとして崇められるようになる。RAINBOWにおいては、4枚のアルバムに参加。脱退後はTHE MICHAEL SCHENKER GROUP (MSG)に加入し、「MSG」('81年)と「ONE NIGHT AT BUDOKAN」('82年/'81年の日本公演の模様を収めたライヴ)にそのプレイを残した。またこの頃までに、3枚のソロアルバムをリリースしている。そして'83年から'84年にかけてはWHITESNAKEで、'85年から'86年にかけてはEMERSON,LAKE & POWELLで活躍した。

その後しばらくは、セッション活動に専念。('87年にはジョン・サイクスのBLUE MURDERに加入したが、アルバム制作に到る前に脱退)'89年にBLACK SABBATHに加入し、久し振りにバンドメンバーとしての活動を展開する。'92年に落馬事故で負傷し、BLACK SABBATHを離れるが、4枚目のソロアルバムの制作、ブライアン・メイ(QUEENのギタリスト)のファースト・ソロアルバムとツアーへの参加などを経て、'95年には復帰している。しかし、アルバム「FORBIDDEN」のレコーディングに参加したのみでツアーには同行せず、しばらくの間、長年の活動により蓄積した疲労を癒すために休養する。そして、'97年に行われた元FLEETWOOD MACのギタリスト、ピーター・グリーンの復活ライヴより活動を再開。イングヴェイ・マルムスティーンの「FACING THE ANIMAL」、ブライアン・メイのセカンド・ソロアルバム「ANOTHER WORLD」に参加する。イングヴェイのバックメンバーとして来日することも決定した。しかし、バイクで事故を起こし、右足に全治8週間の重傷を負ってしまったことで来日が不可能に。そしてイングヴェイが丁度来日中の'98年4月5日午後8時30分頃(現地時間)、高速道路M4を自宅のあるバークシャー州ハンガーフォードからブリストル近郊に向かってサーブで走行中に何らかの理由で中央分離帯に衝突。(酒気を帯びていたという話もある)車は炎上し、死亡した。享年50歳。
(「BURRN!」98年7月号の特集記事より)


コージーの功績についてはこの「BURRN!」の追悼記事や、彼に関して書かれた書籍、彼がレコーディングに参加したアルバムから知る事ができるのでこれ以上は書かない。ただ、これだけは言わせて欲しい。コージーのドラムは、聴けばすぐに判った。これは俺が彼の事を好きだったからではなく、その独特なサウンドからだ。あのバスドラとスネアの「トン、タン」ではなく「ズドン、バン」という重量感。どのバンドのどのアルバムでも同じサウンドを聴かせてくれる。そして「オカズ」であるフィルイン。そう、RAINBOWの "Lost In Hollywood" のイントロやサビのフレーズに入る直前の、あの有名なフィルはもう‥‥何度コピーしようとしたことか。(笑)俺は殆どの楽器をプレイすることができるが、唯一ドラムだけは‥‥理想が高すぎるのか、コージーやボーナムの真似ばかりしていたせいか、単純な曲しか叩けない。何度 "Stargazer" (RAINBOW) のイントロをコピーしようとしたことか。何度 "Guilty Of Love" (WHITESNAKE) を練習したことか‥‥とにかく、こんな「ドラムヒーロー」はもう現れないかもしれない。この先ずっと‥‥

何故彼のドラムサウンドがあんなに独特だったか‥‥俺はこの話を聞いて納得した。それは元LOUDNESS、現SLYのドラマー、樋口宗孝がヤマハ主催のドラム・クリニックで言った言葉だ。

「コージーの生音はやたらにデカい。でも、それは力というよりはスティックの重さに因るものだ。あんなに重いスティックを普通のドラマーが使ったら1曲で手首がダメになる。それだけ、彼の手首は強靱なんだ。」

実際にドラムを叩いた事がある方なら解ってもらえると思うが、ドラムを叩く際にスティックが自分の身体や手に合っていないと、どれだけ叩き難いか‥‥俺も遊びとはいえ、よく解っているつもりだ。スティックの重さによってついた腕力。いや、もともとキック力や腕力があった人間だろう。そんな人が更に重いスティックを持つことによって生まれるヘヴィ・ヒット。そしてそのヘヴィさからくる「あと乗り」(タメともいう)‥‥彼は決して機械的な「ジャストなヒット」を繰り出すドラマーではなかった。逆にそこが彼の素晴らしさだったのだが。(これが原因で、彼はゲイリー・ムーアーの元をたった数カ月で去っている。ゲイリーはコージーに「正確無比のビート」を求めたのだ)この「あと乗り」のスウィング感があったからJEFF BECK GROUPの "Got The Feeling" が、WHITESNAKEの "Slow An'Easy" が名曲となったのだ。(勿論、元の楽曲の良さは大前提だが)

もうひとつ、彼のドラムソロ‥‥多くのドラマーのドラムソロ。俺にとっては退屈なものだ。ライヴにおける10分近くの「マスターベーション」。俺自身、ギタリストのギターソロも好きではない。もっとも、人を引き付けるだけの力量を持ったミュージシャンがやるなら話は別だが。そう、俺にとって「ドラムソロとはこういうものだ!」という仕事をやってみせたのはコージー、ボーナム、そして別の意味でトミー・リー。この3人だけだ。(いや、他のドラマーのソロはあまり知らないだけかもしれないが)残念ながらコージーのドラムソロが完全収録された映像は正規では発表されていない。唯一、ブライアン・メイのソロツアーの模様を収めたライヴビデオにのみ、ドラムソロは収められているが、全盛期‥‥'70~'80年代の、あの "1812" をバックにしてのドラムソロが収められた作品は音源/映像共に公式発売されていない。ここはもう‥‥違法ではあるが‥‥ブートを見ていただきたい。(笑)特に'70年代のRAINBOW時代のものを‥‥絶対にひっくり返るはずだから。常識では考えられないこと、やってるから。ドラムソロを「ひとつの楽曲」にしてしまったのは、この人とジョン・ボーナムだけではないだろうか?

‥‥やっぱりダメだ。(笑)どんなに言葉を並べても、彼の凄さ、偉大さは俺の拙い文章では伝わらないだろう。てっとり早く彼が参加したアルバムを聴いて欲しい。俺がお薦めするのは以下の5枚。どれもコージーが参加してるからだけでなく、楽曲/演奏共に素晴らしい作品ばかりだから。

* JEFF BECK GROUP「ROUGH AND READY」('71年)
* RAINBOW「RAINBOW RISING」('76年)
* COZY POWELL「OVER THE TOP」('79年)
* WHITESNAKE「SLIDE IT IN」('84年)
* BLACK SABBATH「TYR」('90年)

異論はあるだろうが、これはあくまで俺の趣味だ。RAINBOWは正直言って、彼が参加したアルバムはどれも素晴らしいが、やはり "Stargazer" ~ "A Light In Black" のドラミングをこの流れで聴いて欲しいから。それとコージーのソロアルバムはセカンド「TILT」、サード「OCTOPUSS」も素晴らしいので是非聴いて欲しい。お手軽な「THE VERY BEST OF COZY POWELL」というのも出てるので、それを入門編にしてもいいかも。

最後に。コージーはドラマーであると同時に、素晴らしいドライバーでもあった。彼がモーターレーシングの世界に精通してる事はファンの間でだけでなく、多くのミュージシャンが知っていた。一時期彼は、本気でレーサーに転向しようと考えた時期もあったそうだ。そんな彼がああいう形で死んだことは‥‥不謹慎かもしれないが、ある意味本望だったのかもしれない。俺が最初に「彼はこの人生を全うしたのではないか?」と書いたのはそういう意味からだ。彼はモーターレーシングの世界を熟知していた。だからこそ、常に死と隣り合わせだという事も常に頭にあったはずだ。ここ数年の彼は、仕事としての「ドラマー」の他に趣味としてドラムを叩き始めていた。その切っ掛けが先頃来日したピーター・グリーンとのセッションだ。もし生きていたら‥‥亡くなったアーティストの文章を書く時、いつもこの言葉を口にしてしまうが‥‥この来日公演、コージーも同行していただろう。そしてコージーが生前最後に関わったのが、自身のソロアルバムだった。(これは先頃発売された)地位も名声も手に入れた今、彼は残された人生を本気で楽しもうとしていたのではないだろうか? いや、彼は常にその人生を楽しんでいたのかもしれない。だから彼は「渡り鳥」としての道を選んだのかもしれない。自分が常に楽しんでいられるように‥‥

ジョン・サイクスがコージーの死に対して、こうコメントしている。

「コージーはクレイジーなドライバーだったから、こうなるのもある意味では運命だったのかもしれない」
判っていたはずだ、コージーには。だから彼は「楽しむ」ことを選んだのかもしれない。そして、そんな生き方を選び、全うした彼が羨ましくもある。確かに早すぎる死だ。けど‥‥これでよかったのだろう。きっと彼は今でもあの「笑顔」のはずだ。だから僕らもそんな彼のプレイを「楽しんで」聴かなくては‥‥そう、決して悲観的にならずに。

やっぱりかっこいいよ、コージー‥‥(笑)

投稿: 1999 05 03 07:11 午前 [Cozy Powell, 「R.I.P.」] | 固定リンク