2017/05/26

SOUNDGARDEN『SUPERUNKNOWN』(1994)

SOUNDGARDENが1994年春にリリースした通算4枚目のオリジナルアルバム。前作『BADMOTORFINGER』(1991年)が高く評価され、セールス的にもアメリカで200万枚を突破。GUNS N' ROSESやSKID ROWといったHR/HM勢とツアーをしながらも、ちょうどNIRVANA、PEARL JAMを筆頭としたシアトル勢によるグランジ・ムーブメントに突入したタイミングの作品だったこともあり(彼らもまたシアトル出身)、オールドスクールファンと新世代のファンの両方を掴むことに成功したわけです。さらにニール・ヤングあたりともツアーを回ってたし、もはや敵なし状態に突入したタイミングで制作されたのが、この『SUPERUNKNOWN』という傑作だったわけです。

不況とは裏腹にCD全盛期といえる時期の作品とあって、本作は70分超えの大作。アナログ時代だったら間違いなく2枚組アルバムとして評価されたことでしょう。そういう作品とあってか、内容も非常にバラエティに富んだもので、前作以上に音楽性の懐の深さを見せております。

例えばこれまでだったら「BLACK SABBATHやLED ZEPPELINのハードロックサイドにパンクを掛け合わせた」楽曲が中心だったところに、今作では「LED ZEPPELINがやりそうな、サイケデリックなアコースティックナンバー」あたりにも手を出しており、ストレートなロックチューンからサイケデリックバラード、変拍子の効いたハードロック、陰鬱で(ジャンルとしての)ドローンっぽいヘヴィナンバー、アコースティックサウンドを前面に打ち出した民族音楽まで本当に幅広い。作品としての成り立ちは異なりますが、きっとここで彼らは「俺たちの『PHYSICAL GRAFFITI』(LED ZEPPELINが1975年に発表した2枚組アルバム)」を作っておきたかったのかなと。そう思わずにはいられません。

前作の時点でかなりキャッチーさが強まってきてはいましたが、今作では小難しいアレンジを取り入れつつもメロディはさらにキャッチーさが強まっている。1曲目「Let Me Drown」の時点で耳に残る強いメロディが飛び込んでくるし、しかも大半の楽曲が「印象的なフレーズをリピートすることで、聴き手の耳に強くこびりつかせる」ことに成功している。また、ほとんどの楽曲が4分前後(短いもので1分半、長くても7分欠ける程度。しかも1曲だけ)と聴きやすく、曲数が多い(US版は15曲、インターナショナル版は16曲)わりにするする聴けてしまうわけです。すでに前作『SUPERUNKNOWN』の時点でその予兆は見られたわけですが、今作でその手法はさらに極まったと言えるでしょう。

その結果、本作はSOUNDGARDENの作品中唯一の全米No.1を獲得。トータルで500万枚以上ものセールスを記録したのでした。また、本作からのシングル「Black Hole Sun」もスマッシュヒットを記録(全米エアプレイチャート24位)。ミュージックビデオも多数制作されました。

いわゆるグランジ・ムーブメントの中でももっとも正統派HRの色合いが強かったSOUNDGARDEN。NIRVANAはある種パンクだったし、PEARL JAMは最初から王道アメリカンロックだった。SMASHING PUMPKINSはニューウェーブの香りをただよわせ、ALICE IN CHAINSは生粋のハードロック小僧がいろいろ拗らせて小難しい方向に顔をツッコミ出した。ドラッグとかいろんな影響もあってか、どんどん厨二っぽさを拗らせて早死にした奴もいたけど、結局一度も解散せずに生き残ったのはPEARL JAMだけ。だって普通のロックバンドだったんだもん。

そんな中、SOUNDGARDENはアンダーグラウンドなサウンドから徐々に洗練されていき、たどり着いた場所が“現代版LED ZEPPELIN”みたいな変に仙人じみたポジション。80年代後半、多くのHR/HMバンドが欲していたそのポジションを別の形で手にしてしまったわけです。とことん不思議なバンドですよね。

結局彼らは、続く『DOWN ON THE UPSIDE』(1996年)ですべてやりきったとして、1997年4月に解散を発表。潔いんだか、不器用なんだか。



▼SOUNDGARDEN『SUPERUNKNOWN』
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で、2010年に再結成してコンスタントに活動を続けていたわけですが……最初の解散から約20年後の2017年5月17日、デトロイトでのコンサートを終えたクリス・コーネル(Vo, G)がホテルで首を吊って死んでいるところを発見。まさかこんなにあっけない形で終わってしまうなんて思ってもみなかったなぁ。

実はこのテキストも、書いては消して、書いては消してを繰り返し、最終的にいつもどおりフラットな形で書くことを決め、こういう形になりました。

このアルバムがリリースされる2、3ヶ月前にSOUNDGARDENは初来日公演を実施。僕も足を運びましたが、結果としてこれが唯一の日本公演になってしまったわけです。おそらく再結成後も何度か来日に関して話し合いがあったと思われるのですが、それは叶わぬ夢で終わったわけです。

なんか一番まともそうだけど、一番ストイックそうな奴がここまで生き延びて、でも結局自分で自分の人生を終わらせてしまった。つくづくグランジってやつはタチが悪かったなぁ……こうやって、みんなが忘れた頃にまた“あっち側”に連れて行っちゃうんだから。本当にもう勘弁してほしいです。


投稿: 2017 05 26 12:00 午前 [1994年の作品, Soundgarden, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2017/02/07

THE HELLACOPTERS『HIGH VISIBILITY』(2000)

2015年末から本当にたくさんの、一時代を築き上げたアーティストたちの訃報が続いています。そんななか、つい数日前に元THE HELLACOPTERSのギタリスト、ロバート・ダールクヴィストが亡くなったことを知りました(ソースはこちら)。この名前だとなんとなくピンとこないけど、ロバート・ストリングスといえば「ああ!」と腑に落ちる方も多いのではないでしょうか。

ストリングスを生で観たのはたった1回きり、3度目にして結局最後の来日となってしまった2001年1月の渋谷CLUB QUATTRO公演(当時のレポートはこちら)。ちょうど4thアルバム『HIGH VISIBILITY』を携えて実施されたものでした。最前列で観たというのもあるけど、そのときの熱気や興奮は今でも昨日のことのように覚えています。

ドレゲン(BACKYARD BABIES)が在籍した初期2作にあったパンキッシュなガレージロック色からスピードを若干落とし、よりソウルフルな方向へと移行しはじめた3rdアルバム『GRANDE ROCK』(1999年)を経て、メジャーレーベルへと移籍して制作されたのが2000年リリースの『HIGH VISIBILITY』。作風的には『GRANDE ROCK』で表現した方向性をより突き詰めたもので、シングルカットもされた「Toys And Flavors」「No Song Unheard」で聴ける“エモみの強いブラックテイストのロックンロール”は初期とは異なる魅力に満ち溢れています。

かと思うと、適度な疾走感を持つ「Baby Borderline」「Sometimes I Don't Know」「I Wanna Touch」「Hurtin' Time」のような従来のアップチューンも豊富にあるし、壮大さが加わったことでオープニングにふさわしい1曲に仕上がった名曲「Hopeless Case Of A Kid In Denial」、70年代のKISSがよりソウルフルになったような「You're Too Good」「A Heart Without Home」(特に後者は、終盤にアップテンポに展開するアレンジがいかにもで最高すぎ)、どこか怪しげなフレーズ&メロディがクールな「No One's Gonna Do It For You」もある。『GRANDE ROCK』と同時期にリリースされたミニアルバム『DISSAPOINTMENT BLUES』という習作を経て、その個性を完全に確立させたのが『HIGH VISIBILITY』だったんだなと、本作以降のアルバムを聴くと改めて実感させられます。

初期2作を別モノとして捉えると、THE HELLACOPTERSのアルバムでもっとも好きなのがこの『HIGH VISIBILITY』。もちろんそれ以外のアルバムが本作よりも劣っているという意味ではありませんので、誤解なきよう。どのアルバムもそれぞれの良さがあって好きなのですが、個人的に作品が持つガレージロック度、ポップ度、ソウル度のバランス感が一番絶妙なのが本作なんじゃないかと思うのです。それに加えて、やはり2001年の来日公演が非常に思い出深いものになったことも大きな要因。きっとその後のアルバムでも来日が実現していたら、思い入れや感じ方も変わったのかもしれませんね。

ああ、もう一度ニッケとストリングスのステージ上での絡み、見たかったなぁ……。



▼THE HELLACOPTERS『HIGH VISIBILITY』
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投稿: 2017 02 07 12:00 午後 [2000年の作品, Hellacopters, The, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2016/12/31

DAVID BOWIE『★(BLACKSTAR)』(2016)

2016年1月8日(金)。午前中から乃木坂46の取材を行い、午後遅くまで作業を続けてから帰り道で購入したのが、この日世界同時リリースとなったデヴィッド・ボウイ3年ぶりの新作『★』と、ちょっと前にリリースされたボックスセット『FIVE YEARS 1969-1973』でした。

前年秋に先行公開されたMV「Blackstar」を観て聴いて、「これは間違いなく傑作だ!」と多くの音楽ファンが思ったことでしょう。派手なボウイではない、穏やかなボウイ。90年代以降の作品では『BLACK TIE WHITE NOISE』(1993年)や『HOURS…』(1999年)が好きな自分としては「これはど真ん中な作品になるかも…」と、そういう期待感でいっぱいでした。その思いはアルバムリリース直前に公開された「Lazarus」を聴いても、変わることはありませんでした。

2013年に突如発表された復活作『THE NEXT DAY』も、もちろん大好きでした。しかし、特に日本盤はボーナストラック含め18曲入りということでたくさん詰め込みすぎた感が強く、すべてを理解するまでにはかなりの時間を要した記憶があります。あと、10年ぶりということで、期待が大きすぎたのもあって、ほんのちょっとだけ「ああ、こんな感じか……」とちょっとだけ思ったりもして。

ところが『★』は全7曲、オープニングの「Blackstar」こそ10分前後の大作ですが、トータルで41分程度と非常に聴きやすい内容。人力ドラムンベース的な雰囲気のある前半から、ドリーミーなミドルテンポのパートへと展開する流れなど、クラブミュージックとジャズとサイケデリックロックを掛け合わせたかのようなこの世界観に惹きつけられない人はいないと思います。続く、ジャズファンク的な「'Tis A Pity She Was A Whore」は『BLACK TIE WHITE NOISE』からの流れにある1曲で、ひたすらカッコいい。そこから再びダークな「Lazarus」へと流れる、いわゆるアナログA面の流れは圧巻です。

4曲目(いわゆるアナログB面)は「Sue (Or In A Season Of Crime)」は、2014年に発売されたベスト盤『NOTHING HAS CHANGE』に収録されたジャズアレンジの同名曲を、人力ドラムンベース+ロッキンにリアレンジしたもの。よくぞ『★』の世界観に合ったリアレンジを施したなと、関心させられます。その後も「Girl Loves Me」「Dollar Days」と雰囲気モノの良曲が続き、最後は90年代以降のボウイのカラーが色濃く表れた「I Can't Give Everything Away」で締めくくり。ただただすごいアルバムができたな。70歳目前にまた新しいキャリアが始まるとか、どういうことだよ……と聴き終えた直後にため息をついたことをよく覚えています。

それから3日後の1月11日(月・祝)。午後からSKE48の取材を終え、遅い昼食を取っていると、Twitter上に悪い冗談が次々とアップされる。えっ……それが事実だと気づくまでに、そう時間はかかりませんでした。その日の夜に予定していたライブに足を運ぶ気力が一気に失せ、帰宅してそのままこの『★』や往年の代表作を明け方まで聴き返すことを数日にわたり繰り返しました。

正直、上に書いた『★』の感想は、1月8日に感じたものとは正確には異なるかもしれません。ボウイの死により、すでに思い出補正もかかっているでしょうし。でも、彼の死を知るほんの数日前に発売されたこのアルバムを、リリース日に聴けたことだけは間違いない事実だし、あのときに感じた衝撃も間違いない事実。それを急逝による補正でねじ曲げられる前に感じられた、そこだけは良かったな、幸せだったなと1年近く経った今、より強く思うわけです。

この思い出補正がなかったら、2016年の年間ベストアルバム1位に選んでいただろうか……いや、選んでいたよね。自分のこの気持ちを信じることにします。



▼DAVID BOWIE『★(BLACKSTAR)』
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投稿: 2016 12 31 12:00 午前 [2016年の作品, David Bowie, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2016/12/28

MOTORHEAD『BAD MAGIC』(2015)

2015年8月にリリースされた、MOTORHEADの事実上ラストアルバム。もちろん発売当初はこれが最後の作品になるなんて、考えてもみなかったし、その直前に行われた『FUJI ROCK FESTIVAL '15』での久々の来日公演を観て「次は新作発表後にフルでみたい」と思ったくらいでしたから。

レミー(Vo, B)、フィル・キャンベル(G)、ミッキー・ディー(Dr)の3人が揃って23年、このトリオ編成になってからはまるまる20年というタイミングに制作された今作。22枚のオリジナルアルバムということらしいですが、とにかく彼らは勤勉で、2010年の『THE WORLD IS YOURS』から2013年の『AFTERSHOCK』で3年空いたぐらいで、それ以外はほぼ2年に1枚のペースでアルバムを制作しています。しかもMOTORHEADの場合、アルバムごとに作風を変えるとか新しいことに挑戦するといったことはほぼ皆無で、どの曲がどのアルバムに入っていても不思議じゃないくらい安定した“これぞMOTORHEAD”な楽曲群を提供してくれるのです。そういうバンドのアルバムに対して、こういうレビューが果たして必要なのかとも思いますが、まぁやってみようじゃないですか。

M-1. Victory or Die
レミーの歌からスタートする、アップテンポのMOTORHEAD流ロックンロール。このリフ、以前も聴いたことあるけど気にしない。途中で展開が入ってメロの雰囲気が変わり、そのままギターソロへと流れていく構成がカッコいい。さらにソロ明け、ドラムとレミーの歌だけになるとさらにカッコよさが増します。

M-2. Thunder & Lightning
THIN LIZZYの同名曲とは無関係ですが、MOTORHEADのほうもTHIN LIZZYのそれと同じくらいのファストナンバー。「Ace of Spades」タイプといえば伝わるでしょうか。

M-3. Fire Storm Hotel
アップチューン2曲からテンポダウンして、小気味が良いリズム感のミドルチューン。ここまでの流れが本当に心地よい。

M-4. Shoot Out All of Your Lights
ミッキーの鋭いドラミングから、そのままツーバス踏みまくりのミドルテンポ、サビでテンポアップというヘヴィな1曲。ライブでのコール&レスポンスが目に浮かびます。

M-5. The Devil
不穏なイントロから、引き摺るようなヘヴィなテンポ感。そのまま歌に入るとテンポアップして、気持ち良く踊れます。サビでのタメの効いたリズムに、思わず首を振りたくなったりも。ちなみにこの曲、ギターソロをQUEENのブライアン・メイが弾いてます。

M-6. Electricity
何も考えずにヘドバンできる、アッパーなロックンロール。説明など必要なし。

M-7. Evil Eye
イントロのグルーヴィーなドラミングから一変、ストレートに突っ込んでいくファストチューン。サビでのレミーの、ドスの効いた声が最高。

M-8. Teach Them How To Bleed
これもファストチューン。今回のアルバム、思っていた以上に速い曲が多くて当時驚いた記憶が。

M-9. Till The End
泣きメロが印象的な、いわゆるバラードタイプの1曲。レミーはこういう楽曲を歌わせても天下一品。今作収録のオリジナル曲では、この曲が一番長い(4:05)というのも驚き。他は全部2〜3分台だし(そりゃ速い曲ばかりだしね)。

M-10. Tell Me Who To Kill
再びアップテンポのロックンロールへ。ギターよりもベースが前に出てる印象。

M-11. Choking On Your Screams
前の曲よりちょっとだけテンポを落としてるけど、それても速めの1曲。終始がなるようなボーカルが、不穏な空気を作り上げてます。

M-12. When The Sky Comes Looking For You
3連リズムのハードロック風アップチューン。本当にこのアルバム速い曲ばかりで、改めて生き急いでたなと実感させられます。ただ、速い曲の中でもいろんなテンポ感、いろんなリズムを使い分けることでバリエーションを作っているところは流石だと思います。

M-13. Sympathy For The Devil
アルバムラストを飾るのは、ROLLING STONESの名曲カバー。なぜこの曲で締め括る? そもそもなぜこの曲を選んだ? MOTORHEADってカバー曲のセンスが悪いよね。まぁそこがいかにもMOTORHEADらしいよね、とも思うんですが。そして、この曲がMOTORHEADのラストナンバーというのも意味深というか……。ただ、アレンジはさすがにカッコいいです。

以上、無駄に全曲解説をやってみましたが、解説するようなアルバム、楽曲ではないんですけどね。まぁ……面白いかなと。これ、今後もMOTORHEADのアルバムを紹介するときは毎回同じようにやってみようかな。常に同じこと書いてたりしてね(笑)。

あれから1年。早いもんですね。思えばここから始まったんですよね。早くこの負の連鎖を断ち切れないものですかね……。



▼MOTORHEAD『BAD MAGIC』
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投稿: 2016 12 28 12:00 午後 [2015年の作品, Motörhead, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2016/12/27

GEORGE MICHAEL and QUEEN with LISA STANSFIELD『FIVE LIVE』(1993)

1993年春に発表された、ライブ音源で構成されたEP。ジョージ・マイケルのソロ名義の作品ではなく、QUEENやリサ・スタンスフィールドとの共演が繰り広げられた1992年4月20日のイギリス・ウェンブリースタジアムでのフレディ・マーキュリー追悼ライブでのライブ音源がメインのため、こういうアーティスト名義となっております。

5曲中2曲がQUEENナンバーのカバー。1曲目「Somebody To Love」はシングルカットもされて、当時全米30位まで上昇しております。もう1曲は4曲目の収められた「These Are The Days Of Our Lives」。こちらはQUEEN、リサ・スタンスフィールドとの共演トラックです。「Somebody To Love」ほどのインパクトはないものの、これはこれでアリかなと。

そういえば、このステージでの共演を機に「フレディの後任はジョージがいいんじゃ」なんて話をちらほら挙がったこともありましたっけ。歌唱力はもちろんのこと、いわゆるセクシャリティにおいても共通点があるし、そういったところで適任なんて噂されたのかもしれないけど、結局QUEENはご存知のとおり現在アダム・ランバートと一緒にステージに立っているわけですから。結果論とはいえ、結局はこれでよかったのかな、と。

QUEENとの共演トラックばかりに目が行きがちですが、そのほかの3曲にも注目しておきたいです。ジョージ・マイケルはWHAM!時代からカバー曲のセレクト、その仕上がりに対して定評がありましたが、今作ではハウス系アーティストADAMSKIとソウルシンガーのシールによるコラボ曲「Killer」と、THE TEMPTATIONSなどのカバーでも有名な「Papa Was A Rollin' Stone」の10分にわたるメドレー、そして映画『バグダッド・カフェ』の主題歌として知られる「Calling You」をセレクト。それぞれ1991年春にウェンブリーアリーナで行われた、2ndアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』(1990年)を携えたツアーからの音源で、同作での作風の延長線上にあるアレンジ(主に前者のメドレーで)を堪能することができます。一方で、「Calling You」は『FAITH』(1987年)での「Kissing A Fool」にも通ずるジャジーなテイスト。ジョージのスウィートな側面が遺憾なく発揮された、名カバーのひとつと言えるのではないでしょうか。

ちなみに今作、最後の最後にQUEENの「Dear Friends」(1974年の3rdアルバム『SHEER HEART ATTACK』収録)が収められたバージョンも存在します。これは同作が、当時ジョージが所属するソニー系からではなく、QUEENの所属レーベルParlophone(北米圏ではHollywood Records)からのリリースというのも大きく影響しており、「あくまでQUEENプロジェクトの一環」として発表されたものであることが伺えます。ジョージ自身、その後のリリースは『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』から続く3rdソロアルバム『OLDER』まで約6年もの歳月を要することになるので、その中間となる1993年にこういう作品をリリースしておけたのは(しかもそこそこのヒット作になったのは)以降の活動へつなげる意味でもいい効果をもたらしたのではないでしょうか。また、QUEENも2年後の1995年に“オリジナル”アルバム『MADE IN HEAVEN』を発表することになりますしね。



▼GEORGE MICHAEL and QUEEN with LISA STANSFIELD『FIVE LIVE』
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投稿: 2016 12 27 12:00 午後 [1993年の作品, George Michael, Queen, 「R.I.P.」] | 固定リンク

GEORGE MICHAEL『FAITH』(1987)

WHAM!の解散が1986年6月で、ソロシングル「I Want Your Sex」リリースが翌1987年6月。WHAM!在籍中に「Careless Whisper」(1984年)、「A Different Corner」(1986年)の2曲をソロ名義で発表していたり、それらの楽曲がWHAM!のオリジナルアルバム(前者が2nd『MAKE IT BIG』、後者が『MUSIC FROM THE EDGE OF HEAVEN』)にも収録と、WHAM!解散後のソロ活動は当然の流れなわけで。

そりゃ「I Want Your Sex」を最初に聴いたときの衝撃は、相当なものでした。直接的なタイトルもそうですし、いわゆるポップミュージックのフィールドのど真ん中で戦ってきたWHAM!からよりアダルトな路線へと移行したそのサウンドにも、ただただビックリしたものです。

1987年秋、ついにリリースされた1stソロアルバム『FAITH』は、「I Want Your Sex」から想像できたアダルト路線をより突き詰めたものでしたが、予想よりも聴きやすい1枚でまた驚かされたのも、まるで昨日のことのように覚えています。当時高校1年生だった自分に“大人すぎず、子供すぎず”な絶妙なバランス感の上に成り立っていたこのアルバムは、当然のように全米&全英1位。アルバムからシングルカットされた5曲(「Faith」「Father Figure」「One More Try」「Monkey」「Kissing A Fool」)中、「Kissing A Fool」以外の4曲が全米1位を獲得し、アルバム自体もアメリカで当時700万枚、現在までに1000万枚超を売り上げるメガヒット作となりました。これは同年に発表されたマイケル・ジャクソンのアルバム『BAD』からの全米No.1シングル5曲に次ぐ大記録。そう考えると、1987年って本当に面白い年だったなぁ……。ちなみに、このアルバムは1988年のビルボード年間ランキングで1位、シングル「Faith」も1988年の年間チャートで1位という快挙を成し遂げています。WHAM!というスーパーグループはたった数年の活動で終了したものの、それ以上の成功をソロになっていきなり達成してしまったわけです。

事実、本作はそのセールスや記録に負けないだけの内容だと思います。賛美歌のようなオープニングに続いて、ボ・ディドリー調のリズムと意外なほどに音が薄いタイトルトラック「Faith」の意外性。アジアテイストのイントロ&ゴスペル調コーラスと同じくらい、一緒になれない男女(もしくは男同士)の別れをつづった歌詞が意味深な「Father Figure」から、ストレートな「I Want Your Sex」への流れ。ジョージの真骨頂といえるバラード「One More Try」、どこかプリンスにも通ずるダーク&コールドなファンク「Hard Day」、アメリカンドリームを否定する冷ややかな「Hand To Mouth」、ジャム&ルイスがリミックスしたシングルバージョンもなかなかなファンクチューン「Monkey」で緩急をつけて、ラストはジャジーな「Kissing A Fool」で締めくくるという完璧な構成。アルバム全体はもちろんのこと、1曲1曲を取り上げても、リリースから29年経った今聴いてもまったく古さを感じさせないのだから、本当にすごいアルバムだなと思います。

にしても、アルバム全9曲(「I Want Your Sex」がパート1&2のメドレーなので、実質10曲ですが)6曲がシングル曲っていう強みもすごいし、WHAM!からこういったアダルト路線に見事シフトチェンジできた事実もすごい。CDだとボーナストラックとして、ラストに「A Last Request (I Want Your Sex Part III)」が収録されているのですが、この組曲的にアルバムに位置する「I Want Your Sex」という曲が、結局はジョージ・マイケルのソロキャリア開始における支柱だったのかなと。その後の彼のアレコレを考えると、いろいろ感慨深いものがありますね。



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投稿: 2016 12 27 12:00 午前 [1987年の作品, George Michael, Wham!, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2016/04/22

R.I.P. Prince

世代的には『Purple Rain』が最初。以後、毎年のように新作を発表してくれる、律儀な人だった。ライブは1回だけ。

つい最近、引越しの際に手放していた1stアルバム『For You』と2ndアルバム『Prince』を買い直したばかりで、iTunesの中にはこの2枚と『1999』以降の80年代のアルバムが常に入ってる状態だった。

もし無人島に10枚だけ……みたいな質問をされたら、絶対に選ぶのが『Sign O' The Times』だと思う。「私を構成する9枚」にもマストで選ぶくらい、本当に影響を受けた1枚(2枚組だけど)。

もうこれ以上、言葉が出てこない。夜中に近所迷惑で申し訳ないけど、今晩だけは大きな音で聴かせてほしい。

ご冥福をお祈りします。


投稿: 2016 04 22 03:40 午前 [Prince, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2016/01/12

デヴィッド・ボウイ逝去に寄せて──ボウイとゾウイ、母と僕。

僕は『Let's Dance』世代だ。だから70年代の偉業なんて当時は知らない。「どうやら、そんな偉大な人だ」ってことぐらい。初めてレンタルでちゃんと聴いたアルバムは『Tonight』だし、初めて買ったCDは『Never Let Me Down』だし、Tin Machineなんてバンドを結成されても時代は80年代末のハードロック全盛期だから夢中になれるわけもなく。

80年代、つまり中高生だった僕にとってボウイは「『Let's Dance』や『Blue Jean』の人」「お酒のCMの人」「『戦メリ』や『ラビリンス』の役者」程度でしかなかったのだ。


そして1990年。上京した僕は東京ドームで初めてボウイを生で観た。と同時に、当時再発された初期作品CDに手を出し、ベスト盤『Changesbowie』を聴いて、初めてその功績に触れた。なんで誰も教えてくれなかったんだと。いや、自分が聴こうとしなかったくせに。そこからの僕は「グラム時代のボウイこそ正義。80年代以降はクソ」という、いわゆる頭でっかちなリスナーとして、90年代以降の作品を否定し続けた。『Black Tie White Noise』を「バンドで失敗した奴の出戻り」、『Outside』や『Earthling』を「時代に迎合しやがって」と貶し、『'Hours…'』にいたってはリリース当時購入さえしなかった。そして90年代前半に活動していたバンドではライブのたび毎回「Suffragette City」を演奏した。1996年の『Outside』でのツアーも、昔の曲にしか反応しなかった。本当に嫌な客だったと思う。

でも僕も大人になり。おそらく30代に入ってからだろうか、素直に80年代、90年代の作品も受け入れられるようになった。きっかけは2000年代にリリースされた2枚のオリジナルアルバム『Heathen』と『Reality』だったか。そこから『'Hours…'』にようやくたどり着き、個人的に大切な1枚へと化す。2004年春から3年ほど配信した、著作権的に合法で音楽を流すネットラジオ『RADIO TMQ』(覚えてる人がどれだけいることやら)の初代エンディングテーマは、このアルバムの中の1曲「Seven」だった。きっと番組を始める直前の3月、武道館で『Reality』ツアーを観たから「ボウイの曲をエンディングテーマにしよう!」と意気込んだのかもしれない。とはいえ「Seven」はライブでもやっていなかったし、今となってはなぜこの曲をセレクトしたのかも覚えていないのだが。

……と、僕にとってのデヴィッド・ボウイはそういう存在。いや、伝わらないか。今では『Never Let Me Down』もTin Machineのアルバムも「しょうがねえなあ」と言いながら年に1、2度は手に取るし、グラム時代以上にプラスティックソウル時代やベルリン三部作時代が好きだし、『Black Tie White Noise』は今でも死ぬほど愛聴しているし。そんな存在。

でも、それ以上にボウイに対してシンパシーを感じるのは、ボウイが僕の母親と同い年(生まれた日も1ヶ月ちょっと違い)で、ボウイの息子ダンカン・ジョーンズと僕が同い年だから。だから、今回の件は自分が思っていた以上に堪えた。音楽的損失という意味でも、『★』という名盤発表2日後という突然の訃報という意味でも、もちろんショックだった。しかし、個人的には上のような理由で自分の境遇と重なってしまったがために、必要以上のショックを受けたんだ。

この年末、1年ぶりに実家に帰った。うちは片親なのもあり、わりと頻繁に母親と連絡を取っている。電話のたびに、体の不調であったり親戚や知人の訃報を聞かされる。当の母も2009年に甲状腺に腫瘍が見つかり(幸い初期段階で軽く済んだが)、現在も定期検診を続けている。この年の夏、フジロックなどの夏フェス参加を一切キャンセルしたのは、実はこれが理由だ。そして2011年秋に、長らく入院していた祖父も大往生。この頃から「あと何回、実家に帰って、こうやって母親と話すことができるのか」と漠然と考えるようになっていた。

2006年からの9年間、WEBのニュースサイトで働いていたこともあってか、正月も3が日帰省するのみ。タイミングが合えばお盆か夏フェスシーズンが終わってから帰省するくらいだった。だからフリーになった2014年末からはもっと肉親との時間を大切にしようと考えていた。しかし、幸運にもと言うべきか、フリーになってすぐに大きな仕事を受け持ち、年末年始も元日明け方まで仕事、新年も4日から稼働という状況で、ゴールデンウィークも仕事、7〜9月も毎週末フェスやイベントで稼働。そんなこともあり、2015年末は少しゆっくりしようと考え、12月31日から1月4日までの5日間を実家で過ごした。おかげで久しぶりにじっくりといろんな話ができた。実際、フリーになって不安を与えていたと思うし、WEBなんて見ない人だから自分が日々どういう仕事をしているかなんて理解してもらえていない。そんな母に昨年執筆・編集した書籍や雑誌の記事を手渡したことで、少しは安心してもらえたのではないかと思っている。

そんな矢先のボウイ訃報。そういえばボウイの誕生日に定期検診だったな、とかいろいろ思い出してしまい、なんとも言えない気持ちになった。出先でこの情報を知り、食事中だったにも関わらず周りを気にせずに泣いた。客こそ少なかったが、店員に不審がられたはずだ。その後、どうやって自宅までたどり着いたかの記憶はほとんどない。気付いたら自宅のPCでボウイの音源を再生し、YouTubeで動画を観ていた。多少アルコールも手にしていたのもあって、気がついたら寝落ちていたくらいだ。

正直、まだ気持ちの整理はついていない。今日もボウイの音源をずっと聴き続き、さっきまで『地球に落ちて来た男』を観ていたくらいだ。もはやボウイという才能の損失を悲しんでいるのか、自身の肉親に対する思いを憂いているのか、自分でもわからない。ただ、ボウイの曲を聴き続けていると不思議と何も考えずに済むのも事実。曲が途切れると同時に、現実に引き戻される。それが怖いから再び再生する。そんな日常が昨日からずっと続いている。

今は彼が最後に遺した『★』というアルバムを、音だけでなく言葉としても反芻しているところだ。きっとしばらくこの行為を繰り返しながら、自分の中で折り合いをつけるんだと思う。ボウイの死にも、そして迫りくる肉親の死に対しても。

投稿: 2016 01 12 07:33 午後 [David Bowie, 「R.I.P.」] | 固定リンク

David Bowie『A REALITY TOUR』日本武道館公演(2004年3月8日/再掲)

※このライブレポートは2004年3月11日に「とみぃの宮殿」に掲載されたものを、加筆修正したものです。最後のジャパンツアーの模様を伝えたいと思い、またデヴィッド・ボウイ追悼の意味を込めて再掲載したいと思います。


8年ぶりに来日したデヴィッド・ボウイのジャパンツアー初日、3月8日の武道館公演に行ってきました。前回('96年6月だっけ?)観たのもここ武道館。あのときは布袋寅泰がオープニングアクトとして出演してたっけ。今回行われる来日公演3本のうち、オープニングアクトが付かないのがこの初日のみ。そういう意味では損したような気がしないでもないけど……ま、ここ数日ボウイが観れるって考えただけでドキドキしてたし、正直ボウイばかり聴いてたから、余計なモノを観なくても(聴かなくても)済んだ、という意味では得したのかも……要はボウイさえ観れればいいわけ。

この日は2階席西側の最前列。ステージにかなり近いポジションだったこともあり、本当にドキドキもんでした。そのステージは比較的シンプルで、ドラムやキーボードの後方に数段高いステージ(踊り場?)があったり、その上からススキの穂みたいなのがぶら下がってたり、そのさらに後方には大きなスクリーンがあったり、ステージ前方には2メートル程度の花道があったり。過去のボウイと比べれば明らかに地味なわけ。今回の『A REALITY TOUR』、すでに行われた全米公演のセットリストとか見ると、過去の封印が何のそのって感じの選曲なわけですよ。とはいえ完全な1990年の『SOUND+VISION TOUR』みたいなヒットメドレーというわけではなく、意外な曲、地味な曲、そして過去2作の新譜からの曲をふんだんに取り入れ、明らかに「21世紀のデヴィッド・ボウイ」を提示した内容。新作『Reality』はなかなかの力作だっただけに、ライブでの披露もかなり楽しみなわけで。観る前からこんなにワクワクしたボウイの来日公演って、もしかしたら初めて観たドーム公演以来じゃないかな? その後も『Outside』でのツアーで観てるけど、今回の比じゃなかったもんな。

ほぼ定刻どおりにライブはスタート。まずオープニングSEが流れ出すのと同時に、会場が暗転。バックのスクリーンに都会の映像が流れ、SEは生バンドによるインストへ。途中から映像がボウイ・バンドのメンバーをコラージュしたアニメーションに切り替わり、これがボウイ・バンドの演奏によるものだと判明するのですが。アニメーションのボウイはハーモニカを吹いています。で、映像がアニメからリアルな姿に変わり、実際のバンドメンバーがひとり、またひとりとステージに登場します。会場はスクリーンの灯りのみで、最後にボウイが現れ、あの印象的なリフが会場に鳴り響く。全米ツアー同様、1曲目は「Rebel Rebel」。イントロ部はオリジナルバージョンに忠実で、歌に入る直前に2003バージョンに変わるというアレンジ。うん、やっぱりロックンロールを歌うボウイは単純にカッコいい。その佇まいがさまになるし。サビに突入して、会場がパッと明るくなり、初めてボウイがきらびやかな衣装を着ていることに気づきます。なんだかなぁ……57才なのに、この王子ぶり。ここまで圧倒的にカッコいい57才、他にいる!? ったく……うちのオフクロと同い年ってのがね……そんな自分の親父と呼んでも差し支えない年齢のオッサンに向かって、目を輝かせてる自分って一体……ま、気にしない気にしない。実際カッコいいんだからさ。

1曲終えて一息つくボウイ。以前からは考えられないほどに話す話す。かなりアットホームな雰囲気の中、新作から「New Killer Star」を。ここでボウイ、ギターも弾くんだけど、あんまり音が出てないような気が。ま、気にしない気にしない。残念ながらお客のリアクションは明らかに薄かった。それだけは事実。畜生、ここに集まってきた中年連中は、ここ数作の新作は完全無視してるようですぜ? だって、その後に演奏された「Fame」と比べればその差は歴然でしたからね。

旧曲のライブアレンジ自体は2000年のツアー以降、ほとんど一緒みたい。比較的カッチリした演奏ながらも、適度にルーズで適度にファンキー。特にドラムのスターリング・キャンベルのプレイがハンパなくすごかった。時にチャーリー・ワッツみたいな「ロールする」ロックンロールプレイを、時にNine Inch Nailsばりに「人間ドラムンベース」していたりするんだから。あとベースのゲイル・アン・ドロシー。ルックスだけで一人勝ちなのに、ベースだけでなく歌も相当うまい。コーラス要員としてシンセ&パーカッション&ギターを担当していた黒人女性(キャサリン・ラッセル)とともにいい仕事をしてました。

その後、Pixiesのカバーだと多くの人が気づいてないであろうシンプルなロックンロール「Cactus」で徐々に盛り上がりつつ、この日最初のピークが「All The Young Dudes」で訪れます。名曲すぎ。イントロのフレーズを聴いただけで鳥肌。サビでは大合唱……のはずなんだけど、キーが若干高かったせいもあり男性には厳しく、思ったほど大きな合唱にはならず。まあそれでもかなり歌えてた方だと思いますけど。曲が終わると、また一緒に歌ってくれというようなコメントの後、印象深いギターフレーズが。「China Girl」だ。イントロ部でのコーラスでゲイルがトチってやり直しになったのはある意味貴重かも。

ていうかさ、ホントにみんな歌わなすぎ! 知らないの? 何しに来たの!?なんて考えながらこの曲を聴いてると、今度は「Hallo Spaceboy」。とにかくこの曲はライブがカッコいいん。ボウイは後方の高台に昇って歌う。この曲でバンドの音量が一気に大きくなった印象。とにかくラウド(特にドラム、すごすぎ)。そういえば昔、ボウイの50才記念ライブで、この曲をデイヴ・グロールが叩いてたっけ。ふとそれを思い出させるほどにパワフルなドラミングで圧倒されっぱなし。もちろん、ボウイのカッコよさが大前提としてあるわけですけどね。

最初のピークで大きな拍手を受けた後、今度はまったりモードに。メンバーのほとんどが袖に引っ込み、スクリーンにはMVっぽい映像が。キーボードとギターで幻想的な演奏を始め、それがそのまま『Heathen』1曲目の「Sunday」へとつながっていく。曲が進むに連れてひとり、またひとりとメンバーがステージに戻ってきて、クライマックスのバンド演奏へ……CDだと盛り上がったところでフェードアウトという尻切れトンボ状態だったんですが、ライブではさすがにそれはなし。ギターソロ弾きまくり、ドラムもパワフルに叩きまくり。アルバムテイクが嘘みたいな名曲ぶり(いや、名曲は言いすぎか)。続いて新作からの「The Loneliest Guy」、Nirvanaのアンプラグドでおなじみ「The Man Who Sold The World」とまったり三昧。派手な盛り上がりはないけど、とにかくこれもボウイの持ち味のひとつ。

一息ついて、ゲイルのボーカルをフィーチャーした「Under Pressure」。ご存知のとおり、原曲はQUEENとのコラボ作。演奏自体は原曲どおりで、ゲイルはフレディ・マーキュリーのパートを一生懸命にこなしているんですが、ある意味ではフレディを超えていた気が。とにかくうまいシンガーだな、と。ボウイは10数年前にフレディの追悼ライブでアニー・レノックスと一緒にこの曲を歌っていたけど、あのときよりはるかに良かった。タイミング的にもちょうど日本でQueen再評価の時期だけに、この選曲は大成功。ボウイというよりもQueenの曲なんだけどね。そしてその盛り上がりを引き継ぐように、名曲「Life On Mars?」へ。ボウイ、かなり歌えてたほうだと思いますよ。さすがにちょっとウルッときた。すげえ良かった、うん。

この後、『Low』からの三連発(「Sound And Vision」「Be My Wife」「A New Career In A New Town」)に失禁しそうに。特に後者2曲は意外な選曲だっただけに、腰抜かしそうになりました。だって「A New Career In A New Town」って……ボウイ、ハーモニカ吹いてるだけだし。もうね、カッコよすぎ。ニューシングルかつミネラルウォーターのCMソングの「Never Get Old」は、どことなく「Fame」や「Young American」にも通ずる“黒っぽさ”を持った1曲。女性コーラスがいい味出してるね。その後に、確か前回の来日時にもやってたような記憶がある「Quicksand」、再び新作から「Days」というアコースティック楽曲が続き、さらにギターのエフェクトが気持ちいい「Heathen (The Rays)」、新作のからのLooking For Waters」と、後半になっても比較的新しめの曲が続くのが正直以外。全米ツアーよりも新曲増えてるんじゃない? 日本で久々のヒットを記録したから、気をよくしたとか? まあここ最近、旧譜よりも新作をよく聴いてたので、個人的にはありがたかったんですが(古い曲はありがたみが大きい反面、変わり果てたときは受けるショックも大きいから諸刃の剣なんですよね)。

エンディングが近づき、最後の盛り上げパートに。まずは「Ashes To Ashes」。大好きな1曲で、一時期バンドでコピーしてたことがあるほど。原曲とキーが変わってるので、慣れないと違和感が残るんだけどね。原曲にあった浮遊感/ニューウェイヴっぽさが薄れて、ポップ色の強いロックナンバーに様変わりしてるのが気になるけど、この際良しとしよう。そして『Earthling』から唯一披露された「I'm Afraid Of Americans」。本当は「Little Wonder」を聴きたかったんだけど、この曲がとにかくファンキーかつつヘヴィで、それこそNine Inch Nailsっぽくもあり、先の「Fame」あたりにも通ずる色もあり。この曲だよ、とにかくドラムがすごかったのは。ラストでのドラミングは神業で、ハイハットとリムショットを使用した、正しく人間ドラムンベースといったプレイ。そりゃ終わった後、この日一番の拍手を受けるわけだ。本編最後は名曲中の名曲「Heroes」。1コーラス目はギターのバッキングのみで歌われ、歌い終えるとおなじみのフレーズとともにバンドが加わるといったアレンジ。ちょっともどかしくもあったんだけど、じらされただけにあのギターフレーズが聴こえてきた瞬間、鳥肌が……やっぱりカッコいいわ、うん。曲も、ボウイも、バンドも、とにかくすべてが最高にカッコよすぎ。

アンコールでは、ドラムの印象的なフレーズとともにあの曲が……『Ziggy Stardust』1曲目、「Five Years」……最初のフレーズをボウイが歌い出した瞬間、思わず涙がこぼれそうに。いやあ、参った。まさか本当に泣きそうになるとは。まさかこの曲をここでこうやって聴ける日がくるとは……すでにアメリカ等で披露されていると知っていながらも、いざ実際に耳にするとね……こらえきれなくなるんですわ。もうね、終始歌いっぱなし。さらにこの流れで「Suffragette City」ですよ!? 10数年前、初めてボウイを生で観て、どうしてもこの曲を自分のバンドでやりたくなって。その後数年間、この曲を何百回と歌ってきたもんだから、そりゃそらで歌えますわ。後半のサビ繰り返しはさすがのボウイも厳しそうで、高いキーが全然出てなかったですが、そんなの気にしない気にしない。キメの「Ah, Wham bam thank you mom!」も一緒に叫びましたよ、ええ。

そんな、完全に心酔し切った状態の中、アルバム『Ziggy Stardust』曲3連発のラストを飾る「Ziggy Stardust」。あのリフを聴いた瞬間、全身に鳥肌立ちまくり。当然この曲もそらで歌えるわけですが‥‥泣いた、マジで。実際に涙は流れなかったかもしれないけど、心で号泣。ありがとうって言いながらボウイに抱きつきたい心境。2時間10数分がアッという間で、まさか26曲もやったなんて思ってもみなかった。

間違いなく、90年以降の来日公演で一番の内容でした。「今のボウイ」もちゃんと垣間みれたし、いろんな意味で吹っ切れたかのような初期代表曲のオンパレードといい、とにかく完璧すぎる内容でした。選曲的にも申し分ないと思うし(そりゃ言い出したらキリがない)、ボウイの状態もかなり良かったと思うし、何よりも今のバンドが素晴らしい。個性的なメンバーが集まった今のバンドで、2枚のアルバムのツアーを長期間過ごしてきたこともあり、かなり息が合った演奏を聴くことができました。どうせならまた観たいよ、次のツアーでも。

正直なところ、観る前は結構不安になってたのね。先日観たKraftwerkが「過去」と「今」をつなげた、ある意味集大成的な素晴らしいステージだっただけに、ボウイは一体どうなるんだろうと。開き直って過去の曲を多くやってくれるのは嬉しいんだけど、でもなぁ……って。けど、実際には違った。いや、もちろん過去の曲をたくさんやってくれたんだから違ってはないんだけど、根本の部分では違ってた。今回はツアータイトルどおり、『Reality』という自信作を引っ提げたツアーなんだなと。観客の新曲に対するリアクションは薄かったし、あのリアクションがすべて正しいとは思わないけど、僕は今のボウイを支持したいな、うん。そして……できることなら、夏にもう一回、野外で観たいよね。

セットリスト
01. Rebel Rebel
02. New Killer Star
03. Fame
04. Cactus
05. All The Young Dudes
06. China Girl
07. Hallo Spaceboy
08. Sunday
09. The Loneliest Guy
10. The Man Who Sold The World
11. Under Pressure
12. Life on Mars?
13. Sound and Vision
14. Be My Wife
15. A New Career In A New Town
16. Never Get Old
17. Quicksand
18. Days
19. Heathen (The Rays)
20. Looking For Water
21. Ashes To Ashes
22. I'm Afraid Of Americans
23. Heroes
<アンコール>
24. Five Years
25. Suffragette City
26. Ziggy Stardust



▼David Bowie『Reality』
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投稿: 2016 01 12 07:15 午後 [2004年のライブ, David Bowie, 「R.I.P.」] | 固定リンク

Cybernauts日本公演(2000年1月8日/再掲)

※このライブレポートは2000年1月13日に「とみぃの宮殿」に掲載されたものを、加筆修正したものです。デヴィッド・ボウイ追悼の意味を込めて、再掲載したいと思います。


新世紀1発目となるライブが、後ろ向きとも言えるトリビュートバンドというのも何だかな。しかも相手はかのDef Leppardのフロントマン2人と、歴史的なバンドThe Spiders From Marsのリズム隊。70〜80年代の英国を代表する面々による、デヴィッド・ボウイ&ミック・ロンソンのトリビュートバンドだ。そして会場となるのは、一昨年10月に憧れのCheap Trickを観たあの忌まわしい横浜ベイホール……いい意味で解釈すれば「あんな小さい会場で憧れの人たちを観られる!」、悪く解釈すれば「またあそこまで行くのか……」という思いがよぎるわけだが。しかも当日、体調が悪いときたもんだ。正直、朝起きたときはどうしようか?と思ったものの、今思えば本当に行ってよかったと思えるだけの内容だった。そしてLeppsを切っ掛けにハードロックに目覚めた自分にとって、忘れられない1日にもなった。

当日は祝日ということもあって、普段より1時間早い開場/開演だった。僕は16時半過ぎに会場に着いたのだが、海の近くということもあって寒いのなんの。しかも前夜から当日朝にかけて初雪が降ったもんだから、余計に寒い。微熱を伴う僕にとってキツ過ぎる状況。そして217番というまずまずの整理番号だったのだが、ふと並んだ後ろを見ると……せいぜい50人程度といったところだろうか。しかも前にも明らかに200人は並んでいない。アルバムが年末リリースだったこともあって、それほど大々的にはプロモーションされなかったのだろうか。まあ翌日には東京公演があるのだから、こっちに来る人は余程のファンか、それとも平日公演が観られない地方の方々といったところだろう(自分含む)。トータルで300人前後。天下のDef Leppardのメンバーがいるにも関わらず……いや、ここ日本では彼らは英米での人気と比べたらそれほどでもないし。過去にも武道館追加公演で2階席が解放されなかったりなんてこともあったくらいだから。

会場に入ると、3列目前後真正面のポジションを確保。どうせ始まれば後ろから押されてより前に行けるだろう、そう思ったのだが……これは間違いだった。押されるほど、後ろに人がいない。せいぜい10列前後しかできていないのだ。フロア後方に行くくらいなら、一段高くなった柵より後ろに行けばいいという人が多かったようだ。結局ライブが始まっても後ろから押されることもなく、最後までそのポジションで快適に楽しめた。しかもステージから1メートルちょっとといった距離で、天下のLeppsのメンバーを観られるのだから……。

BGMのTeenage Fanclubで会場の空気が和む中、スタッフがステージに登場。「Pleaese welcome!~」っていう例のアナウンスを始め、その後に続々とメンバーが登場する。ボーカルのジョー・エリオットは黒のTシャツに牛柄のシャツ、黒のパンツというLeppsでのライブと何ら変わらぬ格好。ギターのフィル・コリンも基本的には普段と何ら変わらぬ格好だ。ウッディーは白い帽子を被っている以外には特に目立たない格好。というか、よく見えない。トレヴァーもシャツにジーンズという、アルバム内の写真と同じ服装で、キーボードのディックは見た目が「スキンヘッドのクラプトン」で思わず二度見。

そしてライブはスタート。選曲・曲順については最後のセットリストを確認してもらうとして……それにしても、この客席の“寒さ”は何なんだろう? いや、盛り上がってはいるんだけど、いかんせん客が少なすぎる。翌日のSHIBUYA-AXは結構な数入ったと聞くから、やっぱり場所的な問題なんだろう。見渡す限りではでデヴィッド・ボウイのファンやグラムロックファンは見受けられない。ということは、やはりここにいるほぼ全員がLeppsファンということになるのだけど……口をパクパク動かしてるわりには、歌声が聞こえてこないのが不思議だ。

ライブアルバムと違った点をいくつか挙げると‥‥①ミック・ロンソンのソロ曲が削られ、ボウイの曲が増えていた(『Aladdin Sane』から2〜3曲)、②完全にこの5人だけで再現しているため、ライブアルバムで聴かれたハーモニカ等は一切なし、③アルバムでは曲間を編集して短くしてるが、実際のライブでは曲間が結構空いたりして、ダラダラした印象を受けた。まあそこがクラブギグっぽくていいんだけど。逆に、思ってたのと違った(驚いた)点は、①Leppsではコーラスの要となっているフィルが、完全にギターに専念していたこと。彼の前にはマイクすらなかった(ただしお約束ともいえる上半身裸は、中盤で早くも登場)、②そのぶん、トレヴァーとディックがナイスなコーラスを聞かせてくれたこと、③そのディックがフィル並、いや、それ以上の仕事をしていたこと。「Moonage Daydream」ラストのギターソロに被さる高音コーラスなど、本当にすごいと思う瞬間が多々あった。またキーボードのパートがない曲ではタンバリンを持ってステージ前方まで飛び出し、フィルに絡んだりもした。

アルバム以上に素晴らしかった曲。まず前半のハイライトともいえる先の「Moonage Daydream」のギターソロ。ミック・ロンソンというよりも、完全にフィル・コリンしていた。フィルのギタープレイはピッキングやストローク時の腕に特徴があって、一度観たら忘れられないのだけど、それを目の前で間近に観られたのはある意味貴重だった。あまり速弾きギタリストには興味がないが、この人とブラッド・ギリス(Night Ranger)、ニール・ショーン(Journey)、そしてスティーヴ・ヴァイだけは別格。続いて、アルバム未収録で今回初めてプレイされた「Lady Grinning Soul」。イントロでのディックのピアノプレイが素晴らしく、さらにLeppsではほとんど聴くことのできないジョーのファルセットが堪能できた。さらににエンディング前の「The Width of a Circle」。この10分以上もあるライブバージョンがもうすごすぎ。中盤にウッディーのドラムソロが挿入されているんだけど、とても50歳を越えた人間のドラムソロとは思えなかいほど圧巻だった。

ライブ本編はVelvet Undergroundのカバー「White Light White Heat」で一旦終了。アンコールはすぐに始まった。ディック、ウッディー、トレヴァーが現れ、続いてフィルが登場し、最後にシャツを脱いだジョーがアコギを抱えて登場。ここで神妙な顔つきでMC。

「今日、1月8日はデヴィッド・ボウイの54回目の誕生日だ。そして、もうひとつは‥‥」

そう言いかけた瞬間、ハっと我に返った自分。そしてジョーはギターで隠していたTシャツの胸のプリントを見せた。そこには「STEVE CLARK / 1960-1991」の文字とともに、亡きスティーヴの笑顔が。そう、この日のためにジョーはこんな粋なものを作っていた。泣くに泣けないよ……隣にいた、ほぼ僕と同年代と思わしき女性は、そのTシャツの絵柄を見た瞬間に号泣。ジョーは続けた。

「もう彼がいなくなって10年も経ったんだよ。いつまでも彼のことを忘れないでほしい。僕らの大切な友達、スティーヴのことを……次の曲をスティーヴに捧げます」

そう言って彼は『Ziggy Stardust』の最終曲「Rock'n'Roll Suicide」をアコギ1本で歌いだした。スティーヴはLeppsのほとんどの曲で作曲者としてクレジットされている、結成当時からのギタリスト。僕が浪人中だった1991年1月8日に亡くなった。このニュースを当時の友人から知らされたんだった。丁度その日は土曜で、センター試験初日。当日深夜には伊藤政則のラジオを、結局最後まで聴いてしまった。4時間ぶっ続けでスティーヴに関する情報を、ロンドンと電話でやりとりしていた。彼が大好きだったLed Zeppelinの「Stairway To Heaven」で番組は締めくくられ、僕はそのまま眠れずにLeppsのアルバムを聴きまくってから試験会場に向かった……そんな10年前の記憶がよみがえってきた……そうそう、あの日も確か雪が降ったんだよなぁ……。

珍しく、あのフィルまでもが神妙な顔つきでギターを弾きまくる。他のメンバーも特に面識があったわけではないだろうが、スティーヴに敬意を表して真剣にプレイに取り組む。そして曲が終了すると盛大な拍手。妙にしんみりしてしまった中、そのまま「Suffragette City」に突入したのだが、ここでもいい仕事をしていたのは、ディックだった。笑顔で他のメンバーとアイコンタクトを取る。するとつられて他のメンバーも笑顔に。こうして最後には満面の笑みで最初のアンコールは幕を下ろした。そして2回目のアンコールはお約束ともいえる「All The Young Dudes」であっさりと終了。ライブ全体のトータル時間は1時間40分程度で、アルバムよりもちょっと長いくらいか。ALLボウイだったにも関わらず、Leppsファンを最後まで飽きさせなかった点はさすがだなと思う。

個人的にはボウイを聴きにいったのに、最後にはLeppsを観たような錯覚に陥ってしまったが、僕自身忘れてしまっていた初心(そう、僕はLeppsを切っ掛けに洋楽にのめり込み、バンドやりたいギター弾きたいって思ったんだ)を思い出させてくれた。21世紀の最初に初心を再確認できたという意味でも、このライブは(少なくとも自分にとって)意味のあるものだった。

最後に。会場内で「やっぱりデフレパ(やめろよ、この呼び方)の曲、やらないのかな?」「やらなきゃ意味ないでしょ?」といった方々。君たちがここにいることの方が意味ないと思うのだけど……横浜に向かう帰りのバスの車中では「Leppsの曲、やらないで正解だったね?」と会話していたカップルがいたけど、本当そのとおり。

セットリスト
01. Watch That Man
02. Hang on to Yourself
03. Changes
04. The Superman
05. Five Years
06. Cracked Actor
07. Moonage Daydream
08. Lady Grinning Soul
09. The Jean Genie
10. Life on Mars
11. The Man Who Sold The World
12. Starman
13. The Width of a Circle (feat. Drum Solo)
14. Ziggy Stardust
15. Panic in Detroit
16. White Light White Heat
<アンコール>
17. Rock'n'Roll Suicide
18. Suffragette City
<ダブルアンコール>
19. All The Young Dudes



▼Cybernauts「Live」
(amazon:国内盤

投稿: 2016 01 12 07:00 午後 [2000年のライブ, David Bowie, Def Leppard, 「R.I.P.」] | 固定リンク

2009/12/30

神様はまだ天国にミュージシャンを連れていかれるのか

JIMMY "THE REV" SULLIVAN | Avenged Sevenfold

なんでこんなにミュージシャンの訃報が続くんだろう……本当に狂ってるよ、2009年は。

レヴには昨年の1月と10月の来日時に、それぞれ一度ずつ会ったことがありました。といっても、最初のは“会った”にカウントされるのかどうか。

昨年1月、僕はザッキーとシニスターのギタリスト2人にインタビューしたのですが、その際インタビュールームにレヴが酔っぱらって何度か入ってきたりして(笑)。丁度ツアーが終わった後で、メンバーはお酒も入ってかなりご機嫌モード。レヴは日本酒を相当呑んでいて、顔が真っ赤。「サーキ、サーキ!(sake/酒のこと)」と連呼してて、ザッキーもシニスターも苦笑いモードだったのが今でも思い出されます。

次に会ったのは、10月に「LOUD PARK 08」で再来日した際。ライブ後にザッキーと少し話をしていたら(1月の取材のことを覚えていてくれたらしい)、そこにレヴもいて。「あのとき、日本酒呑んで相当酔ってたね?」と拙い英語でレヴに話しかけたら、はにかんで「Sorry...」って言ったんだよな。それが最初で最後の会話でした。

AVENGED SEVENFOLDのライブを観たことがある人ならば、レヴが彼らにとって欠かせない存在なのはおわかりでしょう。恐らく2010年に向けて、そろそろ新作の準備を進めようとしてた頃だと思うんですが……確実に次のアルバムで化けるバンドだと思っていたので、この訃報には正直僕も動揺してます。いや、朝から動揺しまくりです。

なんなんだろう、今年は……あと2日、何もなく終わってくれ……。




▼AVENGED SEVENFOLD「CITY OF EVIL」(amazon:日本盤US盤


▼AVENGED SEVENFOLD「AVENGED SEVENFOLD」(amazon:日本盤US盤

投稿: 2009 12 30 04:03 午前 [Avenged Sevenfold, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2009/12/26

追悼・志村正彦

本当、なんで今年はこんなにもミュージシャンの訃報が続くんだろうね。清志郎さんのときに肩を落とし、アベフトシのときに涙ぐみ、そして今回も……オフィシャルサイトでその一方を見つけたとき、変な汗が出てきて動悸が激しくなった。同僚に早く伝えなきゃって思うんだけど、なんて言っていいかわからない。言葉が出てこない。こんなこと初めてだった。

職業柄、その事実をニュースとして伝えなくてはいけない。この事実を再び文字に起こさなければならない。文字にしたらほんの数行で済んでしまう彼の訃報。普段だったら2分とかからないその入力さえも、異常にはかどらない。筆が重い……いや、キーボードを打つ指が鉛のように重く感じる。頭も働かない。いつもの数倍もの時間をかけて、事実のみを伝える記事を書いた。

書き終え公開された後、何とも言えない脱力感が僕を襲う。何も手に着かない。ボーッとしてしまうと涙が落ちてきてしまいそう。だから、結局原稿を書き始める。何も考えなくていいから、むしろ原稿に向き合っていたほうが楽なんだ。

Twitterでは彼の死を惜しむ声と、まったく関係のない話題が交差する。何となく自分自身の許容範囲を超えていたので、Twitterを閉じる。意味もなく怒りがこみ上げてくる。

結局その晩は、同僚たちと呑みに出かけた。たまたま仕事納めだったこともあったんだけど……非常に重苦しい空気が一部に漂ってた。結局口をつくのは志村くんの話。そして無理に明るく振る舞おうとして、さらに呑む。

4時前に帰宅して、吐く。吐くほど呑んでいなかったんだけど、部屋でひとりになったら急激な吐き気に襲われた。すべて吐き出したら、また怒りがこみ上げてきた。

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僕は志村くんには一度も会ったことはない。ライブもフェスやイベントで観る程度。でも、アルバムだけは異常に愛聴していたし、個人的には昨年発売の「TEENAGER」は2008年のベスト3に入る作品だった。今年出た「CHRONICLE」も悪くなかった。けど、きっと次の新作がすごいんだろうな……そう思わせる“開花前夜”を思わせる内容だったと思う。

何となくだけど、2010年にはインタビューできるんじゃないか。そんなことを漠然と考えていた。むしろ、それを望んでいた。一度はきちんといろんな話を聞いてみたいアーティストだったし、来年30代に突入する彼がこれからどんな音楽人生を歩んでいくのか。それを同時代を生きる者として一緒に体感したかった。

今、スペースシャワーTVで放送されてたフジファブリック特集を鑑賞しながら、これを書いてる。最新の「Anthem」あたりを聴くと、本当にこの人が次にどんな音楽を作り出していたのか、そればかりを想像してしまう。

今はこれ以上の言葉は出てこない。いとうせいこうさんがTwitterでつぶやいた「生きてるもんでなんとかやっていくしかない。」という言葉を噛みしめて、生き続けるしかない。今はそれしか言えない。




▼フジファブリック「TEENAGER」(amazon:日本盤

投稿: 2009 12 26 11:24 午後 [「R.I.P.」, フジファブリック] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2009/07/23

涙がこぼれそう(追悼、アベフトシ)

何の悪い冗談かと思った。仕事中、同僚からの電話が鳴り、別の同僚が出る。切った後に、電話を受けた同僚が言う。「アベフトシが亡くなった」と。

アベフトシ、急性硬膜外血腫のため43歳で逝去

清志郎さんが亡くなっても、マイケルが亡くなっても、ショックは受けつつもどこか冷静さを保っていた自分。マイケルのときには、その事実を知った後に「早くニュース記事を書かなきゃ」との使命感に追われて、手が勝手に動いていたっけ。

でも、今回は違った。しばらくの間、呆然として、結局数時間は仕事にならなかった。恐らく仕事しながらも涙ぐんでたと思う。とにかく、頭が働かなかったんだ。

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ミッシェルもROSSOも好きだったけど、The Birthdayだけは苦手だった。最初からずっと。でもここ1年くらい、ここ1〜2作の曲の中には「お、いいな」と思える楽曲もいくつか存在した。だけど、CDを購入してまで聴こうとは思えなかった。

そんな自分だけど、「涙がこぼれそう」という曲が一番好きだ。理由はわからないけど、何となく自分が知ってるチバに一番近い気がして。

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アベの訃報を聞いてから、ずっと頭の中で「涙がこぼれそう」がグルグル回ってた。思わずYouTubeでPVを観てみたんだけど……ダメだ。最後まで聴けなかった。アベがもうこの世にいないという事実。チバの隣にアベが立つことがもう二度とないという事実。そして、訃報を耳にしたチバ、ウエノ、キュウの気持ちを考えたら、どうしようもない気持ちになった。亡くなってしまったという事実より、遺された人たちの気持ちを考えたら、本当に悲しくなった。

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過去に何度かDIAMOND☆YUKAIにインタビューしたことがある。最近もRED WARRIORSとしてのYUKAIとSHAKEにインタビューした。そのときにも出た話題だし、過去にも何度か聞いた話だ。RED WARRIORSの再結成/再始動に積極的なことについて問うと、かならず言われるのが「だって、死んじゃったら再結成したくてもできないでしょ。やりたくてもやれないバンドもいるんだよ」ということ。

もちろん、すべての再結成が肯定的なものばかりじゃない。RED WARRIORSだって解散した1989年の時点では、絶対に再結成はないと思ってたし、最近ではユニコーンやDEAD ENDみたいにそれこそ再結成がありえないようなバンドが、全盛期のメンバーで復活してくれた。

すべての再結成が受け入れられるわけではない。でも、それが最高のものだったら、うれしいに決まってる。「いつかは……」なんて勝手に夢見て、長生きするのもいいじゃないか。生きる楽しみがひとつでも多いほうがいいじゃないか。

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これでもう、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが再びあの4人でステージに立つことはなくなった。「これで本当に伝説になった」って言う奴もいるだろうけど、そんなのクソだ。クソ食らえ。

自分の中で、ずっとミッシェルを聴き続けるかぎり、伝説なんかにならない。ずっと終わらないんだよ。ずっと生きてる。伝説とか安っぽい言葉使うなよ。

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何が言いたかったんだろう。酔った状態でこんな文章、書くもんじゃないね。でも、どうしても形として残しておきたかった。きっと朝起きて、この文章を読んで凹むんだろうね。でもいいや。今日ばかりは、どうしても吐き出しておきたかったから。

「さよなら」とか「ご冥福をお祈りします」とか、そんな言葉は書くつもりはない。ただ「ありがとう」って伝えたいだけ。しばらくは曲を聴くのもつらいだろうけど、また爆音であなたのカミソリギターを何度も何度も聴くつもり。だから、そのときまで。またね。



▼The Birthday「NIGHT ON FOOL」(amazon:日本盤

投稿: 2009 07 23 03:43 午前 [THEE MICHELLE GUN ELEPHANT, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005/11/25

11月24日、エリック・カーを偲んで。

 11月24日というと、まぁロックファン的にはフレディ・マーキュリーの命日ってことになるんでしょうね。でもね、忘れて欲しくない人がもうひとり、同じ年の同じ日(1991年11月24日)に亡くなっているんです。

 QUEENと同じくらいに大好きなバンド、KISSの二代目ドラマー、エリック・カーの命日。

 俺はリアルタイムでは初期メイク時代のKISSは通過してません。洋楽をマトモに聴き始めた時期には既にメイクを落として産業メタル路線(「LICK IT UP」以降)を突き進んでたし、そういう音がKISSの持ち味だとその頃は信じてたから。勿論、KISSが昔、ああいうメイクをしていたのは知ってたし、音楽雑誌なんか見れば、必ずあのメイク時代の写真にぶつかるしね。

 エリック・カーはピーター・クリスの後釜としてKISSに加入、実は加入後暫くはメイクしてたのね。メイク時代末期に加入したわけ。そしてエース・フレーリーも脱退し、ヴィニー・ヴィンセントがいよいよ正式加入した後に、メイクを取る‥‥音楽的にも時代に合わせたカラッとした産業臭タップリのハードロック/ヘヴィメタル路線へと移行してったのね。でも俺は、その時代のKISSも大好きなわけ。ポール・スタンレーの持ち味は元々ああいったメタメタしたHRにピッタリだし、ジーン・シモンズのダーク&ヘヴィさは行き着くところに行き着けば、必ずああいったメタル路線にぶつかるはずだし。それは時代云々じゃなくて必然だったのかもしれない(そして、後に再びメイクをすることも含めてね)。

 エリック・カー在籍時は、実はたった1度しか来日してないんですね。しかも、それすら10数年振りの来日公演(1998年春だったかな?)‥‥当時高校生だった俺は何故かチケットを取ることができず(当たり前だ、ずっと観たかっただろう俺より上の世代が頑張ったんだろうから)、後にBSで放送されたライヴ映像を観て‥‥それが最後に観た「エリック・カー在籍時のライヴ」かな。ライヴヴィデオは他にも出てるし、いろいろ怪しい映像も出回ってると思うので、興味がある人は是非一度観てみてください。



▼KISS「CRAZY NIGHTS」(amazon:日本盤US盤

 その3度目の来日公演は、'80年代メタルKISS史上最もポップな1987年のアルバム「CRAZY NIGHTS」を引っ提げてのものでした。俺、このアルバム大好きなんだよね。HEARTやオジー・オズボーン「THE ULTIMATE SIN」等を手掛けたロン・ネヴィソンがプロデュースした、如何にも産業ハードロック臭たっぷりな、メタメタしたハードロックアルバムで、曲も異常にポップなものが多い。タイトル曲である "Crazy, Crazy Nights" や "Turn On The Night"、FORIGNERを思わせるミディアムバラード "Reason To Live" といった素晴らしい曲もあるし、"No, No, No" みたいなハードな曲もちゃんと用意されてる。けどこれは確実に「ポール主体な1枚」だよねぇ。ま、'80年代半ばから暫くはポール主体だった気がするけど。いい作品集ですよマジで。



▼KISS「HOT IN THE SHADE」(amazon:日本盤US盤

 そしてエリック存命時ラストアルバムとなってしまった1989年のアルバム「HOT IN THE SHADE」。前作でのポップ路線に嫌気がさして(笑)反動でハードな路線を選んだらしいKISSなんですが、作品としてはちょっと散漫な面も目立つ1枚でして。個々の曲は良いんだよね。ドブロギターを用いたブルージーなイントロがカッコいいハードチューン "Rise To It"、ボニー・タイラーやエース・フレーリーまでカバーした "Hide Your Heart"、シングルカットしてもおかしくない出来の "Silver Spoon"、そして‥‥10数年振りにアメリカでのトップ10ヒットとなったバラード "Forever"(作曲にはかのマイケル・ボルトンも携わってます)等、いい曲多いんだけど、アルバムとして通して聴くと‥‥15曲もあるせいか、ちょっとキツく感じるんだよね。
 当時はエアロが「PUMP」で、モトリーが「DR.FEELGOOD」でそれぞれ大ヒットを飛ばしてた時期。またBON JOVIも前年に「NEW JERSEY」でヒット連発してたし、何よりも時代はGUNS N'ROSESの時代だったからね‥‥タフでハードな方向に移行したのは、やはりその辺の影響も大きいのかな。でも、曲自体はポップなメロを持ったものば多くて、まぁそこだけはこれまで通りのKISSなんだけどね。
 そうだ‥‥このアルバムにはね‥‥エリック・カーがKISSで唯一スタジオ録音でリードボーカルを取った "Little Caesar" が収録されてるんだよ‥‥数年前にリリースされたボックスセットではジーンが歌うデモバージョン(タイトルは "Ain't That Peculiar")も入ってたけどさ。ライヴじゃピーター・クリスがボーカルを取ってた曲("Black Diamond" 等)でリードボーカルを取ってたのね。決して名シンガーではなかったけど、味のあるいい声だと思ったんだけどね。一度ライヴで彼の歌を生で聴きたかったなぁ‥‥



▼ERIC CARR「ROCKOLOGY」(amazon:日本盤US盤

 エリックの死から8年後の1999年11月24日、盟友であったブルース・キューリック(KISSの'80年代半ばからメイク復活前まで在籍したギタリスト)が監修してリリースされた、エリック存命時のデモトラックを中心に収録した追悼盤。マニア向けだけど‥‥好きな人なら堪らないと思うよ。'80年代KISS用に書かれた曲なのか(クレジットにKISSの楽曲に携わるアダム・ミッシェルの名前もあるしね)、それともKISSとは別にソロアルバム(あるいはソロユニット?)を想定して制作されたデモなのか‥‥曲によっては歌すら乗ってない曲もあり、完成する前に病状が悪化して、そして‥‥

 
 さっきから、スピーカーからは懐かしい、それこそ高校時代によく聴いていた「'80年代の」KISSの名曲達が大音量で鳴ってる。ここ数年はどうしてもメイク時代‥‥'70年代の曲ばかりにスポットが当てられたけど、今こそブルース・キューリックやエリック・カーが在籍した時代のKISSを再評価してもいいんじゃないかな? 特に'80年代のハードロック、産業ハードロック、メロディアスハードロックが好きな人でこの辺のKISSをスルーしてたとしたら、それは人生かなり損してますよ。是非聴いてみてください。

 あとちょっとで日付が変わる。11月24日が終ろうとしてます。1年に1度だけ、この時代のKISSを聴くんじゃなしに、これからも頻繁にこの辺のアルバムを引っ張り出して、そしてこの頃のKISSを懐かしみたいと思います。ホントいいんだってば。

投稿: 2005 11 25 12:30 午前 [KISS, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

2005/05/13

元METAL CHURCHのデヴィッド・ウェイン、死去。

メタル・チャーチのオリジナル・シンガー、死去(CDJournal.com)

 '80年代に誕生した、アメリカのスラッシュ〜パワーメタルバンド、METAL CHURCHの初代シンガー、デヴィッド・ウェインが5/10、交通事故によって負った頭部への負傷が原因でお亡くなりになったそうです。享年47才‥‥47才!? そんなに年いってたのか‥‥

 日本ではMETAL CHURCHというと2代目シンガー、マイク・ハウが加入してからの方が馴染みが深いのかもしれませんが(個人的名盤「THE HUMAN FACTOR」があるからね)、このウェインが参加してた頃の2枚もなかなか捨て難いんだよねぇ。特にインディーズからリリースとなった1st「METAL CHURCH」。全体的にいいんですが、やはりDEEP PURPLEの "Highway Star" カバーの焼けクソ具合が光ってます。ホント素敵でした。

 1994〜5年頃に一度解散するものの、1998年にオリジナルメンバー時代('84年)のライヴ音源を収めた「LIVE」をリリースする前後に再結成。アルバム「MASTERPEACE」を発表。この時のシンガーがデヴィッド・ウェインでした。が、その後音沙汰が一切なかったのですが、昨年ひっそりと新作「THE WEIGHT OF THE WORLD」をリリースしてたんですね‥‥けどこれ、大幅なメンバーチェンジ振りに軽く退きます。オリジナルメンバーが2人(ギターのカートとドラムのカーク)しか残ってないし。んで、ウェインはウェインでDAVID WAYNE'S METAL CHURCHなるバンドを勝手に始めてるし‥‥そんな矢先の出来事‥‥というか、こんな不幸な出来事がなければ、彼がこんな小賢しいことやってるなんて、気づきもしなかったのに‥‥

 例えば、あれですよ。今のアンディ・マッコイとマイケル・モンローがいるHANOI ROCKSからマイケルが抜けて、アンディのHANOIは他のシンガー入れて存続してるのに、マイケルが「MICHAEL MONROE'S HANOI ROCKS」なんていうバンドを勝手に始めてしまう‥‥みたいな違和感があるわけですよ。だってMETAL CHURCHってギターのカートのバンドだったんじゃねーの? 認識間違ってる??

 いろいろ調べると、2001年に「WAYNE」というバンドでデヴィッド・ウェインとオリジナル・メンバーのひとり、クレイグ・ウェルズ(ギター)が「METAL CHURCH」っていうタイトルのアルバム出してるんですね、内容はどうだったんだろう‥‥「我こそがオリジナルMETAL CHURCHなり」とでも主張したかったんだろうなぁ‥‥けど曲の大半はカートが書いてたのにね‥‥

 とにかくまぁ‥‥いろいろ確執はあったんでしょうけど、こんなカートのコメントを読んでしまうと、なんか泣けてきます‥‥

 そんなデヴィッド・ウェイン在籍時の、ごく初期のデモ音源がオフィシャルサイトのこのページで落とせるの、知ってました? 俺、知らなかったよ‥‥随分前に覗いたっきりだしな、METAL CHURCHのオフィなんて。ライヴ音源あり、オリジナルアルバムのEU盤や日本盤のみに収録されたボーナストラックまで落とせるのね。ビックリ。マイク・ハウ時代のとか、カートのMETAL CHURCH前夜の音源(インスト)なんかもあって、非常に興味深いです。

 今夜は久し振りに1stとか聴いてみようかな‥‥なんかデモバージョンを聴いたら、久々スタジオ盤をちゃんと聴いてみたくなったよ。

 May Rest In Peace, David.



▼METAL CHURCH「METAL CHURCH」(amazon

投稿: 2005 05 13 09:14 午後 [Metal Church, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2005/04/01

悲報。

ギターウルフのビリーが心不全のため逝去(公式)

 昨日は送別会で、一旦帰宅した後に出かけて、日付が変わってから暫くして帰宅、そのまま寝たんだけど‥‥今朝、このニュースを知って大きなショックを受けました。決して一番好きなバンドだったわけではないけど、ついこないだ(2月頭のソニマニ)最高のライヴを観たばかりだったのに‥‥ホント、エイプリルフールの悪い冗談であって欲しい。

 ギターウルフは明日、SHIBUYA-AXのイベントに出演する予定で、俺実はこれにすっげー行きたかったんだけど、どうも仕事とぶつかりそうだったので諦めてたのね。そしたら‥‥まさかこんなことになるとは‥‥

 なんだろ‥‥RAMONESのメンバーがひとり、またひとりと亡くなっていく時の、あの淋しさと心苦しさに、非常に近い感情を今感じています。

 今夜は爆音でギターウルフのアルバムを聴きます‥‥



▼ギターウルフ「狼惑星」(amazon

投稿: 2005 04 01 08:22 午後 [「R.I.P.」, ギターウルフ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004/12/20

MARILYN MANSON plays PANTERA

マリリン・マンソン、テキサス公演でパンテラ演奏(BARKS)

 MARILYN MANSONとPANTERAは、確かに2000年前後の「OZZFEST」で共演してるし、MANSONのステージにPANTERAのフィルが乱入して大暴れした、なんてエピソードもあったっけ。およそ結びつかない2組だけど、フロントマンが(見た目と違って)繊細という点で共通するものがあるし、そこにお互い惹かれてた部分もあるのかな。けどフィルのことだから「あんなオカマ野郎〜」とか言いそうだけど。

 MANSONが演奏した "Revolution Is My Name" はPANTERAのラストアルバムとなった、メジャー5作目「REINVENTING THE STEEL」(邦題:激鉄)に収録された、当時PVも制作されシングルカットもされたナンバー。先日紹介したベストアルバムにも収録されてるし、初回盤付属DVDには同曲のPVも収録されてます。何度も何度もテンポチェンジをする、ミドルテンポのシャッフルナンバーで、如何にPANTERAがBLACK SABBATHから影響を受けているかが伺える、非常にヘヴィなナンバー。もうこの頃のPANTERAはライヴを観てないので、この曲がどういった風に演奏されたのかは判らないけど、相当カッコ良かったんだろうな、と想像するに難しくないですよね。ダレルのギターも暴れまくってるし、フィルも前2作よりは「歌ってる」感が強いし。いいアルバムですよ、「REINVENTING THE STEEL」は。

 来年2月、MARILYN MANSONは「SONIC MANIA」のために来日するんだけど‥‥まさかこの曲を再び演奏することはないだろうな。ただでさえライヴではカバー曲が多いんだから("Sweet Dreams" やベスト盤にも収録された "Tainted Love"、"Personal Jesus" 等)、演奏時間が限られるフェスではね‥‥残念だけど。ま、だからといって今後延々と演奏されたり、スタジオ録音されたとしても、こちらとしては複雑な心境なんですけどね。



▼PANTERA「REINVENTING THE STEEL」(amazon

投稿: 2004 12 20 11:10 午後 [「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004/12/18

フィル・アンセルモ、沈黙を破る。

フィル・アンセルモ、ダレルの死に沈黙を破る(BARKS)

 うわぁ‥‥何だか切ない。ダレルの家族の意向でフィルは葬儀に出席しなかった(できなかった)なんて‥‥確かに彼の家族からすれば、フィルがバンドを壊したくらいの気持ちがあるだろうし、あそこでPANTERAが終ってなかったら、こんなことにはならなかったのに、って気持ちも少なからずあるんだろうね‥‥勿論憶測だけどさ。そう考えると、尚更辛い。短いながらも、やはりフィルがこの1週間どれだけ苦しんだかが伺えるコメントですね。

 正直、フィルが今やってるSUPERJOINT RITUALには殆ど興味がないのね。多分10代の自分だったら、すっげー喜んで聴いてたであろうタイプの音だけど、今の俺には必要ないかな、と。無い物ねだりなんだけどさ‥‥あそこにダレルのギターが乗っかって、ヴィニー&レックスによる重心の低いリズム隊が加わったらな‥‥って。結局それはPANTERA以外の何ものでもないわけで。

 今日ね。ラジオ用に数日振りにDAMAGEPLANのアルバムを聴いてたのね。んで、数日前に簡単な感想を書いたじゃない。あれはあくまで最初に聴いた時、そしてダレルの死後改めて引っ張り出して1回聴いた時の感想だったんだけど‥‥ちょっと落ち着いて聴き直してみると、意外と聴けるアルバムだったんだなぁ、と再発見。けど、やはり化けるにはセカンドアルバムが必要だったよな‥‥

 今夜のラジオ、たった3〜4曲程度ですが、ダレルの特集をやります。「ベスト盤イイヨネー!」にて、PANTERAを取り上げます。俺のここ1週間くらいに感じたことを、そのまま生の言葉で語ろうと思います。いつも聴いてくれる人も、そしてダレルに興味を持ちつつもラジオ聴いたことない人も、是非聴いてください。よろしくお願いします。



▼SUPERJOINT RITUAL「A LETHAL DOSE OF AMERICAN HATRED」(amazon

投稿: 2004 12 18 06:38 午後 [Pantera, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004/12/17

ダレルの死、その後。

実兄のV・ポールがダレルを追悼、葬儀にはKISSの棺(BARKS)
レックス、ザック、エディ他がダレルの葬儀に出席(BARKS)
ダレル射殺事件後、リンキン“ファンと身近な交流を続ける”(BARKS)

 フィルが葬儀に出席しなかったのは、まだ彼自身がダレルの死を現実として受け入れることが出来てないんじゃないか‥‥ああ見えて非常に繊細な人だと思うので(ましてや家族以上の想いがある人の死ですしね)もうちょっと時間が必要なんじゃないかな‥‥と。そうであって欲しいっていう願望込みで。

 そして、KISSファンならかなり前に「とみ宮」でも話題にしたことがあった、KISSの棺桶! まさかあれがここでこういう風に役立つことになるとは‥‥皮肉ですね。

 ダレルのギターには確か、KISSの「ROCK AND ROLL OVER」(邦題:地獄のロック・ファイアー)のジャケット絵柄(KISSのメンバー4人の顔イラスト)のステッカーが貼られていましたよね。俺、あれを見た瞬間に、「あ、この人は信用できる!」って思ったなぁ、当時。それくらい自分にとって、KISSを通過してるアーティスト/してないアーティストの線引きが重要だったもので。つーかホントに大好きだったんですよね、ダレルってKISSが。あのメロウなプレイはその辺からの影響も大きいのかな‥‥なんて。

 音楽的には決してストレートに影響を表してきてはいませんが、それでも彼の根本にあるのはKISSなのは間違いないですよね。そんなKISSに見送られて‥‥今頃「向こう」でエリック・カーと新しいバンドでも組んでるんだろうなぁ‥‥そう願いたいです。



▼KISS「ROCK AND ROLL OVER」(amazon

投稿: 2004 12 17 08:00 午後 [Pantera, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004/12/14

「元PANTERA」ではなく、「DAMAGEPLAN」のダレルについて。

ギタリストのダイムバック・ダレルが公演中観客の凶弾により死亡(ワーナーミュージック・ジャパン)
アーティストたちのダイムバッグ・ダレル追悼メッセージ(BARKS)
モトリー・クルー、エヴァネッセンスもダレルにメッセージ(BARKS)
Metallica ラーズが親友ダレル・アボットを追悼(VIBE-NET.COM)


 PANTERAのことばかり語るサイトが多いので(ま、俺もそうだけど)、当のDAMAGEPLANについて語っておきましょう。

 ファーストアルバムってことで相当力入ってますよね。曲の幅はPANTERA時代よりも広いように感じるし、ボーカルのパトリック・ラックマンもまぁフィルみたいに聴こえる時もあるけど、もうちょっと「いろいろ歌えそう」なイメージがあるかな。勿論アルバムを聴く限りでの話ですが。

 ギターやドラムは、どこからどう聴いてもダレルとヴィニーの‥‥つまり、PANTERA以外の何ものでもない、といった印象が強くて、逆にそれが仇になってしまった感も無きにしもあらず。こればっかりは個性が強烈過ぎるんだもん、仕方ないか。

 これといった「DAMAGEPLANらしい強烈な個性」はまだ感じられず、どちらかというとPANTERAの延長線上からスタートさせたイメージかな。多分、セカンドでもっといろいろ変化が見られたんだろうけど‥‥絶対に新しい地点にたどり着いてたはず。あるいはこのまま何にも変わらず、「結局俺等これ好きだし。これしか出来ないし。」って開き直り続けたのかも‥‥今となってはその答え、誰にも判らないんだけど‥‥

 アルバムは今年の2月にリリースされ、すぐ後に来日も実現。その際にはPANTERA時代の曲("Walk" とか)も披露されたとのこと。う〜ん、やっぱりダレルとヴィニーにとっては地続きだったんだよね。フィル・アンセルモは再結成について、常に「今はまだその時じゃない」とコメントして、じゃあ先々には可能性が少しでもあるのかよ!?と期待を持たせたり‥‥それも今となっては‥‥嗚呼。

 死んじゃったから褒めるってのは嫌だから正直に書くけど、俺はこれ、リリース後すぐに買ってもそんなに聴き込まなかったのね。単純にこの手の音から俺がずれ始めてたってのも大きいけど、やはり‥‥これ聴くんだったら‥‥っていう嫌な感情がね。ミッシェルファンの子がROSSOを悪くいうのと同じ次元じゃん、それ。ダメだな、俺‥‥

 だからこそ、そんなモヤモヤを吹き飛ばすようなセカンドを待ってたんだけどね‥‥糞っ!



▼DAMAGEPLAN「NEW FOUND POWER」(amazon

投稿: 2004 12 14 08:53 午後 [Pantera, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2004/12/11

May Rest In Peace, Darrell.

 ダイムバック・ダレル射殺事件の続報です。

ダメージプランのダイムバッグ・ダレルが公演中に射殺される(MTV Japan)
メタル界に衝撃、ダイムバッグ・ダレル射殺事件にオジーらがメッセージ(BARKS)
米国のライブハウスで銃乱射事件、バンドギタリストら4人死亡(ロイター)
射殺されたD・ダレル、ファンには優しかった=米誌編集長(ロイター)


 今日は出張だったんだけど、移動中ずっとPANTERAのベスト盤を聴いてました。オリジナルアルバムでもよかったんだけど、なんか彼等‥‥というかダレルの歴史を追いたくてね。ずっとリピートしてた。何回も、何回も。で俺、途中がすっぽり抜けてるんだよね‥‥「GREAT SOUTHERN TRENDKILL」の辺りが。勿論リアルタイムでちゃんと買って聴いてたんだけど、恐らくこの時期、俺自身がこの手のロックから遠ざかってた時期なのかもしれない‥‥だから積極的に聴かなかったんだろうな。その前作「FAR BEYOND DRIVEN」辺りから個人的には厳しいなぁと感じてたのもあるしさ。

 このベスト盤にはそのアルバム(邦題「鎌首」)からは1曲しか入ってないんだけど、もっといい曲がオリジナルアルバムの方には沢山あった気がする。んで、さっきから聴き返してるんだけど‥‥いいじゃん、これ。凄くいいよ。ついでに「FAR BEYOND DRIVEN」もカッコいい。あーこんな時だから余計にカッコ良く聞こえるのかもしれない‥‥でも。それでもいいや。

 くそぉ‥‥何で12月8日に銃殺なんだよ。しかもファン(らしき狂人)に殺されるっていう‥‥それも今回は、よりによって、実の兄(ヴィニー・アボット。元PANTERA/現DAMAGEPLANのDrでダレルの兄)の目の前で‥‥その殺され方を読んで、余計に悲しくなった。

 PANTERAの解散は、誰のせいでもない。フィル・アンセルモのせいでも、勿論ダレルのせいでもない。誰のせいでもないから、またいずれ、チャンスが訪れるかもしれなかったのに‥‥

 馬鹿野郎‥‥



▼PANTERA「THE BEST OF PANTERA」[DVD付](amazon

投稿: 2004 12 11 12:10 午前 [Pantera, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

2004/12/09

何故よりによって12・8なんだ‥‥

メタルバンド、ダメージプランのステージで悲劇が起きた。(BARKS)
 ‥‥へっ、ちょ、ちょっと待ってよ‥‥嘘でしょ‥‥嘘だと言ってよ、ねぇ‥‥

 今、すっげー動揺してるんですけど。なんだこれ、何でダレルが死ななきゃならないんだよ!? しかもライヴ中に銃殺って‥‥し‥‥信じらんねぇ‥‥

 日本時間の9日21時現在、まだDAMAGEPLANのオフィシャルサイトには何も情報出てません。更新も11月中旬で止まったまま。BILLBOARDには犯人が警官に射殺され、ダイムバック・ダレルを含む計5人が亡くなる惨事になったと載っています‥‥信じられない‥‥

 PANTERAというバンドについては、語り尽くせない程の思い出が沢山ありますよ。初来日と二度目の来日の時は行ったんだよな。最初の時は日本のOUTRAGEとの対バンだったっけ。

 とにかく凄いライヴだったよ。ボーカルのフィルも凄いんだけど、やはりギターだよな、ダレルの。見とれてたもん、暴れないで、ただひたすらギタープレイに酔ってたもん。ずっと酔っていたかったよね‥‥

 そんなPANTERAも昨年解散を発表し、それぞれが新たな道を進んでいたけど、数年経てばまた一緒に何かやってくれるんじゃないかな‥‥っていう希望をずっと持ってたんだよね。けどこれでもう、ダメ。ご破算。二度と観れないんだよね、PANTERAどころか、ダレルのギタープレイさえも‥‥

 明日は出張で早起きしなきゃいけないんだけど、今夜はPANTERAのDVDに入ってるライヴ映像観ながら、酒呑んで、涙で枕を濡らすよ。畜生‥‥



▼PANTERA「OFFICIAL LIVE : 101 PROOF」(amazon


(12/10 追記)
Pantera Damage Plan Dimebag Darrell shot dead(UNDERCOVER)
Columbus Rock Concert shooting : Former Pantera guitarist Dimebag Darrell shot dead(top40-charts.com)
Dimebag Darrell, Four Others Killed In Ohio Concert Shooting(mtv.com)
Heavy Metal Gig Killings - Man Named(NME.com)
Dimebag Darrell Among Five Slane At Damageplan Show(FMQB)
演奏中の乱射で4人死亡 犯人も射殺、米オハイオ州(Yahoo!)

投稿: 2004 12 09 09:08 午後 [Pantera, 「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

2004/11/16

WU-TANG CLANのOl' Dirty Bastardが急逝

ウータン・クランのオール・ダーティ・バスタードが急死 (MTV JAPAN)

 ゴメン、全然知らなかった‥‥つうか最近全然ネットとかやってる時間もなくて、サイト巡回も殆どしてないし、ニュースとかも追ってなかったもんだから‥‥



▼WU-TANG CLAN「ENTER THE WU-TANG (36 CHAMBERS)」(amazon


 ヒップホップに疎かった俺だけど、当時バイトしてた音楽スタジオのお客から勧められてよく聴いたなぁ。これとかHOUSE OF PAINは当時よく聴いてた。もう10年以上前なのかな。



▼WU-TANG CLAN「WU-TANG FOREVER」(amazon


 これ、プー太郎だった頃に出たんだよな。2枚組で無駄に高くてさ。国内盤で買ったんだよ‥‥真夏のクソ暑い部屋で、プレステとかセガサターンばっかやっててさ。そのバックに延々流れてた。全然疎いくせにさ。

 この年、日本で初めて本格的なロックフェス‥‥つまりフジロックがスタートしたんだよね。残念ながら俺は前日に肺炎でぶっ倒れて行けなかったわけだけど、その後この時の映像を観て感じた事は‥‥「あー、WU-TANGとかフジロックで観たら、面白いんじゃねーの?」、と。RAGE AGAINST THE MACHINEやレッチリがアリなら、全然イケるんじゃねーか、と。そう思ったわけですよ実際に。

 んで。'99年の苗場以降、'00年を除いてずっと皆勤賞の俺ですが、常にそういう思いがあったんだよね。特にエミネムがD12引き連れてやって来た'01年のグリーンステージを観た時なんて、「エミネムがアリなら、全然いけるじゃん!」って実感したんだけどねぇ‥‥

 そんなWU-TANG CLANが初期のメンバーでこの夏、再結成っつーか再結集したんですよね。でライヴやって。実は亡くなった当日の夜もWU-TANGのステージがあったそうなんですよ‥‥

 今後もWU-TANGは続いてくんだろうけど、少なくともあの「奇人」オール・ダーティ・バスタードのいるWU-TANG CLANは二度と観る事ができないんだよね。つーかいたところで、果たして入国できのかどうかも疑問なんだけどさ‥‥

 そういえばこないだ、その再結集ライヴを収めたCDを買ったんだった。まだパッケージさえ開けてなかったよ。これからじっくり聴きながら、彼の冥福を祈りたいと思います。

 May rest in pease.



▼WU-TANG CLAN「DISCIPLES OF THE 36 CHAMBERS : CHAPTER 1」(amazon


 

投稿: 2004 11 16 11:49 午後 [「R.I.P.」] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

2002/04/24

ALICE IN CHAINS『DIRT』(1992)

「アリス・イン・チェインズ」ボーカル変死
米国の人気ロックバンド「アリス・イン・チェインズ」のボーカル、レイン・ステイリー(34)がシアトルの自宅で死んでいるのが19日、見つかった。20日に地元当局者が明らかにしたところでは死因は不明。遺体は腐敗が始まっており、ステイリーと確認されるまで検査が必要だった。アリス・イン・チェインズは'90年にアルバム「フェイスリフト」でデビュー。麻薬などをテーマにした暗く不気味な音色で人気を集めた。
     ‥‥2002年4月22日「スポーツ報知」より

ご存じの通り、ALICE IN CHAINS(以下AICと略)は95年秋リリースのサードアルバム『ALICE IN CHAINS』リリース後、表だった活動をしていない。レインの重度のドラッグ癖が原因と言われていた。サードアルバムリリース後はMTVでのアンプラグド出演やKISSのリユニオン・ツアーの前座として数回ライヴを行った程度。レコーディングに至っては98年秋にボックスセット用に録音した「Get Born Again」など数曲のみ(レインは単発でRAGE AGAINST THE MACHINEのメンバーらとCLASS99というユニットで映画のサントラにPINK FLOYDの「Another Blick On The Wall (Part 2)」カバーを録音している)。バンドはほぼ解散状態だったといっていいだろう。

しかし、それでもバンドは公には解散発表はしていない。ギターのジェリー・カントレルは97年に初のソロアルバム『BOGGY DEPOT』をリリースした際の取材で「状況が整うのを待っている」というような発言をしていたはずだ。そう、バンドのメンバーはレインの克服を根気よく待っていたのだろう。先の新曲録音も奇跡に近かったのかもしれない(たった1曲しか録音されなかったという事実が全てを物語っていると思う)。そして、完全復活は叶わぬ夢となってしまった‥‥

NIRVANAの現役時代を知らない10代のファンでも、メディアでの扱われ方等から彼等が如何に凄かったかを想像することが出来るだろう。SMASHING PUMPKINSはついこの間まで活動していたわけだし、PEARL JAMは未だ現役だ(日本のメディアでの扱われ方には疑問が残るが)。SOUNDGARDENは解散して暫く経つものの、ボーカルのクリス・コーネルがRAGE AGAINST THE MACHINEの残党とCIVILLIAN(のちのAUDIOSLAVE)というバンドを結成したことで関心が向けられつつあったし(結局クリスは脱退してしまったが)、シアトル出身ではないものの、STONE TEMPLE PILOTSも解散の危機を乗り越え、順調にリリースを重ね、最近ではツアーも行っている(相変わらず日本へは93年11月以来来ていないがために、その評価は低いが)。

しかし、AICはどうだろう? 名前は知っていても、その音に触れたことのある10代のロックファンはどれだけいるのだろう?

アーティストの死が切っ掛けで、初めてその音楽に触れるというケースはよくあることだ。過去にもhideを敬遠してきた洋楽ファンが彼のソロアルバムやzilchのアルバムに触れて、その音楽の素晴らしさに気付いたといったことがあった。そういう形で彼等の音に接することに不快感を示す者も多いだろう。しかし、こんな過小評価されてきた状況を打破するいい切っ掛けではないだろうか?

きっとこれまで表だって取り扱ってこなかった雑誌メディア(rcokin'on等)がここぞと追悼特集を組むのかもしれないが、その前にまず音に接して欲しい。そう思って今回、急遽予定していたオススメ盤と差し替えて、この92年リリースのセカンドアルバムを紹介することにしたのだから。

この「DIRT」というアルバムは92年秋にリリースされ、全米チャート初登場6位を記録し、約200万枚ものセールスを記録した出世作だ。このアルバムの発売前から彼等に対する評価は高まっていた。91年春にはMEGADETHのオープニングアクト、その後MEGADETH、ANTHRAX、SLAYERが交互にヘッドライナーを変わるカップリングツアー「CLASH OF THE TITANS」へも参加、更にはVAN HALENのオープニング等も務めた。そういえば『METALLICA』アルバムリリース時のインタビューでジェームズ・ヘットフィールドはお気に入りのバンドとしてAICの名前を挙げたりしていた。そう、AICは当初メタル系アーティストから高い評価を受けていたのだ。

それもそのはず、AICは結成当初はメタルバンドだったのだから。クリス・コーネルが「奴らは元はRATT(80年代に活躍したLAメタルバンド)みたいなファッション/音楽性だった」と日本の雑誌インタビューでチクッたりもしていた。その後、独自の音楽性を確立していった結果、唯一無二の存在となったのだ。

このアルバムのユニークな点はBLACK SABBATHやLED ZEPPELINを彷彿させるヘヴィリフや変拍子、そこに乗る不協和音気味コーラスだろう。アルバムトップの「Them Bones」からして上の要素を全て持ち合わせているのだから、最初に聴いた時のインパクトは絶大なものだった。勿論ファーストアルバムから聴いていたし、その音楽性を気に入っていたのだが(独自の暗さとハーモニーが好みだった)、このアルバムで完全に化けたといっていいだろう。

そして歌詞の難解さも大きな特徴といえるだろう。難解というよりも、芸術的といった方がいいのだろう。日本盤を買ったのなら、是非対訳に目をやってみて欲しい。この歌詞読みながら聴いてると、マジで凹む。サウンド的にはこれよりもヘヴィなアルバムはいくらでもあるが、ここまでトータル的に暗さ・重さを強調した作品はそうはないだろう。それもただ闇雲に暗いのではなく、芸術作品として完成され尽くしているのだから。

アルバムの音とは関係ないが、このアルバムからは4曲のシングルカット、5曲のビデオクリップが制作されている。シングルは「Them Bones」「Angry Chair」「Rooster」「Down In A Hole」、PVはその4曲に加え映画「SINGLES」サウンドトラックにも収録された「Would?」。この「Would?」がMTVでヘヴィローテーションされたお陰で、セカンドアルバム大ヒットの土台が出来上がったのだ。

今聴くと、他のシアトル勢とはかなり異質なサウンドを持ったバンドだっといえる。リフの刻み方等から、元々の出所(メタル出身)が伺えたりするが、そこから突然変異したかのようなサウンドアプローチ。そして何よりも、レインの独特な歌唱。これがあるとないとでは大違いなのだ。ジェリーのソロアルバムは確かにAICを彷彿させるものだった。しかし、いくらメインソングライターがアルバムを作ったからといって、そこに乗った「声」はレインではない。その違和感にどうしても馴染むことができず、このソロアルバムはあまり聴く機会がなかったと正直に告白しておく。かのSTONE TEMPLE PILOTSがAICとPEARL JAMのパクリバンド呼ばわりされたのも、今は昔。その後、彼等のようなサウンドを持ったバンドはなかなか現れなかった。それだけ個性の強いサウンドだったといえるだろう。

しかし時代は流れ、このアルバムから10年近く経った今、AICからの影響を公言するバンドが増えている。その代表格がSTAINDだろう。他にもAICから影響を受けたであろう新人バンドを幾つか見かけるが、そういうサウンドに出会うたびに「本家は何やってんだか‥‥」と何度思ったことか。その度にこのアルバムを引っ張り出して‥‥ってことが、特にこの1~2年の間に何度かあった。実は‥‥虫の知らせだったのだろうか、つい先日、AICのボックスセットを注文したばかりだった。

レイン・ステイリーの声や歌唱は本当に独特なものだった。聴いてすぐ彼のものだと判る程に。カート・コバーン程ぶっきらぼうでもなく、ビリー・コーガン程好き嫌いが激しいわけでもなく、クリス・コーネル程熱くもなく‥‥何か、人間ではなく別の生き物のように感じられる瞬間が何度かあった。例えば初期のデヴィッド・ボウイのアルバムを聴いてると、時々「この人は本当に宇宙人なんじゃないだろうか?」なんて思った時が10代の頃あったが、まさにそんな感じなのだ。

それにしても‥‥本当にいいアルバムだなぁ。90年代にリリースされた作品で死ぬ程聴き込んだ作品の上位5枚に必ず入るであろう1枚だといえる。このアルバムやファースト『FACELIFT』やサード、あるいはアンプラグド盤等を聴いた今の10代のファンは、どう感じるんだろう‥‥


     Did she call my name?
      I think it's gonna rain when I die.

            ‥‥"Rain When I Die"



▼ALICE IN CHAINS『DIRT』
(amazon:海外盤CD

投稿: 2002 04 24 12:00 午前 [1992年の作品, Alice in Chains, 「R.I.P.」] | 固定リンク

1999/05/03

コージー・パウエル

本来ならこの文章は先月の5日に書くべきものだ。けど‥‥忙しさの中で忘れてしまっていた。カートの事にばかり気を取られていたが、この人も4/5に亡くなった事を知ってがく然とした。そう、hideが亡くなる約1ヶ月前に‥‥俺にとってはある意味、hideの死以上の衝撃・ショックを受けた。もし俺がドラマーだったら、この人みたいに叩きたかった、そう思わせたドラマーはこの世の中に3人しかいない。LED ZEPPELINのジョン・ボーナム、「元」MOTLEY CRUEのトミー・リー、そして今回の主役である「スティックを持った渡り鳥(笑)」コージー・パウエル‥‥人間としてもミュージシャンとしても、彼はこの人生を全うしたのではないか? そんな想いを胸に、今日は彼の素晴らしさを皆さんに知っていただき、これを切っ掛けに彼が参加したアルバムを手に取っていただければ‥‥と思う。

コージー・パウエル、本名コリン・パウエル。'47年12月29日生まれ。イギリスはグロースター州サセックス出身。

13歳頃からドラムスを叩き始め、CORALSを皮切りに幾つかのバンドで腕を研いていく。そして、'70年にJEFF BECK GROUPに加入したことによって、一躍有名になる。その後、初のリーダーバンドであるBEDLAMやCOZY POWELL'S HAMMER、STRANGE BLEWでの活動、軽い気持ちでレコーディングした "Dance With The Devil" b/w "And Then There Was Skin" が予想外の大ヒットを記録する‥といった経験を経て、'75年にRAINBOWに加入。これによって日本でもビッグスターの座を手に入れ、当時としては珍しかったドラム・ヒーローとして崇められるようになる。RAINBOWにおいては、4枚のアルバムに参加。脱退後はTHE MICHAEL SCHENKER GROUP (MSG)に加入し、「MSG」('81年)と「ONE NIGHT AT BUDOKAN」('82年/'81年の日本公演の模様を収めたライヴ)にそのプレイを残した。またこの頃までに、3枚のソロアルバムをリリースしている。そして'83年から'84年にかけてはWHITESNAKEで、'85年から'86年にかけてはEMERSON,LAKE & POWELLで活躍した。

その後しばらくは、セッション活動に専念。('87年にはジョン・サイクスのBLUE MURDERに加入したが、アルバム制作に到る前に脱退)'89年にBLACK SABBATHに加入し、久し振りにバンドメンバーとしての活動を展開する。'92年に落馬事故で負傷し、BLACK SABBATHを離れるが、4枚目のソロアルバムの制作、ブライアン・メイ(QUEENのギタリスト)のファースト・ソロアルバムとツアーへの参加などを経て、'95年には復帰している。しかし、アルバム「FORBIDDEN」のレコーディングに参加したのみでツアーには同行せず、しばらくの間、長年の活動により蓄積した疲労を癒すために休養する。そして、'97年に行われた元FLEETWOOD MACのギタリスト、ピーター・グリーンの復活ライヴより活動を再開。イングヴェイ・マルムスティーンの「FACING THE ANIMAL」、ブライアン・メイのセカンド・ソロアルバム「ANOTHER WORLD」に参加する。イングヴェイのバックメンバーとして来日することも決定した。しかし、バイクで事故を起こし、右足に全治8週間の重傷を負ってしまったことで来日が不可能に。そしてイングヴェイが丁度来日中の'98年4月5日午後8時30分頃(現地時間)、高速道路M4を自宅のあるバークシャー州ハンガーフォードからブリストル近郊に向かってサーブで走行中に何らかの理由で中央分離帯に衝突。(酒気を帯びていたという話もある)車は炎上し、死亡した。享年50歳。
(「BURRN!」98年7月号の特集記事より)


コージーの功績についてはこの「BURRN!」の追悼記事や、彼に関して書かれた書籍、彼がレコーディングに参加したアルバムから知る事ができるのでこれ以上は書かない。ただ、これだけは言わせて欲しい。コージーのドラムは、聴けばすぐに判った。これは俺が彼の事を好きだったからではなく、その独特なサウンドからだ。あのバスドラとスネアの「トン、タン」ではなく「ズドン、バン」という重量感。どのバンドのどのアルバムでも同じサウンドを聴かせてくれる。そして「オカズ」であるフィルイン。そう、RAINBOWの "Lost In Hollywood" のイントロやサビのフレーズに入る直前の、あの有名なフィルはもう‥‥何度コピーしようとしたことか。(笑)俺は殆どの楽器をプレイすることができるが、唯一ドラムだけは‥‥理想が高すぎるのか、コージーやボーナムの真似ばかりしていたせいか、単純な曲しか叩けない。何度 "Stargazer" (RAINBOW) のイントロをコピーしようとしたことか。何度 "Guilty Of Love" (WHITESNAKE) を練習したことか‥‥とにかく、こんな「ドラムヒーロー」はもう現れないかもしれない。この先ずっと‥‥

何故彼のドラムサウンドがあんなに独特だったか‥‥俺はこの話を聞いて納得した。それは元LOUDNESS、現SLYのドラマー、樋口宗孝がヤマハ主催のドラム・クリニックで言った言葉だ。

「コージーの生音はやたらにデカい。でも、それは力というよりはスティックの重さに因るものだ。あんなに重いスティックを普通のドラマーが使ったら1曲で手首がダメになる。それだけ、彼の手首は強靱なんだ。」

実際にドラムを叩いた事がある方なら解ってもらえると思うが、ドラムを叩く際にスティックが自分の身体や手に合っていないと、どれだけ叩き難いか‥‥俺も遊びとはいえ、よく解っているつもりだ。スティックの重さによってついた腕力。いや、もともとキック力や腕力があった人間だろう。そんな人が更に重いスティックを持つことによって生まれるヘヴィ・ヒット。そしてそのヘヴィさからくる「あと乗り」(タメともいう)‥‥彼は決して機械的な「ジャストなヒット」を繰り出すドラマーではなかった。逆にそこが彼の素晴らしさだったのだが。(これが原因で、彼はゲイリー・ムーアーの元をたった数カ月で去っている。ゲイリーはコージーに「正確無比のビート」を求めたのだ)この「あと乗り」のスウィング感があったからJEFF BECK GROUPの "Got The Feeling" が、WHITESNAKEの "Slow An'Easy" が名曲となったのだ。(勿論、元の楽曲の良さは大前提だが)

もうひとつ、彼のドラムソロ‥‥多くのドラマーのドラムソロ。俺にとっては退屈なものだ。ライヴにおける10分近くの「マスターベーション」。俺自身、ギタリストのギターソロも好きではない。もっとも、人を引き付けるだけの力量を持ったミュージシャンがやるなら話は別だが。そう、俺にとって「ドラムソロとはこういうものだ!」という仕事をやってみせたのはコージー、ボーナム、そして別の意味でトミー・リー。この3人だけだ。(いや、他のドラマーのソロはあまり知らないだけかもしれないが)残念ながらコージーのドラムソロが完全収録された映像は正規では発表されていない。唯一、ブライアン・メイのソロツアーの模様を収めたライヴビデオにのみ、ドラムソロは収められているが、全盛期‥‥'70~'80年代の、あの "1812" をバックにしてのドラムソロが収められた作品は音源/映像共に公式発売されていない。ここはもう‥‥違法ではあるが‥‥ブートを見ていただきたい。(笑)特に'70年代のRAINBOW時代のものを‥‥絶対にひっくり返るはずだから。常識では考えられないこと、やってるから。ドラムソロを「ひとつの楽曲」にしてしまったのは、この人とジョン・ボーナムだけではないだろうか?

‥‥やっぱりダメだ。(笑)どんなに言葉を並べても、彼の凄さ、偉大さは俺の拙い文章では伝わらないだろう。てっとり早く彼が参加したアルバムを聴いて欲しい。俺がお薦めするのは以下の5枚。どれもコージーが参加してるからだけでなく、楽曲/演奏共に素晴らしい作品ばかりだから。

* JEFF BECK GROUP「ROUGH AND READY」('71年)
* RAINBOW「RAINBOW RISING」('76年)
* COZY POWELL「OVER THE TOP」('79年)
* WHITESNAKE「SLIDE IT IN」('84年)
* BLACK SABBATH「TYR」('90年)

異論はあるだろうが、これはあくまで俺の趣味だ。RAINBOWは正直言って、彼が参加したアルバムはどれも素晴らしいが、やはり "Stargazer" ~ "A Light In Black" のドラミングをこの流れで聴いて欲しいから。それとコージーのソロアルバムはセカンド「TILT」、サード「OCTOPUSS」も素晴らしいので是非聴いて欲しい。お手軽な「THE VERY BEST OF COZY POWELL」というのも出てるので、それを入門編にしてもいいかも。

最後に。コージーはドラマーであると同時に、素晴らしいドライバーでもあった。彼がモーターレーシングの世界に精通してる事はファンの間でだけでなく、多くのミュージシャンが知っていた。一時期彼は、本気でレーサーに転向しようと考えた時期もあったそうだ。そんな彼がああいう形で死んだことは‥‥不謹慎かもしれないが、ある意味本望だったのかもしれない。俺が最初に「彼はこの人生を全うしたのではないか?」と書いたのはそういう意味からだ。彼はモーターレーシングの世界を熟知していた。だからこそ、常に死と隣り合わせだという事も常に頭にあったはずだ。ここ数年の彼は、仕事としての「ドラマー」の他に趣味としてドラムを叩き始めていた。その切っ掛けが先頃来日したピーター・グリーンとのセッションだ。もし生きていたら‥‥亡くなったアーティストの文章を書く時、いつもこの言葉を口にしてしまうが‥‥この来日公演、コージーも同行していただろう。そしてコージーが生前最後に関わったのが、自身のソロアルバムだった。(これは先頃発売された)地位も名声も手に入れた今、彼は残された人生を本気で楽しもうとしていたのではないだろうか? いや、彼は常にその人生を楽しんでいたのかもしれない。だから彼は「渡り鳥」としての道を選んだのかもしれない。自分が常に楽しんでいられるように‥‥

ジョン・サイクスがコージーの死に対して、こうコメントしている。

「コージーはクレイジーなドライバーだったから、こうなるのもある意味では運命だったのかもしれない」
判っていたはずだ、コージーには。だから彼は「楽しむ」ことを選んだのかもしれない。そして、そんな生き方を選び、全うした彼が羨ましくもある。確かに早すぎる死だ。けど‥‥これでよかったのだろう。きっと彼は今でもあの「笑顔」のはずだ。だから僕らもそんな彼のプレイを「楽しんで」聴かなくては‥‥そう、決して悲観的にならずに。

やっぱりかっこいいよ、コージー‥‥(笑)

投稿: 1999 05 03 07:11 午前 [Cozy Powell, 「R.I.P.」] | 固定リンク

1998/11/24

QUEENと僕

今年も11月24日が来て、過ぎていった。もう何度目だろうか? この時期になると、とても切なくなる。11~1月というのは、僕にとって大切なミュージシャンが多く亡くなっている。特にこの11月24日には特別な想いがある。同じ年の同じ日に、アメリカとイギリスをそれぞれ代表するバンドのメンバーが亡くなったのだ。今日は第1回目ということもあって、ルーツ的なバンドを紹介したい。僕の「シンガーとしての心の師匠」フレディ・マーキュリー率いるQUEENである。

QUEENの音楽性を考えるとき、必ずあの「カメレオンのように変化し続けるサウンド」を思い浮かべることだろう。実際、多くのミュージシャン達が自分達の音楽性の変化を「QUEENみたいな幅広い音楽性」「QUEENは常にひとつの所に留まってはいなかったろ?」といったように例え、それを逃げ道にする。一体どれだけのバンドがQUEENに近づいているといえるのだろうか?

と同時に、QUEENの古くからのファンもその変化に迅速についていけたのだろうか? 答えはノーだと思う。特にここ日本では、初期のグラマラスなヴィジュアル・イメージと「Bohemian Rhapsody」のオペラチックな楽曲のイメージが強烈だったためか、それ以後(特に80年代以降)の「ポップなシングルヒット量産バンド」的なイメージがお気に召さなかったようだ。でも、そんなに毛嫌いされる程の代物だったのだろうか?

アメリカでのQUEENのイメージの例えとして、上のようなミュージシャンの言い訳もあるが、ここでひとつ面白い例を挙げてみたいと思う。1992年2月にあのGUNS N'ROSESが東京ドーム3日間という、HR/HM系アーティストとしては異例の公演を行った。初日、中日はハプニングも続出し、あのアクセル・ローズが袖に引っ込む場面も目に出来たようだ。最終日はヴィデオ撮影され、当時衛星放送で録画放送され、そののちセル・ヴィデオとして世界中でリリースされた。残念ながら僕はその頃、イギリスにいたためライヴには足を運べなかったのだが、後日友人が録画した衛星放送の録画ヴィデオを借りて観た。僕が体験した1988年12月の初来日と比べたら全く別のバンドになっていた。それでも十分カッコ良かったが。

問題の場面はアンコール時に訪れた。アクセルがアカペラで何やら歌いだしたのだ。この頃から彼らは即興で、自分達が影響を受けた曲のさわりをチラッと披露する機会が増えていた。アクセルは2~3曲歌ったのだが、それらは我々日本人には余り馴染みのない曲ばかりだった。しかし、1曲だけ耳に残るメロディの曲があった。「Sail away little sister~」と歌っているように聞こえた。でも、曲名が判らない。

暫くの間、この曲が誰の、何という曲なのか?で周りは持ち切りになった。その答えは数ヶ月後に雑誌で明らかになった。QUEENの「Sail Away Sweet Sister」という曲だった。全く知らなかった僕。1980年リリースのアルバム『THE GAME』に収録されている、ブライアン・メイがヴォーカルをとるマイナーな曲だった。QUEENといえば派手なメジャー曲しかしらなかった僕には「何故アクセルはこの曲を?」という疑問でいっぱいになった。

さて、なぜアクセルはこの曲を知っていたのか? 理由は簡単。このアルバムがQUEENのアルバムの中で、アメリカで最も売れた作品だから。70年代、彼らはアメリカで数々のヒット曲、ヒットアルバムを生み出してはいるが、No.1シングル、アルバムは1枚もなかった。ところが80年代に入り、彼らは2曲のNo.1ヒット曲とその2曲を含むNo.1アルバムを生み出すことになる。それがこの『THE GAME』なのだ。

このアルバムからは「Crazy Little Thing Called Love」「Another One Bites The Dust」といったNo.1ソングの他にも2曲のシングルヒットが生まれた。No.1になった2曲はそれ以前の彼らのイメージからすると全く異質のものだった。プレスリーばりのロカビリーナンバー(前者)に、ファンキー/ソウルフル/ディスコ調で間違ってブラック・ミュージック専門ラジオ局で流され、それがヒットにつながった後者。「グラマラスでオペラティック」な70's QUEENの面影はそこにはなかった。日本人が無視するのももっともか。しかしアメリカでは違った。アメリカ人は純粋に「曲の良さ」に気づき、従来のQUEENのイメージに捕らわれず、それがヒットへと繋がった。だからアクセルがこのアルバムのナンバーを口ずさんだとしても、決して不思議な事ではない。最も、その選曲のセンスにアクセルらしさが光るのだが。普通、ブライアン・メイのナンバーなら「'39」あたりを選ぶんだけどなぁ……。

いかに最初のイメージが大きいと後々不幸か? それはどのバンドにも言えることだろう。METALLICA然り、U2然り、MANIC STREET PREACHERS然りだ。だが、最終的には曲の良さだ。曲が良ければ誰にも文句を言われる筋合いはない。まぁその曲がその人の趣味の範疇じゃなかったら、それはもう不幸としか言いようがないが。とにかく、下手な先入観を持たずにQUEENを聴いてみてほしい。手っ取り早くベスト盤がいいだろう。初期の超有名ヒット曲満載の『GREATEST HITS』(1981年リリース)もいいが、それよりも今回は80~90年代のヒットシングルを網羅した『GREATEST HITS II』(1991年リリース)の方を先に聴いてもらいたい。いかに彼らが素晴らしいソングライター集団だったか?を実体験できる、お手頃なアルバムだ。全ての曲が全英チャートのトップ20に入った曲ばかりである。これを聴けば、いかに現在のイギリスの若手ミュージシャン達が直接/間接的にQUEENから影響を受けているかが伺えるはずだ。何せ彼らは「イギリスの国民的ヒーロー」だったのだから。


最後に個人的な想い出話をふたつばかり。フレディの亡くなる数週間前に、僕はある友人から1枚のCDを譲り受けた。もう聴かないといった、そのアルバムはQUEENの『INNUENDO』(1991年)だった。その年の始めにリリースされてはいたが、当時は余り興味がなかったし、それよりももっと激しい音楽が好みだったので、無視していた。勿論、雑誌等で「往年のQUEEN節、復活!」と騒がれていたのは知っていたが。

アルバムを聴いた。ビックリした。正直な話、鳥肌が立った。それくらいの衝撃だったのだ。まさかQUEEN聴いてこんな衝撃を受けるとは。僕にとって、正に「完璧/完全無欠」のアルバムだった。1曲1曲が際立っていて、捨て曲なんて一切なし。そして、ラスト2曲、「Bijou」「The Show Must Go On」。悲しいくらいに名曲。と同時に、何かを悟ってしまった。「まさか、これで解散とか!?」そう感じさせる位に悲しく、そして前を向いている曲だった。

数週間後、「事実上の」解散となってしまったQUEEN。フレディは生前、残された最大の力を振り絞ってあの曲を歌い上げたのだろう。そう考えると、無性に切なくなってしまった。そして「もっと早く、彼らの良さに気づいてやればよかった」と。その後ゆっくり時間をかけて、彼らのオリジナル・アルバムを買い揃えたのは言うまでもない。

翌1992年11月24日、偶然にも1年前にあの「不運な出来事」があったその日に、僕らのバンドはライヴを行うことになった。僕はこの偶然を見逃さなかった。意図したわけじゃないのに、って。そこでバンドのメンバーに提案した。「是非、1曲でいいからQUEENの曲をカヴァーしてみないか?」と。しかしその願い空しく、提案は却下された。だが僕は諦めなかった。当日、僕がアコースティック・ギターを持つ曲が2曲あった。その内の1曲の前に、僕がMCをとる場所があった。

当然、やってしまったわけだ。ギター1本で「Love Of My Life」を。練習したかいがあった。最初はアカペラで、途中からギターをつま弾きながら。フル・コーラスとはいかなかったが、それで十分だった。その日のお客の内、何人かが気づいてくれた。その時、僕はQUEENのトレードマーク(『GREATEST HITS II』のジャケット参照)が入ったTシャツを身に付けていたから。後にも先にも、QUEENの曲をカヴァーしたのはこれが最初で最後だった。


May rest in peace, Freddie...



▼QUEEN『GREATEST HITS II』
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投稿: 1998 11 24 11:00 午後 [Freddie Mercury, Queen, 「R.I.P.」] | 固定リンク