いきなり暑さで目が覚める。どうやら外は晴れているみたい。時計に目をやると、8時半。そうか、標高高いから余計に暑いんだ。苗場でキャンプするとこれより酷いんだろうな‥‥なんて思いながら、寝袋から身体を出して、二度寝。ふと横に目をやると、ともえさんもくみこさんも爆睡状態。後で聞いたら、6時頃まで起きていたそう。赤富士見れたってさ、畜生!
耳栓して寝てたんだけど、いきなり太鼓の音でまた起こされる。どうやら10時からの地元和太鼓のサウンドチェックみたい。みんな一旦ここで目を覚ますんだけど、また寝てしまう。そりゃそうだろう。次に目が覚めた時には、11時スタートのTHE SIDEBURNSがスタートしていた。
◎THE SIDEBURNS
朝イチでスカバンド。非常に緩いサウンドでスタートにはもってこいの音。心地良すぎ。って実は、あんまりまともに聴いてないんですけどね。
THE SIDEBURNSをバックに、我々は顔を洗いに水場まで向かう。トイレ付近は混雑していたので、一番遠い、DJフィールド付近の水場(夕べ俺がリチャードと遭遇したトイレ隣)まで歩いていく。
既にDJフィールドは取り壊されていて、会場内は日曜のみ参加客用の駐車場と化していた。こういう使い方もあるんだね、と感心。さすがにこっちの水場まで来る人は少なく、楽々顔を洗って歯を磨くことが出来た。風呂に入ってないので、頭から水を被るも冷たいのなんのって。女の子達は足を洗ってた。
この日の天気は夕方にポツポツ雨が降った以外は、基本的に晴れのち曇りといった感じで、とても過ごしやすかった。何せこの日は富士山まで拝めた程だ(下の左側写真がそれ)。けど、標高800メートルの高原だけあって、帰る頃には顔が日焼けする程紫外線は強かったようだ。
洗顔してスッキリした後、遅い朝食を取る。朝霧高原のシチューだとか塩焼きそば等を朝食に取り、続く渋さ知らズに備える。あ、そういえば、朝食を買いに行った帰り道で、スタッフのパスを付けた見覚えのある女性がお客さんと話し込んでいるのを目撃。誰だっけ‥‥と考えながら歩いていると、暫くして「あっ、内海洋子さんだ!」と気付く。どうやら今日のソウルフラワーは、助っ人として洋子さんが参加するようだ。楽しみ。
◎渋さ知らズ
今日は「オーケストラ」は付かない、通常スタイルの渋さ知らズ。とはいっても、常にステージ上には20人以上ものメンバーがいるわけだけど。これで今年2回目、通算3回目の渋さだけど、一番よかったのはやはりファーストインパクトの強かった去年のヘブンで観たやつ。けど今日のはそれに匹敵する出来だったと思う。今年のグリーンのやつは、テレビが入ってた分、ちょっと遠慮してやってる部分が見受けられたし、その分今回は暴走しまくり。竜こそ登場しなかったものの、いつもの白塗り軍団は健在で、ちゃんと女性陣は上半身裸、男性陣はふんどしや、レッチリに匹敵するちんこソックスまで登場。更にはステージ上で女性スタッフに髪を電気バリカンで剃ってもらったり。おねえさんのパンチラも健在。視覚パートは完璧。
勿論、演奏も何時も通りダラダラスタートして、ダラダラ終わる定番通り。毎回登場するカバー曲、今回はYMOの"ライディーン"でした。何かブラスで演奏されると、中学生のブラバンが演奏してるみたいで面白かった。
気持ちよく踊っていると、俺に気付いたzipperくんが近づいてくる。で、一緒に踊る。渋さ初体験の彼は、もはや渋さの虜。大絶賛の嵐だった。そう、このバンドは音を聴いただけじゃ100%を理解することは不可能。ステージ(ライヴ)から入るのが一番だと思う。あくまで音源はライヴのベストテイク集的な存在だし。ネット上のファイル交換ソフトやCDショップの視聴機で「普通のジャズじゃん」「ちょっと変わったファンクってだけじゃん」って切り捨てた奴ら、四の五の言わずにライヴ観ろってぇの。
渋さの素晴らしいライヴ終了後、俺とzipperくんは熱く渋さの素晴らしさについて語り合い、ソウルフラワーで再び合流する約束を交わす。ま、これだけ広い会場内でもお客の数が限られているので、案外見つけるのは簡単。彼は俺らのテントの場所も知ってるしね。
テントの場所に戻ると‥‥あれっ、俺のテントがない。荷物だけシートの上に置かれている‥‥女性陣が俺に「テント、盗まれちゃいました」と申し訳なさそうな顔で話す。マジで!?と驚くと、みんな一斉に笑う。渋さが終わった後、帰りのことを考えて進んでテントを畳んでそうだ。申し訳ない。立てるのには結構な時間がかかったものの、畳むのはものの10分もかからなかったとのこと。テントに関しては今回、本当にお世話になりっぱなし。大感謝です。「来年はバーベキューやりましょうよ!あと、カレー作ったりとか」等、既に来年の話で盛り上がる。俺らにタープを提供してくれた、名古屋から来た男性6人組は去年の朝霧にも来たそうで、去年はもっと人が少なく、本当に最高だ、勿論今年もメンツ共々最高だ、と大絶賛。「ここを体験してしまうと、もうフジには行けない」と漏らし、俺らもそれに頷く。今年初めてフジに参加した人達はそんな風に感じないだろうけど、'99年や'00年の苗場を経験している人達にとって、今年の苗場の混雑振りは耐えられないものだった。マナーの悪さも目についたし、何よりも「最後のオアシス」だったフィールド・オブ・ヘブンでの今年の混雑振り‥‥あれが決定打だった。フジ皆勤組の人達も「今年はアバロンが穴場だった」と言ってる程、ヘブンは変わってしまった。そして、俺らの求めるヘブンに近い形が、ここ朝霧にある。しかもあそこよりもっと自由で、もっと過酷で、もっと異次元な空間。もう申し分がない。初めてヘブンの良さに気付いたあの時、いやそれ以上の衝撃が朝霧にはあった。ああ、やっぱり去年も来ればよかった‥‥今更ながら後悔してみたものの、今年だったからそう思えたんだろうなぁ、と思い直す。勿論、俺は来年も行くつもり。フジに行けなくなったとしても、朝霧にだけはずっと行き続けたいと思う。
みんなで芝生に寝転がって、俺が買ってきた朝霧高原の牛乳で乾杯し、ビーチボールで野球したり、フリスビーしたり、シャボン玉吹いて遊んだりしながら、BOREDOMSの登場を待つ。
◎7VO7 (a.k.a. BOREDOMES)
BOREDOMSの変名ユニット。ボアは名前によって音楽性を変えたりしてるんだけど、このユニットでのライヴは初体験。今年のフジでの3ドラム+1DJスタイルもよかったけど、今日もアンビエント且つアブストラクト的人力テクノなサウンドが、これまた朝霧の大自然にマッチして心地よかった。お客も踊り狂ったり、どうリアクションしていいのか判らずにただ棒立ちしてたり、楽しみ方はそれぞれだった。印象的だったのは、ボアの音楽に合わせて楽しそうに踊る子供達の姿だった。結構子供連れファミリーの姿が目に付いた今回の朝霧ジャム(小学生以下は無料だったかな?)、大自然の中で遊ぶ場所が沢山あっただけに、皆笑顔だったのが印象に残っている。
ボアを聴きながら気持ちよくなってウトウトしてると、ちょっと小腹が空いてきた。昼食でも取ろうとして、ライヴ終了後にレストランエリアへ足を運ぶと、渋さ知らズのダンサーのお兄さんが、普通にビール買うのに並んでいて、みんなに愛想振りまいていた。すげえいい人そう。当然、握手して「最高のライヴでした!」と伝えると、ホントに嬉しそうな顔でありがとうと言ってくれた。こういう風にアーティストにダイレクトに感想を伝えるのは初めて。まだ首や顔にうっすら残った白塗りがとても印象的だった。
そんなことやってたら、結構な時間が経ってしまい、結局食事は止めてステージ前へ。結構前の方で待ちかまえてると、俺を捜していたzipperくんが現れる。二人して一緒にライヴを待つ。
◎SOUL FLOWER UNION
英坊は臨月ってことで当然お休み。今回もHEAT WAVEの山口洋がギタリストとして、歌&コーラス&お囃子&チンドンとして元メンバーの内海洋子さんがそれぞれ参加。基本的には去年のフジロックでの編成とあまり変わらず。あ、リキッドもこんな感じだったっけ。つうか俺が観たソウルフラワー、最初以外は常に山口&洋子さん参加してるし。
ジャジー且つブルージーなジャムセッションからライヴは始まり、いきなり中川&山口のギターソロ合戦。そのまま、定番の"ロンドン・デリー"へ。サビのタテノリになるところで、それまで平和だったオーディエンスが急にモッシュし出す。朝霧を体験してて思ったのは、みんなピースフルで、フジでは考えられない程に余裕を持って楽しんでるな、ってとこだったのに‥‥これじゃいつもと一緒だ。もう結局一緒になって踊ってやったけど。そのまま"サヴァイヴァーズ・バンケット"という、去年のフジロックと同じ流れ。しかし驚いたことに、みんな大合唱してるんだな、これが。この日だけのお客が多いみたいだけど、みんなソウルフラワー目当てだったんだね。まぁソウルフラワー好きなら、その後のジョー・ストラマーも楽しめるけどね。
その後、新作にも入っている定番カバーの"CRAZY LOVE"や、洋子さんが唄う"さよならだけの路地裏"といった懐かしい曲も登場。また、2日前に出来たばかりという新曲(タイトル失念。東ティモールを訪れた時の事を題材にしてるそうだ)も披露。その他、"戦火のかなた"や"風の市"といった定番の後、感動の名曲"荒れ地にて"で泣きそうになる。この朝霧高原にピッタリの選曲。後でジョー・ストラマーが待っているというのに、臆面もなくCLASHナンバー"チャーリー・ドント・サーフ"をプレイした後、"満月の夕"で大合唱。やはり何度聴いてもいい曲。俺、最初から最後まで唄いっぱなし。そして"殺人狂ルーレット"で再びモッシュの嵐の後、エンディングには"海ゆかば 山ゆかば 踊るかばね"でみんな狂ったように踊りまくり。俺も泥の中、汚れるのも気にせずにダンスしまくり。知らない人と肩組んだりして。
確かに英坊のいない「穴」を感じさせる瞬間は何度もあったものの、山口が生き生きとプレイするソウルフラワーという、これまでとは違った一面も垣間見ることが出来た。新曲はそんな流れから生まれたんだろうな、と思わせる1曲だった。ああ、俺の中での朝霧ジャムはソウルフラワーで完全に終了した。そんな感じで完全燃焼できた。もう、悪いけどジョー・ストラマーはおまけでいいや‥‥
ライヴ終了後、zipperくんと堅い握手を交わし、一緒に記念撮影をしてから、またどこかのイベントorライヴ会場で会おう、と約束して別れる(彼等はジョーのライヴの途中で帰らなければならなかったのだ)。疲れ切った顔で陣地まで戻ると、同じくソウルフラワー好きのくみこさんも満足しきった顔をしていた。ともえさんはというと、そのまま流れでソウルフラワーのTシャツを買いに行ったそうだ。
ああ、終わっちゃったねぇ‥‥楽しかったねぇ‥‥と名残惜しんでいると、ソウルフラワーの最中からポツポツと降り始めた雨に加え、霧が濃くなる。さすが山の天気。結局ジョーのライヴは、また前がよく見えない状態のまま、陣地から帰る準備をしつつ観戦することになった。
◎JOE STRUMMER & THE MESCALEROS
'99年のフジロックで一度観ているけど、その時はCLASHナンバーとオリジナルの半々といった感じで、個人的にも十分楽しめた。あれから2枚のオリジナル盤を出してることもあって、この日のライヴはオリジナル曲を中心に進められた。ま、知らなくても十分に楽しめるレゲエ/スカナンバーがメインで、けど新曲らしき楽曲はストレートなギターロック色が強まっていた。そこにスカのスタンダードナンバーやCLASHクラシックを交えつつ、ジョーの「自然や人々、我々を囲む全ての環境にリスペクト!」というMCが心を打つ。ま、「1977年にはビートルズもストーンズもいらないぜ」と唄った人と同じとは到底思えないけどさ。
結局最後まで陣地を離れることなく、緩い感じで踊っていると、聴き覚えのあるタムロールが‥‥「キタ~ッ!」と大声を挙げながらステージに駆け出す俺‥‥そう、ラストは"I Fought The Law"だ! 気付けばステージ前でダンスしてる俺。そうそう、これを、これを待ってたんだよ。こうして短いこの曲はあっという間に終了。が、すぐにアンコールに応え、またまたCLASHナンバー2連発で幕を閉じた。
ステージ前から陣地に戻る時に、俺に続いて女の子達みんなもつられてステージ前に走っていった事を知った。さすがにこの曲はみんな知っていたらしい。ステージを後にしながら、スピーカーからはセサミ・ストリートのテーマ曲が流れ出す。何故に!? そしてステージには大将が最後に登場して、朝霧ジャムが大成功に終わったこと、本来の駐車場がぬかるんで使えなくなってしまい、みんなには大変迷惑をかけたこと、OASISを蹴ってここに集まった君達を俺は信用する、そしてこれからもずっと朝霧ジャムは続けると宣言。みんな大きな拍手で迎える。そして「最後にこの2~3分の短い曲を聴いてから、みんな帰ってくれ」と大将が言って流れ出したのが、ストーンズの"The Last Time"だった。この曲にどういう意味を込めて、大将は流したんだろう‥‥「This could be the last time, maybe the last time I don't know.」‥‥まさか「来年のストーンズはうちが呼びます」って意味‥‥ではないよな、ハハハ。ストーンズのベスト盤が出たばかりなので、タイムリーって言っちゃあタイムリーだけどさ。最後の最後、俺はよく知ってる曲だけに、大声で唄う。そして‥‥
後片づけをしながら、名古屋組が帰って行く。「来年のフジロックで逢おう!」と堅い約束を交わし、我々は互いの車へと戻っていった。大きな荷物を男ひとり女ふたりで抱え車まで戻り、気持ちも新たに会場を後にした。河口湖ICへ向かう途中、前の車がライトを点けていなかったり蛇行運転したりで、「オイオイ、疲れてるんじゃないのか? 居眠り運転で事故だけは気を付けろよ」と気にしながら走る。ってそれって、自分に対する戒めでもあるんだけどね。俺はというと、車中では行き同様ソウルフラワーを大音量で聴きながら、思い出話に耽っていたので、全然何ともなく。ま、フジと違って1泊2日だしね、全然余裕ですわ。
高速に乗り、途中談合坂のSAで遅い夕食を取る。考えてみればみんな、一緒に食べた朝食以降、何も食べ物を口にしてなかったらしく、お腹が減って気持ち悪くなりつつあった程。2年前、サマソニ@富士急の帰り道、この談合坂SAに寄った時と比べものにならないくらいに、綺麗になったSA。食事する施設が豊富になっていて、何を食べようか悩んだ程だ。結局みんな和食を食べ、久し振りのお米にありつく。皆さすがに疲れているのか、言葉少なく食事に集中。食後、いつもの笑顔が戻る。要するにみんなお腹が減ってただけなのね。当然気持ち悪かったのも治る。一服した後、帰りの道中眠らないようにとスタミナドリンクやコーヒー、フリスク等を購入し、カーステのCDを渋さ知らズに変えて、いざ出発。帰り道ってことで、くみこさんを家の近くまで送ることに。府中で下りて、武蔵野近辺の自宅に22時半頃に到着。挨拶をして別れる。さて、最後はともえさんを千葉まで送り届けなければ。高井戸のインターまで一般道で進み、途中でガソリン補給してから首都高に。途中、何度か工事渋滞に巻き込まれる。特に湾岸道に乗るまでが酷く、当初0時に千葉到着予定が結局、木場辺りで0時を回ってしまった。途中でCDをUNDERWORLDのライヴ盤に変え、10月に幕張でやるUNDERWORLDのライヴの話題をする。俺がチケット取り忘れた事を話すと、くみこさんが行く予定だったチケットが余ったので、結局俺がそれに行くことになる。ラッキー。そのまま、仕事の話とか友達の話とか、結構和んだ話題に。駅まで送っていくはずだったけど、電車もなくなってしまったので、家の近所まで送っていくことに。結局彼女を送り届けた時点で、時計は0時50分を回ろうとしていた。
ひとりになって気が楽になった俺。当初一般道でタラタラと帰ろうと思っていたものの、多少お金がかかってもいいや‥‥ってことで、結局千葉北から佐原まで東関道を使うことに。音楽もそれまでのクラブ系から、いきなり娘。にチェンジ。2日振りの娘。だぜ!ってことで、自ら編集したCD-Rを大音量でかけて高速を爆走。一般道に下りてからも、明らかに高速と変わらないスピードで走り、結局2時過ぎには自宅に到着。首都高での予想外の渋滞があったものの、それでも予想してた時間よりも早く家に帰れた。もしSAでの食事や首都高での渋滞がなかったら、1時には家に着いてたんだもん。サマソニ@富士急の時は、大月のジャンクション辺りで大渋滞した記憶があったので(あの時は、富士急を21時に出て、東京に着いたのが2時半、自宅到着は4時半だったもんなぁ)翌日休みを取ってそれなりの覚悟をしてたんだけど、さすがにシーズンオフってこともあり、中央道での渋滞は一切なしだった。よかったよかった。
帰宅後、そのまま風呂にも入らずに寝ようと思ったんだけど、スタミナドリンクとかコーヒーが効いたのか、それともライヴでの興奮が冷めやらないのか、全く寝付けず、結局留守録してたハロモニやサマソニ特番を最後まで観てしまう。で、寝付いたのが4時半という‥‥何やってんだか。
つうわけで、これが俺の朝霧ジャム初体験記。読んでもらえば判る通り、本当に最高でした。ハッキリ言って、フジに何度も行ってて朝霧をスルーした人、激しく後悔してください。こんなイベントをみすみす逃すなんて‥‥
朝霧高原でフジロックをやれば‥‥なんて声も会場内で聞こえてきたけど、それは無理だと思う。確かに広さ的には問題ないだろうけど、アクセスの問題が大きいし、近くに宿が少ないこともポイント。キャンプを最初から想定すればいいだろけど、そうするとますます敷居が高くなる。それと夏場は、軽井沢帰りの観光客と日曜夜にかち合って、大月ジャンクションで大渋滞を引き起こす可能性大。そう考えると、フジはこのまま7月末の週末に苗場を使い、朝霧ジャムは朝霧ジャムとして9月末の土日にやればいい。こっちはこっちで、夏フェス後夜祭といった趣向で盛り上がればいいわけだ。何て贅沢な後夜祭なんだろう。これで2日間8,000円なんて‥‥安過ぎだよマジで。
音楽的にはヒップホップ、ラウドロック、UKギターロックを排除した、どちらかというと狭い感じがするけど、実際はジャムバンドなんかも出るのでいろんな人が楽しめるはず。特定のジャンルしか楽しめない人は正直来ない方がいいけど、今年のフジロックでの深夜ダンステントを楽しめなかった人は、今回のAPHEX TWINや田中フミヤで大満足した、という声も。有名大型バンドに拘らない姿勢はとても好意を持てます。個人的には夏のフジロック、秋の朝霧ジャム、そして冬のエレクトラグライドといった感じでこのままずっと続けて欲しいです。パーティー好きにはたまらないイベントですからね、これらは。
そういえば、今回の朝霧ジャムは、いろんな人との新しい出会いが沢山あったなぁ。フジでは人の多さも手伝って(また個人行動が多かったこともあって)終始ギスギスした感じで行動してたけど、朝霧ではそういうの、全然なかった。見ず知らずの人に話しかけて世間話したり、たき火囲みながらどこの食事が旨かったとか語ったり、テントの中で今年のエレグラ出演者を予想したり‥‥その場限りの出会いかもしれないけど、音楽を通じていろんな人と交じり合うことが出来た。特に最近は仕事に追われ、ネットでの人間関係も希薄になりつつあった中だけに、これは大きな転換期になったんじゃないかな、俺にとって。