SEKAI NO OWARI『Tree』(2015)
良くも悪くも“ネタ”にされ続けているSEKAI NO OWARIですが、そのイメージと相反して今作で表現されている音楽は非常に真っ当なポップミュージック。「2010年代中盤の『ど真ん中の音』はこれだ!」と言わんばかりに、自信満々に鳴らされる音の数々はどれも説得力のあるものばかりで、そのパワーは親しみやすいメロディ、現実と虚像を行き来する歌詞からも存分に感じられます。
と同時に、これは90年代前半まではシーンの中心に存在していたものの、その後「現実的な言葉、音」が主流になってしまい片隅に追いやられてしまった音楽の復権でもある。このアルバムを聴いていると、そんなことをぼんやりと考えてしまいます。
もっと言えば、本作を初めて聴いたときに思い浮かべた作品があるのですが……それは1988年に発表された、TM NETWORKのコンセプトアルバム『CAROL』。それはアルバムの世界観や、それに伴うアートワーク、ビジュアルワーク、ライブの演出などすべてを含めた世界観が近いんじゃなか、と。そう感じてしまったのです。
90年代末以降、そういったアルバムは数えるほどしか存在しません。いや、僕が知らないだけで本当はもっとあるのかもしれない。けど、少なくとも世の中的にそういった音楽は隅のほうに追いやられてしまった印象もあるわけで、そういった意味でも本作の登場は非常に意味のあるものだと思うのです。
こういう「聴き手に夢を見せてくれる、当たり前にいい音楽」がセールス面でしっかり結果を出してくれた2015年のJ-POPシーンは幸先いいんじゃないか……そしてアルバムがラストの「Dragon Night」に差し掛かるといつも、不安定な国際情勢がニュースで報道される日常に彼らの音楽が鳴らされることの重要さ、必然性を改めて確信する、そんな同時代性を端的に表した1枚。
※このレビューは本作リリース時、『TV BROS.』に掲載されものを加筆・修正して掲載しています。