HOLE『CELEBRITY SKIN』(1998)
コートニー・ラヴ率いるHOLEの、3作目にしてラストアルバムとなってしまった「CELEBRITY SKIN」。リリース当時(1998~9年頃)ロック系クラブイベントに行くと必ず耳にした名曲 "Celebrity Skin" を筆頭に、とにかく「ポップ」で前向きな楽曲が詰まった1枚で、俺もよく愛聴したものです。というか、HOLEのアルバムの中で一番好きなアルバムですね。
夫であるカート・コバーンの死後、このアルバムが完成するまでに4年半という月日を要したわけですが、ここには「影/陰」を感じることはできても、「悲壮感」みたいな要素はあまり感じられないんですよね。これが月日によるものなのか、それともミュージシャン・コートニーとしての成長なのか、はたまたバンドメンバーとのケミストリーなのか、それとも一時期恋仲とも噂されたビリー・コーガン(当時はSMASHING PUMPKINS)とのコラボレートがもたらしたものなのか‥‥とにかく、前作「LIVE THROUGH THIS」とは異なっていたのは確か(っていうか、HOLEって三者三様な感じなんですよね、同じアルバムが存在しないというか)。カートがプロデュースした前作はいろんな意味で「名盤」だったけど、時期が悪かっただけに(カートの自殺とリリース時期が重なってしまった)どうしても色眼鏡で見られがち。良い意味でも、そして悪い意味でも‥‥だからこそ、全てをフラットな状態に戻すには4年半もの月日が必要だった。いや、フラットになんか戻ってない、戻れっこないんだから。
思えばコートニーって人は、つくづく不幸な人だと思う。それに拍車を掛けたのがカートとの結婚でしょう。気づけば「グランジ/オルタナの女王」みたいに祭り上げられて‥‥どこまでが「素」で、どこからが「演技」なのか。ある意味リアルであり、そしてある意味エンターテイメント。最近のオジー・オズボーン程日和っておらず、かといってマドンナ程賢くもない。正直、何考えてるか判らない。その「行き当たりばったり」的なところがコートニーがコートニーたる所以なのでしょう。そして多くの人はそういったところに魅力を感じ、と同時にそういったところを嫌悪する。それがコートニー・ラヴという人。
このアルバムが出た時、多くの人が驚いたことでしょう。その「グランジ/オルタナの女王」がここまでストレートな「アメリカン・ロック」を嬉々として鳴らしたのだから。やれ「魂売った」とか「終わった」とか‥‥そんなのはどうでもいいよ。俺はこの音にこの歌詞だったからこそ、今までで一番「リアル」に感じられたんだから。
カートを失い、そして同時期にベーシストだったクリスティン・プファーフもドラッグが原因で死亡。クリスティンの穴埋めは、このアルバムでもベースを弾いているメリッサ・アウフ・デル・マール('99年にHOLE脱退後、スマパンに加入。この辺も因縁めいてますね)が加入することでことなきを得て、更にバンドとしてはパワーアップ。上にも書いたように、ビリー・コーガンがソングライティングで参加してるのは、当初このアルバムのプロデュースをビリーが担当していたから。が、途中で喧嘩別れ。結局SOUNDGARDENやSOUL ASYLUM、RED HOT CHILI PEPPERSで有名なマイケル・ベインホーンを起用、太くてゴージャスな装飾をまとい、メロディはきらびやか。そして歌詞も前進することを選んだコートニーらしさ満載。カリフォルニアの、どこまでも続いて行く青い空をイメージさせる広大さ。大味なようでかなり繊細なメロディ(これはビリーによるものが大きいのかな?)。どこがいけないの? こんなに力強い「肯定」のアルバムを、その「グランジ/オルタナの女王」が世に出したから? それによって全てのいざこざに終止符を打ったから? 俺には判らない‥‥グランジというムーブメントを愛してもいたし、同時に憎んでもいたから。けど、ここで鳴らされている音は否定できない。いや、むしろ俺は両手を広げて大歓迎したよ。
「ディーヴァ」っていうのが、もしソウルやR&B以外のジャンル‥‥ロックだとかポップスだとか、そういった「音楽」の世界全部をひっくるめての中から選べるとしたら‥‥本当の意味で、酸いも甘いも味わったコートニーこそ、真の意味でのディーヴァなんじゃないかな?と思うんだけど‥‥そしてディーヴァはいよいよ帰ってきますよ。最高にカッコいいロックナンバーが沢山詰まったアルバムと共に‥‥