CYBERNAUTS『LIVE』(2000)
現在第一線で活躍する、所謂ビッグネームと呼ばれるアーティストにも、子供の頃憧れたアーティストがいる。そういう人達やその音楽と出会った事によって、そのアーティストのコピーをするためにバンドを始めたり、それを切っ掛けにオリジナルの楽曲を書き始めたり‥‥そう、「影響を受けたのは○×です」みたいな発言をよくインタビュー等で見かける、あれだ。しかし、ある程度プロのミュージシャンとして成功を収めると、急にその「影響」を隠してしまったり封印してしまう人も多い。自身のオリジナリティーのようなものがある程度完成してしまう事により、パクる必要がなくなるわけだ。良く言えば「独自の音楽に拘る」と言えるが、その反面「遊び心がなくなってしまった」という声も聞こえてきたりして‥‥ライヴやシングルのカップリングにカヴァー曲を入れる事はあっても、そういう直球型のカヴァー(所謂元ネタ)はなかなかやってくれない。
ところが、ここに紹介するCYBERNAUTSというバンド(というユニット)は、その「子供の頃に憧れた存在になりきってしまう」という、究極の遊びバンドだったりする。しかもそのバンドのメンバーが、世界的大ヒットを飛ばし続けるビッググループのメンバーと、そのカヴァーされる側のメンバーの組み合わせというのだから、ある意味反則ともいえる。というか‥‥羨ましいぞ、このヤロー!(笑)
ご存じの通り、このCYBERNAUTSはあのDEF LEPPARDのボーカルであるジョー・エリオットとギタリストのフィル・コリンが中心となって結成されている。ガキの頃に憧れたデヴィッド・ボウイの、しかもTHE SPIDERS FROM MARSを率いていた時代の楽曲に限定されたトリビュートバンドなのだ。そこに加わるリズム隊というのが、そのカヴァーされる側‥‥つまりTHE SPIDERS FROM MARSのベース、トレヴァー・ボールダーとドラマーのウッディ・ウッドマンゼイなのだ。そこにサポートメンバーとしてキーボーディストのディック・ディーセントが加わった5人。これがCYBERNAUTSの正体だ。
事の始まりは、1993年4月30日にガンの為他界した、THE SPIDERS FROM MARS~MOTT THE HOOPLEのギタリストでるミック・ロンソンの追悼コンサートの為に'94年にTHE SPIDERS FROM MARSが1日だけの再結成をした事だった。当然デヴィッド・ボウイは参加するはずもなく、ボーカルとギタリストがいない状態だったところに、当日ゲストとしてジョーとフィルが参加する事を知ったトレヴァーは、旧知の仲である彼らに「一緒にやらないか?」と声をかける。当然2人は大喜びで参加するわけだ。
それから3年後に、今度はミック・ロンソンの地元であるハルでSPIDERS~としてライヴをやらないか、とオフォーが来る。そこで先の4人にキーボーディストのディックが加わったこの5人でショート・ツアーを行った、というわけだ。このライヴアルバムはその時のライヴの模様を完全収録したものなのである。
ここで多くのボウイファンに疑問が湧くと思う。大別して2つ。ひとつは「DEF LEPPARDとミック・ロンソンとの関係、及びSPIDERS~とは彼らにとってどういう存在なのか?」、そして「何故この時期にこんなものをリリースするのか?」。この辺について語っていこうと思う。
まず、DEF LEPPARDの音楽性について。現在の彼らのオリジナリティー溢れる存在からは想像出来ないだろが、彼らは間違いなくグラムロックの影響を受けている。その片鱗は彼らの楽曲からも伺い知る事ができるだろう。数々のヒット曲からT-REX、SPIDERS~時代のボウイ、更にはSLADEやSWEET、ゲイリー・グリッターといったアーティストからの影響が見え隠れするし、インタビューでも普段からそれらのアーティストに影響を受けたと発言している。特にQUEENとボウイというのは、ボーカルのジョー・エリオットが幼少期に最も影響を受けたアーティストだそうだ。
そのLEPPSが'92年4月、その前年に亡くなったQUEENのフレディ・マーキュリー追悼ライヴに出演した際に、かのデヴィッド・ボウイとミック・ロンソンも同ライヴに出演していたのだ。この時を切っ掛けに、ジョーとミックは親しくなり、ミックが当時制作中だったソロアルバムにジョーはゲスト参加する事となった。
しかし、翌年の同時期にミック・ロンソンは亡くなる。アルバムは未完のままだった。そこでジョー・エリオットが立ち上がり、彼がエグゼクティヴ・プロデューサーとなって様々なゲストを迎えて、ミックの遺作を完成させるのだった。それが彼の死後から1年経った日に発売された「HEAVEN AND HULL」だ。
更にLEPPSのメンバーはミック以外にも、トレヴァー・ボールダーとも交流があった。'83年の「PYROMANIA」に伴うツアーで、当時トレヴァーが参加していたURIAH HEEPと一緒にツアーしていたのだ。その時にジョー達はトレヴァーと仲良くなったそうだ。憧れの存在と毎晩のように飲みあかし、SPIDERS~時代の逸話に耳を傾けたそうだ。
以上の事から、何故DEF LEPPARDのメンバーがSPIDERS~トリビュートバンドをやったのかがご理解いただけると思う。残念ながら、当のボウイ本人とLEPPSとの交流については俺は何も知らなかったりする。まぁ現在のボウイから考えれば、何となく想像は出来るが‥‥(苦笑)
さて、第2の疑問点。何故この時期にこういうアルバムをリリースする事にしたのだろうか? 実はこれについては俺も詳しい事は知らなかったりする(笑)。最近の雑誌のジョー・エリオットのインタビューが載っていたそうだが、まぁ早い話が「LEPPSのツアーが終わったので、次のアルバム制作までのお遊び」のつもりなのだろう。そもそもこのアルバムがレコード会社を通して正式にリリースされるのは、ここ日本だけなのだから。
本来、このアルバムはLEPPSのオフィシャルサイトで、インターネット上のみでのリリースという形をとるものなのだ。しかし、海外と比べて日本ではまだインターネットがそれ程普及していない点、いざオフィシャルサイトを覗いてみても英語に弱いので取引しにくい点等々を考慮した日本のレコード会社がジョーに是非日本では一般流通させてくれ、と直訴したそうだ。日本だけなら、という事でメンバーは承諾し、更にアルバムリリースと同時期に日本でライヴもやりたいとも言ってくれたそうだ。やはり一般流通させる以上はプロモーションしなければならない。これはレコード会社にとっても好都合だし、LEPPSファンにとっても貴重な機会になる。噂が噂を呼んだ。2000年9月でバンドとしてのツアーを終えたにも関わらず、年末にLEPPS再来日の噂が急浮上する。カウントダウンなのか?と。それが別プロジェクトだという事が知れ渡るのに、そう時間はかからなかった。彼らのオフィシャルサイトで、CYBERNAUTSのライヴアルバムをインターネット流通する事が発表されたからだ。
現在特に定職(というかバンド)を持たないウッディーとトレヴァーにとっても、この話は好条件だったに違いない。何せ来日も出来るのだから。後ろ向きと言われてしまえばそれまでだが、これは「おもいっきり豪華な遊び」だと割り切ってしまえばいいのだから。自身の次の仕事の為のプロモーションの場と考えれば、これ程オイシイ話はないわけだし。
というわけで、当初の予定より1ヶ月送れてアルバムは日本リリースされ、その10日後には来日を果たすわけだ。
そういうわけだ。納得しただろうか。殆どアルバムの内容について説明していないが‥‥説明するまでもないだろう。ボウイの、最も輝いていた時代の名曲がギッシリ詰まっていて、それをオリジナルメンバーを含むラインアップで演奏している。ジョーはボウイを意識した唄い方をしているし、フィルもミックのプレイを意識しながら、独自のプレイをこれでもか!?と披露するのだから。LEPPSファンにも十分にアピールする作りとなっているし、若いボウイファンにも受け入れられると思う。
けど、最後にひとつ。これだけは大きな声で言っておきたい。これはボウイトリビュートはなく、あくまでミック・ロンソンのトリビュートだという事。それは収録曲の中に唯一収録されている非ボウイ曲、"Angel No.9"(ミック・ロンソンの2ndソロ「PLAY DON'T WORRY」収録)からも伺えると思う。ジョーやフィルにとってミック・ロンソンはヒーローだったのだ。グラム時代のボウイを影ながら支えていたのは、間違いなくこのミック・ロンソンなのだから。彼のファンは英米のみならず、ここ日本にも多い。代表的なところでTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉。彼は先のミックのソロアルバム再発の際には、ライナーノーツも書いていた。
特にここ日本では過小評価をされる事の多いミック・ロンソン。これを機にDEF LEPPARDのファンは初期のデヴィッド・ボウイのアルバムに手を出して欲しいし、逆にボウイに興味を持つファンにはDEF LEPPARDの音楽に改めて触れ、そこからボウイ色を感じ取って欲しい。そして、ミック・ロンソンという偉大なギタリストがいたことを認識して欲しい。プロだからこそ出来る、正にプロの仕事。そして本当の遊び心というのはこういう事を示すのだという、素晴らしいアルバムだ。20世紀最後に届いた贈り物。そして20世紀最後に買ったのがこのアルバムだという事を、俺は決して忘れないだろう。
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